六十五幕 考えずにはいられない

 リゼの家は大きい。
 卿家である我が家と同じくらいの大きさがある。
 とはいっても居住スペースはそれほどでもなく、仕事に使う部屋が多いらしいんだけど。
 そんなリゼの家に、今日は遊びに来ている。

 いらっしゃい、と出迎えてくれたリゼはいつもどおり天使みたいにかわいかった。
 リゼの部屋でお茶をしながら、最近あったことについて話す。
 リゼは今年で学校を卒業だから、何かと忙しいらしい。だから今日はわたしのほうが出向いたんだし。
 商家の一人娘だもんね。家のことだとか、これからやらなきゃいけないことが多くなるんだろう。
 話が一段落したあたりで、リゼはじっとわたしの顔を見つめてきた。
 わたしが首をかしげると、あのね、とリゼは口を開いた。

「わたしにはエシィの悩みを解決することはできないから、相談してなんて言えない。でもね、話を聞くことくらいは、できると思うの」

 リゼの言葉は、どこまでも真摯だった。
 ガラス球みたいにきれいな水色の瞳が、心ごとまっすぐわたしに向けられている。

「心配かけちゃったみたいね」

 リゼに、悩み事を相談したことなんてなかった。
 それはリゼに心配をかけたくないという気持ちが一番強かったけれど。
 リゼにはしっかり者のわたしだけを見ていてほしいという思いもあったのかもしれない。
 お人形さんみたいに愛らしくて、守ってあげたくなるような子。
 でも実ははっきりとした意思を持っていることを、長い付き合いのわたしは知っている。
 商人の子どもらしく観察眼に優れているし、こうやってたまに驚かされることもあるくらいだ。

「エシィはずっと悩んでいるのよね。ジルベルトさんのことで」
「悩んでいるっていえば、そうなのかも。ジルのことをたくさん考えてる」
「ジルベルトさんはエシィに恋をしていて、エシィはジルベルトさんに恋をしているのかどうか、悩んでる。そういうこと?」
「簡単に言えば、そういうことね」

 もうずっと、二年以上前から。
 ジルの秘密を知ったときから、わたしはジルの想いを否定できなくなって。
 その想いを受け止められるのかどうか、想いを返せるのかどうかを、考えてきた。
 答えは、いまだに見つからない。

「わたしには恋ってまだよくわからない。それでも素敵なものだってことは知ってる」

 そう語るリゼの瞳はキラキラと宝石のように輝いている。
 純粋無垢を体現しているようなリゼに、わたしは苦笑するしかない。
 たしかに、恋は素敵なものだろう。
 それだけではすまないのが、恋というものだけど。
 甘いだけじゃなく、時に苦みのほうが強く。
 些細なことで心がプラスにもマイナスにも揺り動かされる。
 やめようと思ってやめられるようなものじゃない、やっかいな感情。

「リゼは、わたしはジルに応えるべきだって思う?」
「それはエシィが決めることだもの。わたしにはわからないわ」
「……そう、だよね。ごめんなさい」

 思わず口をついて出た問いに返ってきたのは、正論。
 そんなわかりきったことを聞いてしまうくらいには、悩みは深まってきてしまっているのかもしれない。
 リゼが答えをくれたとして、その答えにわたしはきっと納得できない。
 自分で出した答えじゃなければ、意味がない。
 なんでこんなことを聞いてしまったんだろうと、恥ずかしくなって謝りながらうつむいた。

「わたしにわかることは、ジルベルトさんはすごくすごくエシィのことが好きなんだってこと。そういうのって素敵ね」

 リゼらしい言葉に、わたしは顔を上げる。
 リゼはふんわりとかわいらしく微笑んでいた。

「……リゼはジルに好意的よね」

 拗ねてるわけじゃないけど、わたしは少し唇を尖らせる。
 思えば小さなころからそうだった気がする。
 たしかにジルは外見だけは王子さまみたいだし、夢見がちなリゼの好みの範疇だとは思う。
 でも、リゼはガーデンパーティーでわたしにひっつき虫のようにまとわりつくジルを見ている。
 夢なんてとっくの昔に壊されているだろうに、どうしてリゼはジルに甘いんだろう。

「だって、ジルベルトさんは本当にエシィのことが大好きなんだもの。エシィとずっと一緒にいる人は、心からエシィを想ってくれている人がいいわ」

 リゼの口から紡がれたのは、純粋にわたしのしあわせを願っている言葉。
 不覚にも少しジーンとしてしまった。

「ジルの想いを疑っているわけじゃないのよ」

 そう言いながら、これではまるで言い訳だとわたしは思った。
 わかってる、とばかりにリゼは頷く。

「あのね、エシィ。答えって、無理に出そうとして出るものじゃないと思うの」
「それはわかってる」

 エレさんにも似たようなことを言われたしね。

「今、わたしに好きな人がいないのも、エシィがジルベルトさんをどう思っているのかわからないのも、今はまだその時じゃないからなのだと思うのよ」
「その時じゃないから……」
「わかる日はちゃんと来るの。それがいつなのかは、きっと神さましか知らないわ」

 ふんわり。天使の微笑みを向けられる。
 リゼらしい理論だと思う。
 いい言い方をすれば、時期を待つ。悪い言い方をしてしまえば、先送り。
 でも、理屈が通っていないわけじゃない。

「そうなのかな」
「そう考えれば、少しは気が楽になるかなって、わたしは思うのだけど」

 人差し指を立ててそう言うリゼは、どこかお茶目でかわいらしかった。
 リゼの気遣いがうれしい。
 わたしは心からの笑みを浮かべることができた。

「ありがとう、リゼ」

 笑顔のまま、わたしはリゼにお礼を告げる。

「考えてわかるものじゃないって、エレさんにも言われた。でも、わたしは頭がかたいらしくて、考えないでいることは無理みたい」

 時間さえあれば、ジルのことが思考をよぎる。それはもう、なんでこんなに考えなきゃいけないんだって、腹が立ってくるくらい。
 それでも、考えることをやめたいとは思わない。
 ある意味で、不器用なのかもしれない。
 変なところだけ兄さまに似ちゃったかな。

「ジルを、わたしの事情で待たせているから。それならわたしは、答えが出るまでとにかく悩みたいなって思う。それがわたしなりの誠意なの」

 これも、きっと一つの答え。
 考えるものじゃなくて、感じるもの。そう言われて納得もしたけど。
 ジルと一緒にいるときの心の動きは、どこかつかみにくくて。
 結局、わたしは考えずにはいられないんだ。

「エシィは真面目さんね」

 しょうがないな、とばかりに少し呆れを含んだリゼの言葉に。
 兄さまの妹だから、とわたしは苦笑いを返した。


 助言をくれる友だちの存在を、ありがたいなと思いながら。



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