六十六幕 しあわせいっぱい

 秋と呼ぶにはまだ暑さの残る時期。
 とはいえ過ごしやすくはなってきているので、今日のガーデンパーティーはたくさんの人が出席している。
 その一番の理由は、今日が特別な日だから、なんだろうけど。

「……どうしたの、あれ」

 今日の主役の友人であるジルは、当の主役を呆れたような目で見ていた。

「どれのことでしょう?」
「アレクだよ。わかってて聞いてるよね」
「兄さまがどうかしましたか?」
「……エステル」

 わたしがとぼけていると、ジルは困ったようにわたしの名前を呼んだ。
 戸惑うようなめずらしい表情に、わたしはくすっと笑った。
 いつもはこっちが振り回されている側なんだから、たまにはこれくらい仕返ししたっていいだろう。

「今の兄さまは幸せの絶頂期なんです。放っておいてあげてください」

 兄さまに視線を向けながら、わたしは説明になってない説明をした。
 今日の兄さまはすこぶる機嫌がいい。誰が見てもそうとわかるくらいに。
 普段はあまり表情を動かさない兄さまが、さっきからずっと笑顔だ。それはもう気持ちが悪いくらいの笑顔。
 ブラコンのわたしですらそんな感想が出てきちゃうほどなんだから、どれくらいすさまじいのかはわかるでしょう。
 簡単に言うならオーラがピンク。周りにお花が舞っちゃっているような感じだ。

「なるほど、何があったのかだいたい把握したよ」
「え、本当ですか?」

 納得した、とばかりにうなずくジルに、わたしは目をまたたかせる。
 自分で言っといてなんだけど、説明になっていなかったのに。

「イリーナ嬢からプレゼントをもらったんだろう」

 ジルはまるで見てきたように、正解を言い当てた。
 そう。今日の兄さまの機嫌がいいのは、イリーナさんからプレゼントをもらったから。
 そのプレゼントに込められた想いを、受け取ったから。

「よくわかりましたね」
「そりゃあ、誕生日だからね」

 ジルは言いながら、我が家の庭を見渡した。
 今日は兄さまのお誕生日を祝うガーデンパーティー。いつもより心持ち豪華だ。
 だからってイリーナさんからのプレゼントにすぐ結びつくのはおかしいような気もするけど。
 敏いジルならそれも当然なのかも、とわたしは思い直した。

「でも、イリーナさんも最初は、プレゼントを贈るかどうか悩んでいたんですよ」

 兄さまのしあわせそうな表情を見ながら、わたしは一週間前を思い出す。
 イリーナさんから相談を受けた日のことを。


  * * * *


「どうしたらいいと思いますか?」

 そうイリーナさんがわたしに聞いてきたのは、兄さまの誕生日の一週間前。
 プレゼントを贈るかどうか、悩んでいる、と。
 わたしの意見を聞きたいとイリーナさんは言った。

 婚約者や夫にプレゼントを贈るのは、そうめずらしいことでもない。
 母さまは今でも毎年父さまに贈り物をしているし。
 意味はプロポーズとほぼ同じ。一緒に時を重ねたいということ。
 実のところ、プロポーズだって女性側からするケースもあるくらいだ。
 変なところで男女平等というか、なんというか。

「おめでとうという言葉だけでも、兄さまはうれしいと思いますが。イリーナさんの気持ちが形になって贈られれば、それはもう飛び上がらんばかりに喜ぶんじゃないかと」

 何しろ婚約して最初の誕生日。
 欲しいと自分から言うことは性格上できないだろうけど、くれるかもしれないと兄さまだって期待しているんじゃないだろうか。
 身につけるものなら、当然相手を慕っているという想いが込められていることになる。
 別に一般的なプレゼントのお花やお菓子でも兄さまなら絶対に喜ぶ。
 兄さまの笑顔が目に浮かぶようだ。

「……飛び上がるアレクさんは想像できません」
「奇遇ですね、わたしもです」

 真顔で言うイリーナさんに、わたしも真顔でそう返す。
 それから二人して、ぷっと噴き出した。
 いくら比喩表現といっても、想像するとすごくおかしかった。
 少しの間笑い合ってから、わたしは改めてイリーナさんと目を合わせる。

「イリーナさんはどうしたいんですか?」

 重要なところはそこだと思う。
 プレゼントっていうのは贈る側の気持ちだ。
 喜ばせたい、贈りたいという気持ちがあってこそのプレゼント。
 イリーナさんがしたいようにするのが一番いい。

「アレクさんが喜んでくれるなら、プレゼントしたいです。でも、ちょっと不安で……」
「兄さまは間違いなく喜ぶと思いますよ?」
「そう、かな。アレクさんは真面目だし……はしたないって、思われないでしょうか」

 ためらうようにこぼされたその言葉に、わたしはイリーナさんが何を気にしているのかやっと思い至った。
 今はかなり男女平等となっているこの国でも、かつては男尊女卑が激しかった。
 学校で勉強したのと、個人的に少し調べたくらいだから、どの程度だったのかはわたしにも正しくはわからないけれど。
 男性の意志のほうが優先される時代。
 告白も、プロポーズも、男性側からするのが普通で、礼儀だと思われていた。
 女性からそういったアプローチをすることは、慎みがないとして非難を受けた。
 今になっては遠い昔、もう何百年も前の話だ。
 イリーナさんは直系じゃないとはいえ王族。国の歴史には詳しいだろう。

「たしかに兄さまは真面目ですけど、時代錯誤なわけじゃありません。イリーナさんの気持ちをちゃんと汲み取ってくれます」

 わたしは安心させられるように笑顔を向けてそう言った。
 昔のことまで持ち出して不安がるイリーナさんがかわいいと思った。
 本人にしてみればすごく真剣なんだろうけど。
 兄さまだって昔の思想は当然知っている。たぶんわたしよりも詳しく。
 だからってそれを現在に当てはめたりはしないだろうし、何より想い人からのプレゼントを喜ばないはずがない。

「大丈夫ですよ。妹のわたしが保証します」
「……ありがとう、エシィさん」

 わたしの笑みにつられるように、イリーナさんもはにかむような笑みを浮かべた。
 イリーナさんの不安を少しはなくせただろうか。
 わたしとしては、絶対に兄さまが喜ぶのはわかっているから、ぜひプレゼントを贈ってもらいたい。
 結局はイリーナさん次第なんだけども。

「私、がんばってみます!」

 やる気になったらしいイリーナさん。
 握りこぶしを作る彼女に、わたしはがんばってくださいと声をかけた。
 今年の兄さまの誕生日、兄さまにとって人生三番目くらいにしあわせな日になるんじゃないかな。一番は結婚する日、二番はプロポーズを受けてもらった日で。
 そんなことを考えながらも、引き続きプレゼントの内容に悩むイリーナさんの相談に乗るわたしだった。


  * * * *


「ということがあったんですよ」

 そうわたしは一週間前の話をしめくくった。
 ちなみにプレゼントはタイピン。兄さまの瞳と同じ色の石のはまった、シンプルだけどかたすぎないデザイン。
 タイほど種類を持っていないし、使う機会も少なくないからというチョイス。
 パーティーが始まってからだと人に囲まれちゃうからと、イリーナさんはパーティー前に来て兄さまにプレゼントした。
 そのタイピンは今このとき兄さまを飾っている。

「だからあんなとろけそうな顔をしているんだね、アレクは」

 言いえて妙だなと思った。
 今の兄さまの表情は、そんな表現がピッタリなくらいにデレデレしている。
 しあわせいっぱい、と全身で表しているようだ。

「不安がる必要なんてどこにもなかったんですよ」

 兄さまはイリーナさんが好きで、イリーナさんは兄さまが好き。
 お互いの気持ちがあるのに、何を不安に思うことがあるのか。
 そこがかわいいところでもあるけど、じれったくも感じられてしまう。

「周りから見ていればわかりきったことでも、当人にとってはそうもいかないんだよ」
「そういうものですかね」
「たぶんね」

 ジルは何を考えているのか読めない笑みを口元にたたえている。
 わかったように言うジルは、わたしよりは大人だっていうことなんだろう。

「ジルは……」

 ふと、こぼれ出てきそうになった疑問を、わたしはあわてて飲み込んだ。

「ん?」
「いえ、なんでもありません」

 首をかしげるジルに、わたしは首を横に振る。
 聞けるわけがない。

『ジルは次のわたしの誕生日に、プレゼントを贈るつもりなんですか?』

 なんてこと。
 まだわたしにプロポーズをする気があるのか、と聞くのと同じことだ。
 それは、実のところ聞くまでもないことで。
 言葉で態度で、ジルはわたしへ想いを示してくる。
 今もジルの気持ちが変わっていないことは、誰よりわたしが知っている。

 大人になるまでは誕生日プレゼントを贈らないでほしいと言ったのは、わたし。
 大人になったら受け取ってくれるかと、あのときジルは問いかけてきた。
 プレゼントは、基本的に受け取らないといけないものだ。
 四ヶ月後の誕生日、きっとわたしはジルからプレゼントをもらうことになる。
 わたしはそれに、答えを返せるんだろうか。


 兄さまの身を飾るタイピンを眺めながら、わたしは小さくため息をついた。



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