「なあ、内田浩平って覚えてるか?」
休みが終わって、月曜日。
俺は早速、同じクラスの友人に訊いてみた。
家からほど近い高校だから、小学生からの付き合いのクラスメイトもそれなりにいた。
「誰だっけそれ?」
「わかんないならいいや」
首をかしげる友人に、俺はそう言って話を切り上げる。
相手も特には気にならなかったようで、話はそれで終わった。
浩平は影が薄かったから、名前を言われただけでは思い出せない奴が多かった。
ああ、あいつか、とすぐにわかった奴もいたけれど、連絡先までは知らないようだった。
それも当然かもしれない。
当時の浩平は携帯電話を持っていなかったし、家の電話は引っ越したことで変わっているのだから。
浩平と仲良くしていた奴なら、引っ越してから連絡先を教えられていたりするかもしれない。
そう思ったものの、まず浩平と仲が良かったのは誰だっただろうと、そこで引っかかった。
俺と、孝介。
他に可能性がありそうなのは……千佳。
ノートのこともあって、千佳には訊きたくなかった。
一番可能性が高い人間だというのはわかっていたけれど。
収穫がないまま、部活の時間になってしまった。
俺が所属しているのはパソコン部だ。
活動らしい活動もない、コンピューター室の一角でのんびりだらりとしている部活。
パソコンでゲームをしていたり、サイト持ちが更新作業をしていたり、ネットを頼りながら宿題をしていたり。
ごく一部、真面目にパソコン検定を受けていたりする奴もいるが、そいつらだっていつもは遊んでいることが多い。
そんなゆるくやる気のない部活だった。
「恒ちゃん、なんか元気ないじゃん。どしたの?」
そう話しかけてきたのは部活仲間の孝介だ。
そう、小学生のときの“コウ”つながりの佐々木孝介。
孝介は同じ“コウ”だというのに、俺のことを恒ちゃんと呼ぶ。
理由はなんとなく、だそうだ。深く物を考えない孝介らしいといえばらしい。
「んー、ちょっとな」
俺は適当にごまかした。
いくら気の置けない友人でも、孝介にノートの話をしようとは思わない。
誰に話そうと頭を心配されるのが落ちだろうから。
「お前、内田浩平って覚えてる?」
今日一日で定型文になった質問を、孝介にも尋ねてみる。
名前というつながりがあった分、他の奴らよりは覚えている可能性が高そうだ。
「ああ、あれでしょ? 小学校んときの“コウ”三人組! コッペーちゃんがどうかした?」
孝介は悩むことなくすぐに思い至ったようだ。
懐かしい愛称に俺は脱力したくなった。
そういえばこいつはそんな呼び方をしていたっけ。
間延びするだけの千佳よりもひどい。
「浩平の連絡先って知ってるか?」
「うん、知ってる」
「……マジで?」
ダメ元で訊いてみたというのに、予想外の答えが返ってきて、思わず呆然としてしまった。
「二年くらい前かなぁ。コッペーちゃんこっちに遊びに来てたんだよ。そのとき偶然会ってさ。メルアド交換して、今もときたま連絡取ってるよ」
あまりに普通に話す孝介に、俺は何に驚いたらいいのかわからなかった。
二年前に浩平がこの町に来ていたなんて初耳だ。
引っ越した直後ならまだしも、いったいなんのために?
けれど今重要なのはそこじゃない。孝介が連絡先を知っているということだ。
「連絡先教えてくれねぇ?」
内心ドキドキとしながら、俺はそう頼んだ。
明らかに不自然なのはわかっていたけれど、どうしようもなかった。
「別にいいけど、一応コッペーちゃんに訊いてからね」
そう言って孝介は携帯をいじり出す。たぶんメールを打っているんだろう。
特に理由を訊かれなかったことに、俺は密かにほっとしていた。
孝介が細かいことを気にしない奴でよかった。
* * * *
部活が終わる前に教えてもいいという返信が来たので、俺はその日のうちに浩平のメールアドレスと電話番号を知ることができた。
こんなにトントン拍子に行くとは思ってもいなかったから、拍子抜けというかなんというか。もちろんいいことなんだけれど。
帰り道、携帯に登録された番号を眺めながら、俺はぼんやりと考えていた。
何を、話せばいいんだろうか、と。
孝介ほど人付き合いが得意だというわけではない俺は、約四年ぶりに連絡を取る旧友にどんな話題を振ればいいのか、すぐには思いつかなかった。
ノートのことを話したほうがいいのか、それとも言わないほうがいいのか。一番重要なのはそこだ。
そもそも彼に連絡を取ろうと思ったのも、ラブレターの書かれたノートがあったからなのだし。
「あれ、コータ?」
悩んでいた俺に声がかかる。
振り返らなくても誰だかはわかった。千佳だ。
俺が振り返るよりも早く、軽快な足音を鳴らして駆けてきた千佳が隣に並んだ。
「帰りが一緒になるなんて、久しぶりだね。ゆっくりしてたんだ?」
何も考えていなさそうなのんきな顔で千佳は笑う。
千佳は女子バレー部だ。
それほど強い部ではないけれど、活動らしい活動のないパソコン部と比べるのは失礼になるほどに、真面目に部活動を行っている。
いつもなら下校時間はかぶらない。
「たしかに今日はいつもより帰るの遅いけど、そっちこそ、部活終わるの早くないか?」
「しばらくおっきな大会がないからねー。中だるみ、ってやつ? でも、気楽で楽しいよ。大会前はどうしてもピリピリしちゃうから」
文化部の俺にはよくはわからないが、運動部は色々と大変なんだろう。
いつも気の抜けたような顔をしている千佳だけれど、バレーをしているときはすごく真剣な顔をする。同一人物だとは思えないくらいに。
何事にも真剣に取り組むのは、ある意味で千佳らしいとも言える。
「あ、見てコータ! 夕焼けきれい!」
千佳の明るい声に、彼女の指さした先を見る。
住宅街に落ち沈んだ夕日が雲を照らして、複雑な模様を空に描いていた。
橙色から藍色へと変わるグラデーションは、丁寧に塗った水彩絵の具のようだ。
きれいだな、と俺は素直にそう思った。
千佳の見せてくれる景色は、いつも俺の心を揺らす。
千佳の感性が、俺に新鮮な驚きと感動を与えてくれる。
言われなければ見上げることもなかっただろう空に、こうして見惚れているように。
空がきれいに見えるのは、隣で一緒に眺めているのが千佳だからかもしれない。
「あんま空ばっか見てると、転けるぞ」
けれど、ひねくれ者の俺は、空を仰ぎ見ていた千佳の頭を上から押さえつけて、そんな注意をするしかなかった。
自分の気持ちに素直になれたなら、俺はとっくに千佳に告白している。
今の関係を壊すのが怖い、なんていうのが逃げだということはわかっている。
新しい関係を築くためには、どのみち一度今の関係を壊さないといけない。
そして、俺が行動しなければこの関係は変わりはしないだろう。
鈍感な千佳は、言わなければ俺の気持ちに気づくわけはないのだから。
『これはラブレターです。ぼくが、あなたに向けた、ラブレターです。
ぼくはあなたのことが好きです。ずっと、ずっと好きでした』
浩平は、どんな想いであんな真っ直ぐな言葉をつづったんだろうか。
あのラブレターを出すとき、どれだけの勇気を振り絞ったんだろうか。
すごいな、と、そんな月並みな感想しか思い浮かばない。
俺に彼と同じことができるんだろうか。
少なくとも今は考えられない。
そんな、勇気を出して書いたラブレターを、俺は隠してしまったんだ。
浩平の可能性を、浩平の未来を、俺はラブレターと一緒に、誰にも見つからない棚の奥に押し込めてしまった。
ああ、本当に俺は最悪なことをしたんだ。
今さら、俺はそれを再確認し、罪悪感に襲われた。