二通目 『浩平』

 浩平――内田浩平は、小学六年生のときの同級生だった。
 その前にも同じクラスになったことはあったし、何度か話したこともあった。
 六年生のときのクラスには、俺と浩平とあと一人、孝介という、名前に“コウ”のつく男子がいた。

 算数が得意で仕切り屋の俺。
 お調子者で足の早い孝介。
 引っ込み思案で本の好きな浩平。

 クラス内で、三人はなぜかセットの扱いを受けていた。
 仲が良かったかというと、まあ悪くはなかっただろうという程度だ。
 孝介とは友だちだったけれど、浩平はたぶん友だちといったような、そんな微妙な距離感だった。
 浩平は身体が弱かったらしく、体育はいつも見学で、休み時間も本ばかり読んでいて、クラスで若干浮いていた。
 よく言えば天真爛漫、悪く言えば空気を読まない千佳は、そんな浩平にも笑顔で接していたように思える。
 『コーヘーくん』と間の抜けた呼び方を、俺は今でも覚えていた。


  * * * *


 あれからなんとか千佳の宿題を終わらせ、千佳を家に帰した。
 宿題が終わったあとは遊びたそうにしていたけれど、やることがあるからと断った。
 今、目の前にはあの水色のノート。
 俺はノートのページをゆっくりとめくっていった。

『好きです。すごく好きです。大好きなんです』

『いつもあなたの笑顔に元気をもらっていました』

『あなたに名前を呼ばれると、まるで自分の名前が特別な宝物になったような気がしました』

『修学旅行で大吉を引いてすごくうれしそうにしていたあなたはとてもかわいかったです』

『あなたに笑いかけられるたび、心臓がバクバクして、まわりに聞こえちゃうんじゃないかといつもビクビクしていました』

『今でもよくあなたのことを思い出します。まだ、あなたのことが好きみたいです』

 浩平の想いがすべてつまったラブレターだ。
 ノートだから、ラブレターと言うとおかしいのかもしれないけれど、これはまぎれもないラブレター。
 そのことを、他でもない俺は知っている。
 俺は、ノートの真ん中らへんのページを開いたまま、その上に黄味がかった封筒を置いた。棚の奥に突っ込まれていたものだ。
 その封筒は元から黄色かったわけではなく、時間が経ってその色になったのだとわかる。
 折れ曲がったりはしていないが、端のほうが擦れて毛羽立っていた。

『水無月千佳さまへ』

 封筒にはそう書かれている。
 どこからどう見ても、千佳宛てだ。
 中身を見るのは、実に四年ぶり。
 俺は封筒を開いて、中の便箋を取り出した。


『これは最初で最後のラブレターです。
 ちゃんと手紙を出すのは初めてで、すごくドキドキしています。
 いきなりなんだろうとおどろかないでください。ぼくにとってはいきなりでもなんでもないんです。
 これはラブレターです。ぼくが、あなたに向けた、ラブレターです。
 ぼくはあなたのことが好きです。ずっと、ずっと好きでした。
 いつもあなたの笑顔に元気づけられていました。あなたの笑顔を見ていると、つらくてもがんばろうと思えました。
 あなたはぼくのことを、よくても友だちの一人としてくらいしか思っていないでしょう。
 それでも、ぼくのことを好きだなって、そう思ってくれるなら。
 今日、卒業式が終わったあと、裏庭に来てください。待っています。
 浩平』


 これは、小学校の卒業式の日、千佳の下駄箱に入れられていたものだ。
 俺と千佳は家が近いから通学班も同じで、その日も一緒に学校に行って。
 千佳が靴を履き替えたあと、下に何か落ちたことに気づいた俺はそれを拾った。
 すぐにそれがなんなのかに気づいた俺は、なぜかその時、千佳に渡さずに持って帰ってしまった。
 家に帰ってから読んで、今も浩平は待っているんだろうかと思ったりして。
 でも結局、千佳には教えなかった。どんなに罪悪感で胸が痛んでも。

 今ならわかる。あの時にはすでに、俺は千佳のことが好きだったんだ。
 だから、教えられなかったんだ。
 千佳に、浩平の元に行ってほしくなかったから。

 小学校卒業後、浩平は同じ中学校に上がることなく、引っ越した。
 大きな病院のある場所に引っ越したのだと噂で聞いた。
 俺は、浩平の最初で最後の可能性を潰してしまった。

 開いたままのページには、便箋と同じことが書かれていた。
 内容どころか、文字の形自体も全部一緒だった。
 いくら同じ人間が書いたといっても、ここまでそのままってことはないだろうというほどに。
 俺はなんとなく、このノートがどういうものなのかわかりかけてきていた。
 どれだけ非現実的で荒唐無稽な解釈であっても、不思議と間違っている気はしなかった。

 これは、浩平が今までに書いてきたラブレターそのものだ。
 浩平が千佳に宛てて書いたラブレターたちが、全部まとめてノートという形を取っている。
 たぶん、書いた順番のままに。
 千佳に送った最初で最後のラブレターが真ん中あたりにあるのは、つまりその前に出せなかったラブレターがあり、その後にも浩平はラブレターを書いていたということなんだろう。
 決して千佳の目に触れることのないラブレターを。

「こんなの、どうしろってんだよ……」

 俺はそうため息と共につぶやいた。
 ホラーもオカルトも信じていなかった。
 幽霊なんているとは思っていなかったし、超能力だってアホらしい。
 そう思っていた俺の元に現れた、一冊の不可思議なノート。
 中身はラブレターなのだから、怖いくらいに気持ちがこもっているだろうし、捨てても戻ってきそうだ。
 どう処分すればいいのか俺にはわからない。

 そもそも、なぜ俺のところにこのノートはやってきたんだろうか。
 小学校卒業以来、浩平とは連絡を取ったことはなかった。
 小学生時代だって、他のクラスメイトよりは少し仲が良かったかもしれないという程度で、友だちというほどでもなかったのに。
 “コウ”つながりだろうか。そんなまさか。

 考えてみてもわからない。
 本当ならこのラブレターたちは、一ページを除き、すべて手紙という形で浩平の手元にあるはずのものなのに。
 いっそのこと、浩平に送り返せばいいんだろうか。お前のもんだろ、と。
 俺はこのノートを、ずっと持っていたくはなかった。
 だってこれには、想いが込められている。
 千佳へのあふれんばかりの恋心が。
 何年も片思いしているのに、いまだにそれらしい言葉を何も告げられていない俺からすると、このノートに書かれている言葉たちはまぶしすぎる。
 言えばいいのに、と無言の圧力を感じる。
 お前どれだけ千佳のこと好きだったんだよ、と言いたくなる。
 気持ちはわからないでもないような気もするが……いや、やっぱりわからない。ラブレターなんて俺のガラではないから。

 けれど、浩平は真剣だったんだろう。
 小学生のときの恋。
 大半は憧れだとか、ひどいと黒歴史扱いされるような、淡い恋。
 いつ好きになったのかは知らないが、ずっと心に秘めていて、卒業式の日に告白しようとしてできなくて。
 きっと、引っ越しして会えなくなってからも想い続けていて。こうしてラブレターをしたためて。
 俺なんて、自分の気持ちを認めるまでにだいぶ時間を使ってしまった。
 あきらめるように千佳への想いを認めたのは、高校生になってから。本当に最近のことだ。
 浩平の一途さが、真っ直ぐさが、俺はうらやましいのかもしれない。

「……連絡、取れないかな」

 ぽつり、俺は気づいたらそうこぼしていた。
 言葉にしてみたら、それはすごくいいようなことのように思えてきた。
 ノートをどうするかということもあるけれど、単純に浩平と話してみたかった。
 浩平の想いの欠片に触れて、彼に興味がわいてきた。

 小学生のときに俺が踏みにじってしまった浩平の可能性。浩平の想い。
 それが、今彼にどんな影響を及ぼしているのか、自分は知らなくてはいけないような気がした。
 今の浩平を知りたい。
 こんなに真っ直ぐな言葉を残す浩平と、接してみたい。


 過去に俺がしたことを話せば、もしかしたら浩平は、俺を恨むかもしれないけれど。



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