「……知ってたのか?」
いつから?
今の話で気づかれたのならまだいい。
けれどもしかして、小学生のときにはすでに周りにはバレバレだったんだろうか。
自分だって気づいたのは最近だというのに。
正確には、認めようとしていなかっただけで、もっと前からわかっていたような気はするが。
『小学生のとき、たぶんそうなんじゃないかなぁって思ってた。確信したのは今だけどね。手紙を隠す理由なんてそれくらいしかないでしょ』
「そう……だよな」
確証がなかったことを喜ぶべきか、勘づかれていたことを悲しむべきか。
ラブレターを隠してしまうほどには恋心は育っていたのだから、同じ相手を見ていた浩平に気づかれていたのは別におかしくもないのかもしれないけれど。
どうにも気恥ずかしいものがある。
『懐かしいなぁ。水無月さんは、僕に空の青さを教えてくれた人なんだ。下校時に本を読んでたらね、本は家でも読める、今は空とか、周りの景色とか、楽しみながら帰る時間だって』
クスクスと浩平は笑う。
千佳への恋心は、もう浩平にとってはいい思い出になっているんだろう。
でなければそんなふうに笑えるはずがない。
「あいつらしいな」
千佳はそういう奴だ。
空気は読めないし基本的にアホだし、でも素直で真っ直ぐで。
その素直さは、素直になるのが苦手な人間からすると、惹かれてやまない輝きだ。
『だから、恒太くんの気持ちはすごくよくわかるよ。恒太くんも水無月さんに、いつもと違う景色を見せてもらっているんだよね』
「あー、う〜……」
見事に言い当てられて、俺はうめき声をあげた。
なんだこれ恥ずかしすぎる。
『がんばってね。付き合いが長い分、恒太くんは有利だと思うよ?』
冗談なのか本気なのか、それとも皮肉なのか、浩平は判断に迷うことを言う。
人のいい浩平のことだから本気なのかもしれないけれど、素直に受け止められない。
「なんか、色々ごめん」
後ろめたさに我慢できず、俺はもう一度謝る。
浩平の可能性を潰したわけではないと聞いても、やっぱり罪悪感はなくならなかった。
少なくとも俺は、浩平の可能性を無視したんだ。
実際にはそれが、ありえなかったものだったとしても。
そんな俺には、まだ可能性がある。
幼なじみとしても友人としても千佳といい関係を築いている。
これからどうなるかはまだ未知数だ。
『だから気にしないでってば。それに、僕はちゃんとしあわせを見つけたしね』
「しあわせって?」
なんのことだろうか、と俺は条件反射で尋ねてしまった。
『こんな僕を好きだって言ってくれる人がいるんだ。僕は身体が弱いから、きっとずっと傍にいることはできないよって、そう伝えても、限られた時間でもいいから傍にいたいって言ってくれる人。僕はその子のことがすごく愛しいんだ』
それは本当にしあわせそうな語り声だった。
しあわせに音があるなら、きっとこんな音をしていると思うような、しあわせが濃縮されている声。
なんとなく、今の浩平がどんな顔をしているのか、思い浮かぶような気がした。
身体の弱さに同情しようという気は起きなかった。
浩平自身が悲観していないように思えたからだ。
「ノロケか?」
俺はそう茶化してみた。
まさか浩平が彼女持ちだったとは。うらやましい。
『愛しい』なんて、普通の高校生が言える言葉じゃない。
さすが、あんな甘々なラブレターを書いた奴だ。
『そうだね。ノロケだね』
浩平はあっさりと認める。
自覚があるなら少しはマシだろうか。
いや、こういうのはむしろ自覚があるほうが厄介なんじゃないだろうか。
『恒太くんに罪の意識があるなら、たまに僕のノロケ話を聞いてよ。もう誰も聞いてくれなくなっちゃってさ』
罪を償え、と言っているようなものなのに、その口調はどこまでも明るかった。
単に俺の罪悪感を取り除こうとしてそう言ってくれているのだとわかった。
いい奴だよな、と俺は思う。
こそこそと人の恋路を邪魔して、自分はいまだに気持ちを告げられていない俺なんかと比べたらよっぽど男前だ。
変わったと思ったけれど、根っこの部分はあまり変わっていないんだろう。
それでも、いい方向に変わった部分があるなら、それはきっと愛しの彼女のおかげなんだろう。
「あんなラブレター書く奴なんだから、彼女にゲロ甘なんだろうな」
考えなしにそう口にしてから、やばい、と思った。
浩平はノートの存在を知らない。
けれどすぐに気づく。少なくとも、一通のラブレターが俺の手元にあることはたしかなのだ。
今の失言くらいなら、ノートのことを知らない浩平は、そのラブレターのことを言及しているのだと思うだろう。
俺はほっとした。
もう、ノートの存在を浩平に話そうという気はどこにもなかった。
これは今の彼には不要なものだ。
新しいしあわせを見つけた彼には。
『甘くもなるよ。だってかわいいんだもの』
とろけるような声で、浩平は言った。
あふれ出すような深い愛情を感じて、俺は苦笑した。
浩平のノロケ話を聞くには、相当の気力が必要そうだった。
* * * *
砂糖にはちみつと練乳をぶっかけたような甘ったるいノロケ話は、浩平の家が夕食の時間になるまで続いた。
なるほど、これはたしかに罰にふさわしいかもしれない。
ガッツリと気力を吸われた俺は、ベッドにうつぶせに倒れ込んだ。
そりゃあ誰も聞いてくれなくもなるだろうさ。リア充爆発しろ。
愛しの彼女は美咲と言い、病院で出会ったのだという。
一目惚れだと告白されて、友だちから始めて、次第に大切な存在になっていったんだとか。爆発しろ。
枕に押しつけていた顔を上げて、俺は水色のノートをちらりと見る。
そうだよな、こんなラブレターを書く奴なんだもんな。
なんだか納得できてしまう。
そのときふと、ひらめくものがあった。
「そっか、これ、空の色か」
手を伸ばしてノートの表紙をなぞった。
水色の、いや、空色の表紙を。
空の青さを教えてくれた千佳。
彼女への想いを形にしたから、空色のノートになったんだろう。
今の彼女は、一緒に空を見て、一緒にきれいだねと言い合うことのできる人なんだそうだ。
浩平に似合いの彼女だと思う。
だから本当に、このノートはもういらないもの。
もしかしたら、いらなくなったからこそ、俺の元に来たのかもしれない。
俺に発破をかけるように。
非現実的で、荒唐無稽な理論。
でも、このノート自体が非現実的なんだから、しょうがない。
臆病な俺は、今はまだ、ラブレターを書いた浩平のように勇気を出すことができない。
それでも、空色のノートからは大切な何かを受け取ったような気がする。
覚悟の欠片のようなものを。
浩平にとっては不必要になったラブレターが、俺の役に立ってくれた。
それだけで、これを受け取った意味はあったんじゃないだろうか。
だから、あと考えないといけないことといえば。
「どうやって処分すっかな」
浩平にいらないものなら、人知れず処分してあげるのが情けというものだ。
文字が読めないくらいにビリビリに破いて捨てるか、燃やしてしまうか。燃やすのは少し危険かもしれない。
と、思考を邪魔する声が一階から聞こえる。
どうやら俺の家も夕食の時間になったようだ。
とりあえず腹ごなしをしてから決めよう。
と俺はノートを引き出しにしまって、部屋を出て行った。
次に部屋に戻ったとき、ノートはまるで初めから存在していなかったかのように、消えていた。