四通目 かかってきた電話

 家に帰ってきて、自分の部屋に戻って、引き出しにしまってあったノートと、カバンから取り出した携帯を手にベッドに寝転がる。
 浩平に連絡を取って、まず何を話すのか、いまだに決められていなかった。
 卒業してからの交流なんて、次の年に届いた年賀状くらいだった。
 気安く話すことができるほど、四年という年月は短くはない。
 俺の覚えている浩平は、小学六年生で時が止まっている。
 俺が歳を重ねているように、浩平も今は高校生のはずで。
 けれど高校生になった浩平を思い描くことができない。

 人より少しだけ色素が薄くて、特に肌の色が病的に白かった。
 休み時間には本を読んでいることが多くて、話しかけるといつもひかえめな笑みを見せた。
 体育は必ず見学で、たまに学校を休むこともあった浩平。
 もう身体のほうは大丈夫なんだろうか。

 ピリリリリッ。

 唐突に鳴った電子音に俺は思わず飛び上がった。
 音は、手に持っていた携帯から鳴っていた。これはデフォルトの着信音だ。
 開いてみると、登録したばかりの浩平の番号が目に入った。……浩平からの電話だ。
 俺は頭が真っ白になって、気づけば電話に出ていた。

『恒太くん?』

 耳元で、声がする。
 記憶の中のものとは全然違う、声変わりの終わったテノールの声。

「こ、浩平、か……?」

 俺はおそるおそる確認した。
 確認しなくてもわかっていたが、声があまりにも変わりすぎていて、つい訊いてしまった。

『うん、そうだよ。久しぶりだね』
「……久しぶり。えっと、どうして、番号」

 俺が孝介から番号を聞いたのであって、お互いに連絡先を交換したわけではない。
 どうして浩平は俺の携帯に電話をかけることができたんだろうか。

『あれ、聞いてない? 僕の連絡先を教える代わりにって、孝介くんが恒太くんの連絡先を送ってきてくれたんだけど』

 驚いた様子の浩平は、俺も知っているものだと思っていたらしい。
 孝介、あの野郎。人に一言も言わずに何を勝手なことしているんだ。

『聞いてなかったんだね。じゃあ、驚かせちゃったかな』
「ああ、驚いた」

 俺は素直に認める。
 心臓が飛び出すかと思うほどにビックリした。
 今も少しドキドキしている。

『孝介くんから懐かしい名前を聞いたから。なんだか話したくなっちゃって』

 ふふっ、と笑い声が聞こえた。
 親しみのこもった声に、俺は不思議な心地になった。
 浩平はこんなに人懐っこい奴だっただろうか。

「なんか変わったな、お前」
『そうかな? 自分ではよくわからないけど』

 浩平に自覚はないらしい。
 少し話しただけでもわかるほどだというのに。
 四年もあれば変わってもおかしくないのかもしれない。
 対する俺は、成長らしい成長はしていなかったけれど。
 変わったのは身体つきと声くらいだ。あと、少し自堕落にはなったかもしれない。

『それで? 僕に何か話があったんじゃないの?』

 来た、本題だ。
 俺はごくりとつばを飲み込む。
 考えがまとまる前に電話に出てしまったので、何を話せばいいのか自分でもよくわかっていなかった。

「話っつーか……お前が夢に出てきてさ。なんか、話さなきゃいけない気がして、それで」

 俺は真実の一端を口にする。
 たしかに夢を見たのは本当だ。
 問題はそこで手渡されたノートの存在なのだけれど。
 ちらり、とノートを横目で見やる。
 水色の表紙の無機質なノートは何も語らない。
 中に書かれている饒舌なラブレターとは正反対だ。

『それで?』

 浩平は話の続きを促した。
 静かで、優しい声。
 そういえば、小学生のときの浩平もこんな穏やかな声をしていた気がする。
 声が低くなっていても、そこは変わっていない。
 初めて、記憶の中の浩平と今の浩平が重なった。

 ずっと、忘れようとしていた。
 けれど心の底では忘れられていなかった。
 俺は、浩平に言わなきゃいけないことがある。

「俺さ、お前に謝らなきゃいけないことがあるんだ」

 緊張で震えそうになる声を抑えて、どうにか絞り出す。
 浩平が勇気を出してラブレターを書いたように、俺も勇気を出そう。

『謝らなきゃいけないこと?』

 聞き返す浩平に、うん、と俺は答える。

「卒業式の日に、お前、千佳に手紙送っただろ。あれ、本人気づかないで落としてさ。俺はそれを拾ったのに、千佳に渡さなかったんだ」

 四年分、たまった罪悪感をすべて吐き出すように、俺はありのままを知らせた。
 話したからって、謝ったからって、俺のしたことはなかったことにはならないし、罪悪感だって消えるはずもないのだけれど。

「今さらこんなこと言われても、困るよな。それでも謝らせて。本当にごめん」

 電話口だけれど、俺は頭を下げた。布団に頭がつくほどに深く。
 許してほしいとは思っていない。
 それこそ、今さらすぎる。
 どんなに謝っても、あの卒業式の日には、戻れない。

 はー……、と、浩平の長いため息の音が耳をくすぐった。
 怒っているんだろうか。呆れているんだろうか。
 軽蔑、されただろうか。

『何かあったのかな、とは思っていたよ。水無月さんなら、どんな返事にしろ、待たせるのは悪いと来てくれただろうからね』

 浩平の言葉は、責めるためのものではなかった。
 過去を思い出すようなゆっくりとした声は、笑みさえ含んでいるように聞こえた。
 言われてみればたしかにそのとおりかもしれない。
 あのラブレターには『待っています』としか書かれていなかった。
 いつまでも待っているかもしれない、となれば、千佳は後先考えず会いに行ってしまうだろう。
 来てくれたなら、もしかして。
 そう期待する浩平に、容赦なくごめんなさいを突きつける千佳。
 簡単に思い浮かべられて同情したくなってきた。

『恒太くんは優しいから、たぶん僕の可能性を奪っちゃったんじゃないかって気にしてるんだろうけど。気にしないでいいよ。僕には万に一つの可能性もなかったから』
「なんでそんなことがわかるんだよ」

 俺は思わずむっとした。
 浩平が自分で可能性を否定するのが、なぜか許せなかった。
 千佳と浩平は普通に仲が良かった。
 だから、もしかしたらはありえたかもしれないじゃないか。

『わかるよ。だって僕、水無月さんにきっぱり振られたからね』

 あっけらかんと、浩平はそう言った。
 それは予想もしていなかった言葉で、俺はぱかりと口を開いてしまった。
 きっと今の俺はすごい間抜けな顔をしている。電話越しでよかった。

「……いつ?」
『二年くらい前かな。用事があって家族とそっちに行ったとき、水無月さんに会いに行ったんだ。未練を断ち切れていなかったから。で、そのとき告白をして、ごめんなさいをされた。コーヘーくんは大事なお友だちだよ、ってトドメまで刺された』
「マジか……」

 バッサリすぎるトドメに、俺は今度こそ浩平に同情した。
 千佳、お前は少し言葉を選べ。
 まぎれもない本心だったのかもしれないが、それは傷口に塩を塗りこんでいるようなものだ。

『あそこまではっきり断られると、なんだか逆に清々しい気持ちになったよ。どうやっても無理なんだなってあきらめもついた』
「あいつ、嘘がつけないもんな」

 どんな様子だったのか容易に想像できて、思わず苦笑がこぼれた。
 本当に、千佳の中で浩平はお友だちだったんだろう。
 大事なお友だち。でもそれ以上の存在にはなれない、お友だち。
 断るときの千佳はきっと泣きそうな顔をしていたはずだ。
 人の気持ちを素直に受け止める奴だから。

『そこが好きだったんだけどね。恒太くんもそうなんじゃないの?』


 油断していたところで、爆弾を投下された。



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