「君と出会うまで、何度も、何度も、くり返し思い出したよ。狭間の番人だった僕にくれた言葉。向けられた真心。たった一瞬のひかり」
一音一音をかみしめるようにジルは言葉にする。
そこに込められている深い想いを、すべて受け止められるようにと、わたしはまっすぐ目を合わせる。
前世で見た南の島の海のような、明るい青緑の瞳。
宿している熱はわたしを焦がしつくしてしまうんじゃないかと思うほど。
それでも、わたしは逃げたりはしない。
「本当はね、会うのが怖かった。アレクにエステルという妹がいるという話は、彼と知り合った当初から聞いていたんだ。エステルが光里である可能性は高いとわかっていた。でも、アレクは僕と出会うことで記憶を取り戻した。君もそうなるかもしれないと思うと、会うことはできなかった」
考えてみればたしかに、ジルと兄さまが知り合ったのは八歳のときなのに、わたしと会ったのがその二年後というのは計算が合わない。
知り合ってすぐに友だちになったようだったし、わたしも二歳になる前にはシュア家のガーデンパーティーにも出ていたはずだ。
意図的に避けないかぎり、もっと以前に出会っていただろう。
つまりは、そういうことだ。
「記憶を取り戻したとき、アレクは昏倒したんだ。そのアレクよりも幼いエステルでは、どうなるかわからなかった」
前世を思い出したときに倒れたというのは、兄さまから何年も前に聞いたことがあった。そのときはジルが原因だとは知らなかったけれど。
自分と会ったことでいきなり目の前で倒れられたら、それは慎重にもなるだろう。
実際に、わたしは一年ほど調子を崩して、家族に心配をかけるはめになったわけだし。
「でも……結局、会わないわけにはいかなかったよ。付き合いというものもあるけど、僕も心の底では会いたいと願っていたからね」
光里に焦がれ続けた狭間の番人。
その記憶を持つジルが、光里の生まれ変わりに会いたいと願うのは自然なことかもしれない。
今はそれを、うれしいと感じてしまう自分がいる。
数年前だったら、気持ち悪いだとか執念深すぎるだとかって一蹴していただろうに。
ジルが会いたかったのが光里なのかエステルなのか、そんなのは瑣末なこと。
今、ここでこうして二人でいることが、重要なんだから。
「君の、その瞳を見た時にね。僕に欠けているものは君がみんな持っている、と。そう思ったんだ」
ジルの頬に触れる手の親指が、わたしの目の下をそっとなぞる。
その優しい触れ方に胸がぎゅっとしめつけられる。
上昇している体温はとっくにジルに気づかれているだろう。
「出会ってしまったら、もう我慢なんて利かなかったよ。好きだ、愛しい、傍にいたい。星を宿した瞳に僕を映してほしい。僕の心はエステル一色に染まった」
言葉が紡がれるごとに、どんどん鼓動は早まっていく。
これだけストレートに愛を告げられて、照れない人間がいたら見てみたい。
二度目の人生だとか、ジルに口説かれるのはいつものことだとか、関係ない。
まったく、ジルはどれだけわたしを動揺させれば気がすむのか。
「エステルは、言ってくれたよね。前世を覚えていることを不幸だとは思わない、って。それは、今でも……これからも、変わらない?」
不安そうな表情で、ジルは聞いてきた。
どんな答えを望んでいるのか、だいたいはわかる。
ジルはきっと、わたしのしあわせの邪魔をしたくないんだ。
わたしのしあわせを、誰よりも望んでくれている。
自己中心的に見えて、実はわたし本位で。
もし、ジルがいることでわたしがしあわせになれないとなったら、彼は迷わず姿を消してしまうだろう。
「変わりません。前世も含め、わたしはわたしです。もし仮に、この先に後悔することがあったとしても、それはわたしの責任であって、あなたのせいではありません」
揺れるジルの瞳をまっすぐ見つめながら、わたしは口にする。
ジルの欲しい答えを返すのではなくて、本心からの答えを。
それは結果的には、同じことなのかもしれないけれど。
絶対に後悔しない、と言いきることはできない。
人間は多かれ少なかれ後悔しながら生きていくものだと思う。
前世を覚えていることで困ったこと、つらかったことが、ないとは言えないから。
いつか後悔する日も来るのかもしれない。
それでもそれはジルのせいではないことだけは、はっきりとしている。
自分の苦しみの責任を、ジルに押し付けるのは間違っている。
「エステルはそうやって、すべて自分で抱えてしまうよね。どうしたら君の荷を分けてもらえるのかな」
「……今でも充分、ジルベルトに甘えていますよ?」
苦笑しながらのジルの言葉に、少しためらいながらもわたしはそう告げた。
わたしはジルの好意に甘えてしまっている。
好きなんだと、誰よりも大切なんだと、その気持ちは一生変わらないんだと、そう惜しげもなく言葉にしてくれるから。
わたしはジルを疑うことなく好意を受け取って、好意を返すことができる。
「それならよかった。エステルを守り支えることが、僕の存在意義だからね」
ジルはほっとしたような笑みをこぼす。
彼の中でどれくらいわたしの存在が大きいのかということが容易にわかる、無防備な表情。
本当に、もう充分だと思う。
ジルの想いはわかりやすいほどに明け透けで、わたしはたまに戸惑ってしまう。
いまだにすべてを受け止めることはできていないかもしれない。
少しずつ、少しずつ、ジルから向けられる想いに応えられるようになればいい。
ジルは頬に触れていた手を放して、両手でわたしの手をすくい取る。
海の色の瞳がわたしを捕らえる。
おぼれてしまいそうだ、とわたしは思った。
「エステルがいるから、僕はラニアを守ろうと思えるんだ。大切なものを、大切にしていこうと、努力できるんだ」
真摯な瞳。宿した熱は、恋情だけではなく、確固たる決意。
わたしを含めたラニアという大地を守ろうという、覚悟。
「今の僕には、そうできるだけの力がある。エステルごと、ラニアを守るよ」
声には自信がにじみ出ていた。
ジルにならできるだろう。今さらそれを疑ったりはしない。
ラニアを守ると、彼が言ったのなら、ラニアの平安は守られるんだろう。
何に対しても無関心なジルが、しっかりとした意志を持ってくれたのはうれしい。
うれしいと思うのと同時に、切なくもある。
ねえ、ジル。
あなたの世界にはわたししかいないの?