三通目 連絡先

「なあ、内田浩平って覚えてるか?」

 休みが終わって、月曜日。
 俺は早速、同じクラスの友人に訊いてみた。
 家からほど近い高校だから、小学生からの付き合いのクラスメイトもそれなりにいた。

「誰だっけそれ?」
「わかんないならいいや」

 首をかしげる友人に、俺はそう言って話を切り上げる。
 相手も特には気にならなかったようで、話はそれで終わった。
 浩平は影が薄かったから、名前を言われただけでは思い出せない奴が多かった。
 ああ、あいつか、とすぐにわかった奴もいたけれど、連絡先までは知らないようだった。
 それも当然かもしれない。
 当時の浩平は携帯電話を持っていなかったし、家の電話は引っ越したことで変わっているのだから。

 浩平と仲良くしていた奴なら、引っ越してから連絡先を教えられていたりするかもしれない。
 そう思ったものの、まず浩平と仲が良かったのは誰だっただろうと、そこで引っかかった。
 俺と、孝介。
 他に可能性がありそうなのは……千佳。
 ノートのこともあって、千佳には訊きたくなかった。
 一番可能性が高い人間だというのはわかっていたけれど。

 収穫がないまま、部活の時間になってしまった。
 俺が所属しているのはパソコン部だ。
 活動らしい活動もない、コンピューター室の一角でのんびりだらりとしている部活。
 パソコンでゲームをしていたり、サイト持ちが更新作業をしていたり、ネットを頼りながら宿題をしていたり。
 ごく一部、真面目にパソコン検定を受けていたりする奴もいるが、そいつらだっていつもは遊んでいることが多い。
 そんなゆるくやる気のない部活だった。

「恒ちゃん、なんか元気ないじゃん。どしたの?」

 そう話しかけてきたのは部活仲間の孝介だ。
 そう、小学生のときの“コウ”つながりの佐々木孝介。
 孝介は同じ“コウ”だというのに、俺のことを恒ちゃんと呼ぶ。
 理由はなんとなく、だそうだ。深く物を考えない孝介らしいといえばらしい。

「んー、ちょっとな」

 俺は適当にごまかした。
 いくら気の置けない友人でも、孝介にノートの話をしようとは思わない。
 誰に話そうと頭を心配されるのが落ちだろうから。

「お前、内田浩平って覚えてる?」

 今日一日で定型文になった質問を、孝介にも尋ねてみる。
 名前というつながりがあった分、他の奴らよりは覚えている可能性が高そうだ。

「ああ、あれでしょ? 小学校んときの“コウ”三人組! コッペーちゃんがどうかした?」

 孝介は悩むことなくすぐに思い至ったようだ。
 懐かしい愛称に俺は脱力したくなった。
 そういえばこいつはそんな呼び方をしていたっけ。
 間延びするだけの千佳よりもひどい。

「浩平の連絡先って知ってるか?」
「うん、知ってる」
「……マジで?」

 ダメ元で訊いてみたというのに、予想外の答えが返ってきて、思わず呆然としてしまった。

「二年くらい前かなぁ。コッペーちゃんこっちに遊びに来てたんだよ。そのとき偶然会ってさ。メルアド交換して、今もときたま連絡取ってるよ」

 あまりに普通に話す孝介に、俺は何に驚いたらいいのかわからなかった。
 二年前に浩平がこの町に来ていたなんて初耳だ。
 引っ越した直後ならまだしも、いったいなんのために?
 けれど今重要なのはそこじゃない。孝介が連絡先を知っているということだ。

「連絡先教えてくれねぇ?」

 内心ドキドキとしながら、俺はそう頼んだ。
 明らかに不自然なのはわかっていたけれど、どうしようもなかった。

「別にいいけど、一応コッペーちゃんに訊いてからね」

 そう言って孝介は携帯をいじり出す。たぶんメールを打っているんだろう。
 特に理由を訊かれなかったことに、俺は密かにほっとしていた。
 孝介が細かいことを気にしない奴でよかった。


  * * * *


 部活が終わる前に教えてもいいという返信が来たので、俺はその日のうちに浩平のメールアドレスと電話番号を知ることができた。
 こんなにトントン拍子に行くとは思ってもいなかったから、拍子抜けというかなんというか。もちろんいいことなんだけれど。

 帰り道、携帯に登録された番号を眺めながら、俺はぼんやりと考えていた。
 何を、話せばいいんだろうか、と。
 孝介ほど人付き合いが得意だというわけではない俺は、約四年ぶりに連絡を取る旧友にどんな話題を振ればいいのか、すぐには思いつかなかった。
 ノートのことを話したほうがいいのか、それとも言わないほうがいいのか。一番重要なのはそこだ。
 そもそも彼に連絡を取ろうと思ったのも、ラブレターの書かれたノートがあったからなのだし。

「あれ、コータ?」

 悩んでいた俺に声がかかる。
 振り返らなくても誰だかはわかった。千佳だ。
 俺が振り返るよりも早く、軽快な足音を鳴らして駆けてきた千佳が隣に並んだ。

「帰りが一緒になるなんて、久しぶりだね。ゆっくりしてたんだ?」

 何も考えていなさそうなのんきな顔で千佳は笑う。
 千佳は女子バレー部だ。
 それほど強い部ではないけれど、活動らしい活動のないパソコン部と比べるのは失礼になるほどに、真面目に部活動を行っている。
 いつもなら下校時間はかぶらない。

「たしかに今日はいつもより帰るの遅いけど、そっちこそ、部活終わるの早くないか?」
「しばらくおっきな大会がないからねー。中だるみ、ってやつ? でも、気楽で楽しいよ。大会前はどうしてもピリピリしちゃうから」

 文化部の俺にはよくはわからないが、運動部は色々と大変なんだろう。
 いつも気の抜けたような顔をしている千佳だけれど、バレーをしているときはすごく真剣な顔をする。同一人物だとは思えないくらいに。
 何事にも真剣に取り組むのは、ある意味で千佳らしいとも言える。

「あ、見てコータ! 夕焼けきれい!」

 千佳の明るい声に、彼女の指さした先を見る。
 住宅街に落ち沈んだ夕日が雲を照らして、複雑な模様を空に描いていた。
 橙色から藍色へと変わるグラデーションは、丁寧に塗った水彩絵の具のようだ。

 きれいだな、と俺は素直にそう思った。
 千佳の見せてくれる景色は、いつも俺の心を揺らす。
 千佳の感性が、俺に新鮮な驚きと感動を与えてくれる。
 言われなければ見上げることもなかっただろう空に、こうして見惚れているように。
 空がきれいに見えるのは、隣で一緒に眺めているのが千佳だからかもしれない。

「あんま空ばっか見てると、転けるぞ」

 けれど、ひねくれ者の俺は、空を仰ぎ見ていた千佳の頭を上から押さえつけて、そんな注意をするしかなかった。
 自分の気持ちに素直になれたなら、俺はとっくに千佳に告白している。
 今の関係を壊すのが怖い、なんていうのが逃げだということはわかっている。
 新しい関係を築くためには、どのみち一度今の関係を壊さないといけない。
 そして、俺が行動しなければこの関係は変わりはしないだろう。
 鈍感な千佳は、言わなければ俺の気持ちに気づくわけはないのだから。

『これはラブレターです。ぼくが、あなたに向けた、ラブレターです。
 ぼくはあなたのことが好きです。ずっと、ずっと好きでした』

 浩平は、どんな想いであんな真っ直ぐな言葉をつづったんだろうか。
 あのラブレターを出すとき、どれだけの勇気を振り絞ったんだろうか。
 すごいな、と、そんな月並みな感想しか思い浮かばない。
 俺に彼と同じことができるんだろうか。
 少なくとも今は考えられない。

 そんな、勇気を出して書いたラブレターを、俺は隠してしまったんだ。
 浩平の可能性を、浩平の未来を、俺はラブレターと一緒に、誰にも見つからない棚の奥に押し込めてしまった。


 ああ、本当に俺は最悪なことをしたんだ。
 今さら、俺はそれを再確認し、罪悪感に襲われた。



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