次のガーデンパーティーの日。
リゼと話していると、わたしに向けられる物問いたげな視線に気づく。
わたしは一つため息をついて、リゼと別れ、その視線の主へと近づいていく。
「こんにちは、ジル」
「……やあ、エステル」
ジルはいつもどおりの笑みを浮かべることに失敗したのか、形容しがたい表情をしていた。
口端は上がっているのに、笑っているようには見えない。
動揺が表に出ているジルに、わたしはしょうがないなと苦笑する。
聞きたいことがあるんだろうに、何を遠慮しているんだか。
それとも答えが怖くて聞けないんだろうか。
「断りましたよ」
先回りして、わたしは答える。
ジルは目を見開く。
「どうせジルのことですから、知っていたんでしょう?」
前のガーデンパーティーで、数日後にローリーが家に来ると、ジルに話の流れで言っていた。
その時の何か言いたそうな顔は、今思えばローリーの想いを知っていたからなんだろう。
だから彼が家に来ると知って、告白するつもりなんじゃと思ったんだろう。
ローリーに想いを告げられてから、わたしは一つ納得したことがある。
推測でしかないけど、少し前にジルの様子をおかしくさせた噂は、たぶんローリーのことなんじゃないかな、と。
二年近く前、都でリュースとのことで嫉妬されたときを思い出す。
リュースとわたしの年が近く、『お似合い』に見えることにジルは引っかかっていたようだった。
普段はそんなふうには見えないけど、わたしと年が離れていることをジルなりに気にしているんだろう。
図らずもリュースとローリーは同い年。ジルにとってはきっと地雷。
「そ、っか……」
ジルは気の抜けたような顔をしている。それは安堵の表情にも見えた。
よかった、と小さくつぶやいてから、重苦しいため息をつく。
「ごめん。本当なら喜ぶべきじゃないのに」
「そうですか? わたしが言うのも変ですが、恋敵が振られた場合に喜ぶのは普通じゃないかと」
言いながら、わたしは顔をしかめる。
相手の好意を前提に話すのは、なんだかいい気になっているようで好きじゃない。
いまだにわたしのどこがよかったんだろうと思ったりはする。ローリーも、今まで告白してくれた人たちも。
だからって相手の想いを否定することも失礼だろうしで……ほんと、こういうのは難しい。
「うまくは、言えないんだけど。僕はずっと、こうなってくれることを望んでいて。それは、君の選べる一つの道を、君の幸せを否定することで。誰かに取られたくないと思いながら、そう思ってしまう自分のことがひどく醜く感じられたんだ」
まるで懺悔するように、ジルは自分の心中を語る。
初めて聞くことだけれど、別に驚くことも、不快に思うこともなかった。
「人間って、えてしてそういうものだと思いますよ」
少なくとも、わたしはそう思う。
わたしだってイリーナさんの存在を知ったとき、やっぱりうらやましいと思ってしまった。
もし兄さまが兄じゃなかったら。恋をしても許される相手だったら。
そう考えてしまったことは一度や二度じゃない。
兄じゃなかったら、そもそも前世を共有することもなかったんだろうけど。
そうしたら恋をしたかなんてわからない。前提からして崩れてしまう。
それでも、理屈じゃ説明できない醜い感情は、消してしまうことはできなかった。
「僕は、君が幸せならそれでよかったはずなのに……」
じっと、ジルはわたしを見つめる。
その視線を受けながら、わたしは考える。
ただ相手の幸せだけを願うなんて、それは恋と呼べるんだろうか?
「本当に?」
「ひどいな。疑うの?」
そう言って少しだけジルは笑った。自嘲気味ではあったけれど。
「その言葉を信じるには、普段のジルの行動は行きすぎてます」
「自分に正直なだけだよ。エステルの幸せを一番に願っていることは本当」
「……そうですか」
嘘には聞こえなかったから、とりあえず納得しておく。
うまく言ったもんだな、とは思ったけど。
「でも、わからなくなってくるな。僕以外の誰かとの幸せだとしたら、壊したいと思ってしまいそうな自分が怖い」
ジルはくしゃりと顔をゆがめる。
泣きそうにも見える表情。海の色の瞳は、波を立てるように揺れている。
どうしてジルがそんな顔をするのか、わたしにはわからない。
自分が悪だとでも思っているんだろうか。
わたしからすれば、ジルの考え方は当然なように思える。
見ていられるだけでしあわせ、というのも一つの恋ではあるけれど、たいていはもっと深い欲が絡む。
一緒にいたい。自分を好きになってほしい。他の人を見ないで。
恋は甘いだけじゃない。強くて切ない思いがあってこその恋愛なんだろう。
前世と現世でわたしが知っている恋というのは、そういうものだ。
「いつから僕はこんなによくばりになったんだろうね」
「最初からじゃないですか? だって、人ってそういうものでしょう」
それが普通なんだと、わたしは思う。
ジルは人間ではなかった前世があるから、戸惑っているのかもしれない。
欲というものを知らなかった記憶が残っているから、自分の感情が醜く思えるのかもしれない。
「君に出会って、僕は欲を知ったんだ」
ずっと独りでいた狭間の番人は、光里に出会って変わり、わたしに出会って人間らしくなった。
今はもう、ジルは狭間の番人じゃない。
残滓のような記憶を持った、ジルベルトという一人の青年。
人間らしく恋をして、人間らしく欲に惑う。
その変化を与えたのは……わたし、なんだ。
「ねえ、エステル」
ジルはわたしの名前を呼んで、手を伸ばしてきた。
その手はわたしの髪を絡め取り、すっと引いた。
長い髪がジルの指の間を通って、わたしの背に戻っていく。
まるで、わたしの心はまだ、ジルの元にはないことを表すように。
「叶うことなら僕の手で君を幸せにしたい」
「別にわたしは、誰かにしあわせにしてほしいなんて思っていません。ちゃんと自分でしあわせになります」
今だって、家族がいて友だちがいて、しあわせじゃないわけじゃないし。
しあわせっていうのは、自分で築いていくものだと思っている。
恋をする相手がジルだろうと、他の誰かだろうと、わたしはちゃんとしあわせになる。
わたしはそういう心意気でいた。
「僕はその障害にならない?」
「なりませんよ」
不安そうなジルに、わたしは断言した。
どれだけジルが邪魔をしようと、わたしは根性でしあわせになってやる。
それに……なんだかんだで、ジルはわたしに甘い。
本当にわたしのしあわせの邪魔をすることはないだろうと、なぜだか信じられた。
「なら、傍にいさせて」
願いというには必死な、懇願。
ダメだと言ったらどこか遠くに消えていってしまいそうな、そんなはかない笑みを浮かべている。
まったく、これだからジルは面倒だ。
どうしてこんなに……まっすぐ、わたしに想いをぶつけてくるんだろう。
受け取ることは、まだできないというのに。
「……断り入れなくたっていつも傍にいるじゃないですか」
ため息混じりに、わたしはそれだけ言った。
婉曲的にしか、傍にいてもいいのだと、伝えられない。
はっきり伝えてしまえば、それはそのまま答えになってしまうから。
あいまいな言葉しか選べない自分が、少し嫌になった。