六十幕 一番特別な贈り物を

 春爛漫。一年で花が一番綺麗な季節。
 イリーナさんの誕生日パーティーは、花の咲き乱れる中で行われた。
 赤にピンクに黄色に白。色とりどりの花がイリーナさんを祝福するように咲き誇っている。
 イリーナさんにぴったりの季節だと思う。

 公家で開かれたガーデンパーティー。
 春らしい薄紅色の華やかな衣装に身を包んだイリーナさんは、さっきからひっきりなしに声をかけられていて、忙しそう。
 まあ、誕生日だもんね。みんなだっておめでとうって本人に言いたいよね。
 しばらくすれば落ち着くだろうし、イリーナさんも楽しそうだから問題はない。
 人気者のイリーナさんを少し遠くから眺めているわたしの隣には、いつもどおりジルがいる。

「ジルはイリーナさんにおめでとうを言いましたか?」
「もう少ししたら言いに行くよ」
「そうですか」

 パーティーが始まってすぐにわたしのところに来たジルに聞いてみると、思ったとおりの答え。
 別に我先にと祝いの言葉を告げに行かなければいけないというわけでもないし、わたしは軽く流した。
 そんなわたしに、それに、とジルは含み笑いを見せる。

「他にもおめでとうと言うことが起きるみたいだし」
「……そうですね」

 よくわかったな、と一瞬思って、ジルにわからないはずもないか、とすぐに思い直す。
 今日何が起きるのか、わたしはもう知っていた。
 わたしだけじゃなく、シュア家の全員が。
 起きる、というよりも、起こす、のほうが正しいのかもしれない。
 当事者である兄さまの緊張具合を見れば、仮にも友だちジルなら兄さまが何を起こすつもりなのかくらい、気づいて当然だ。
 イリーナさんの誕生日。兄さまは彼女に贈るプレゼントを、用意していた。

 おめでとう、と言うことができるのかどうかは、まだわからない。
 イリーナさんの答え次第だ。
 でも、わたしは、イリーナさんは兄さまのプロポーズを受けるだろうと思っている。
 イリーナさんは間違いなく、兄さまのことが好きだ。
 もちろんプロポーズを受けるというのは、いずれ結婚するということで、好きという気持ちだけで簡単に答えを決められるものじゃないことは知っている。
 それでもイリーナさんは、兄さまと一緒にいる未来を選んでくれるんじゃないか、とわたしは期待している。
 兄さまは誰よりもイリーナさんのことを大切にするだろうし、幸せにしようと努力するはず。
 そんな兄さまの想いに応えてほしいと、兄さま贔屓のわたしは願ってしまう。
 兄さまの想いが叶うのか。それは今日、決まるんだろう。

 兄さまの一世一代の大舞台、ともなればわたしもやっぱりそわそわしてしまう。
 父さまや母さまなんかは普通にしているけれど、それはやっぱり年の功というやつなのか。
 友だちと話しているように見えて、イリーナさんのことばかり気にしている兄さまは、本当にわかりやすい。
 本当はイリーナさんがこの場に現れたとき、すぐに兄さまは彼女の元に向かおうとしていた。
 そんなときに友だちに声をかけられてしまって、タイミングを逃してしまった。
 兄さま、優柔不断なところがあるからなぁ。ちゃんと今日、プレゼント渡せるのかな?
 さっきから動こうとしない兄さまを見ながら、わたしは心配になった。

「大丈夫なんでしょうかね」

 紅茶を飲んで気を落ち着かせながら、わたしはそうつぶやく。
 独り言のようなものだったけど、隣に座るジルには聞こえていたらしく、苦笑を返された。

「どうにかするでしょ、アレクなら」
「そう思いたいです」
「本当に無理そうなら、助け舟を出してくれるだろうしね」
「誰がですか?」

 よくわからないジルの言葉に、わたしは首をかしげる。

「本人が」

 そう言ったジルの見つめる先には、今日の主役、イリーナさんがいた。
 イリーナさんが、助け舟を出す?
 どういう意味だろうと思っていると、ちょうど視線の先のイリーナさんが動いた。
 お祝いの言葉も一段落ついたようで、周りの人がさっきより少なくなっていた。
 それをちょうどいいと思ったのか、イリーナさんは頭を下げてその場を外し、そのまま彼女は……。

「アレクさん!」

 ためらうことなく、兄さまの元へと向かった。
 そのことに、近くにいた人たちの視線が兄さまとイリーナさんに向く。
 元々今日の主役であるイリーナさんはみんなの注目を集めていたんだから、当然のこと。

「……イリーナ。誕生日おめでとう」
「ありがとうございます!」

 緊張しながらも兄さまはなんとか祝いの言葉を口にした。
 それに笑顔で応えるイリーナさんは春の精のように可憐で、まぶしい。
 きっと兄さまもそう思っているんだろう。緊張を少しだけやわらげ、その顔には笑みが浮かんでいる。

「……その」

 何かを言おうと、兄さまは口を開く。
 けれど土壇場で勇気が出ないのか、その口から続きは紡がれない。
 兄さまがんばれ! とわたしは心の中で必死にエールを送った。

「どうかしましたか?」

 不思議そうに兄さまを見るイリーナさん。
 兄さまはその視線を受けながら、上着の内ポケットに手を伸ばす。
 そこから取り出したのは、手のひらにすっぽりと隠れるサイズの箱。
 それがどういったものなのか、イリーナさんは理解したんだろう。
 思いきり目を見開いて、ついで頬を真っ赤に染めあげる。

 兄さまはイリーナさんの手を取って、その手のひらに口づけを落とした。

「この先も俺と共にありたいと思ってくれるなら、受け取ってほしい」

 よく言った! とわたしは拍手喝采したい気持ちになった。
 これで、兄さまのプレゼントがそういう意味のものなんだと、イリーナさんにも周りのみんなにもはっきり伝わったはず。
 イリーナさんの次の反応を、誰もが固唾を飲んで見守っている。

 プレゼントを受け取ってその場で身につければ、承諾。
 受け取るだけで何もしなければ、保留。
 受け取らずにつっ返せば、拒否。
 とはいえ受け取らないという選択肢はよほどのことがないかぎり選ばれない。
 相手の面目を潰したいだとか、本当に最悪な相手だとかって場合だけ。

 イリーナさんは、兄さまに口づけられたほうの手を差し出す。
 プレゼントをください、とばかりに。
 兄さまはその手にそっと小箱を乗せた。

「あけてもいいですか?」

 真っ赤な顔に笑みを浮かべて、イリーナさんは兄さまに確認する。
 プレゼントの中身を見るということは、身につける意志があるということ。

「君がそれを望むなら」

 兄さまの言葉に、イリーナさんは一つうなずく。
 それから小箱をあけ、中に入っていた指輪を取り出す。

「つけてくれますか」

 兄さまは指輪を受け取り、イリーナさんの左手の薬指にはめる。
 この世界……少なくともこの国には、左手の薬指に特別な意味はない。
 ジルがそうだったように、プロポーズのときに贈るアクセサリーは、指輪と決まっているわけじゃない。
 それでも兄さまは、前世の記憶からそれ以外に思いつかなかったんだろう。
 自分の知っている中で一番特別な贈り物を、と思ったんだろう。
 イリーナさんの左手の薬指にはまった指輪は、二人の愛情を証明するかのように輝いている。

 しあわせそうなイリーナさんの笑顔に、わたしも自然と笑みがこぼれる。
 大丈夫だとは思っていたけど、無事にプロポーズが受け入れられて、わたしはほっとしていた。
 よかった。心からそう思った。
 兄さまとイリーナさんは、これで婚約者となる。
 今日のパーティーの出席者全員がその証人。

 ふと隣に目をやると、ジルは祝福するように、どこかうらやましそうに兄さまを見ていた。
 視線に気づいたのかわたしと目を合わせ、やわらかく笑む。

「お祝いを言いに行こうか」
「そうですね」

 ジルの提案は悪くないもので、わたしはうなずいて席を立つ。
 兄さまとイリーナさんにおめでとうと言い、ありがとうと返されながら。
 来年はわたしの番だろうか、とぼんやり考える。

 誕生日にプロポーズする場合、こうして周囲のみんなが証人になる。
 想いを告げたこと。想いを受け入れられたこと。二人が、想い合っているということの。
 そう考えてみると、過去のジルのプロポーズは正式なものじゃなく、プロポーズもどきでしかなかったということになる。
 子どものわたしに正式なプロポーズをしたら、それこそ問題だから当たり前といえば当たり前。
 もどきだったとしても、受け取ったという事実は変わらないのだけれど。
 保留にされたままの答えは、きっと来年、返さないといけなくなる。


 その時に出す答えは、いまだに決まらない。



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