五十八幕 同列に並べていない

 少しずつ暖かくなってきて、少しずつ春に近づいていって。
 モモが咲き始める時期、わたしはローリーに告白された。

「エシィ、君をエステルと呼ばせてもらえないかな?」

 どういう意味、なんて聞かなくてもわかった。
 名前を呼ぶ。その行為にどんな感情が込められているかなんて、この国に住んでいるなら誰だって知っている。
 相手のことが好き、ということ。ド直球ストレートな告白。

 最初は、冗談だろうかって思った。
 ドッキリか何かなんじゃないかって。
 罰ゲームとかでむりやり言わせられてて、実は物陰に誰か潜んでるんじゃとか。
 でも、ローリーの穏やかな瞳の色を見たら、疑う気持ちはすっかり消えてしまった。
 こんなこと、人のいいローリーが冗談で言うわけない。
 そもそもここは我が家の庭で、ガーデンパーティー中でもないのに他に人がいたりしたら不法侵入だ。

 冗談じゃないなら、これは本気の告白ってことなんだろうけど。
 ……てっきりローリーはリゼのことが好きなんだと思い込んでたんだよね。
 ちゃんと本人に確認したことはなかったし、リゼのことを好きな人は他にもいたから、誰のお手伝いをする気もなくて、おせっかいを焼いたこともない。
 けっこういい雰囲気なんじゃないかって、勝手に思ってたんだけど。
 全部わたしの勘違いだったってこと、だよね。
 自分ではそれなりに敏いつもりでいたんだけど、見当違いもはなはだしい。恥ずかしすぎる。

 本気ですか? なんて聞いたら、きっとローリーを傷つける。
 だからわたしは、答えを口にするしかない。
 告白を受けるか断るか、の答えを。

「……ごめんなさい」

 わたしはローリーと目を合わせていられなくて、頭を下げた。
 深く考えることなく、答えはあっさり出た。
 ローリーのことは好き。だけど、あくまで友だちとして。
 それが変わることは、きっと一生ない。
 そう、わたしの直感が告げていた。

 ローリーは優しい。一緒にいて安らぐし、もし付き合うことになれば支え合っていけるとも思う。
 でも、わたしのそれは恋愛感情なんかじゃない。
 同じだけの想いを返せないなら、告白を受けてはいけないんだ。
 そうしないと、ローリーに失礼だから。

「うん。わかった。僕こそごめんね」

 答えはわかっていた、とでもいうように、ローリーは微笑んだ。
 それが余計に、わたしの罪悪感をあおった。

「君にはジルベルトさんがいるから、無理だってことはわかってたんだ。それでも、僕の気持ちを伝えておきたくて……」
「あの、ジルとのことは誤解です」

 ローリーの言葉を思わずわたしはさえぎった。
 まさかローリーまで噂を信じているとは。
 噂は真っ赤な嘘だって、親しい人たちにはちゃんと説明したはずなのに。
 ローリーだってちゃんと聞いていたはずだ。何しろ彼の場合、自分から確認してきたんだから。

「君はそのつもりなんだろうけどね」

 苦笑を浮かべるローリーが何を言いたいのか、わたしにはわからない。

「そのつもりも何も、ジルとの間には何もありません」
「何もない……ってことはないよね。本当に何もないなら、エシィはもっときっぱり否定するはずだよ」
「きっぱり、してませんか?」

 妙に強気なローリーに、わたしは首をかしげてしまう。
 自分としてはわかりやすく意思表示しているつもりなんだけれど。
 周りから見るとそうでもないんだろうか。

「噂を放置している時点で、していないね」
「それは……」

 いくらわたしが否定したところで、ジルがあの調子じゃ噂は消えてくれないから。
 さわらない約束をしてからも、相変わらずジルはわたしにかまうし、周りもそれを当然のようにしている。
 そんな状況で、放置する以外にどうすればいいっていうんだろう。

 ジルの待つという言葉が、いつまでのものなのかはわからない。
 けれど、少なくともわたしは、成人するまでという意味を込めて、待っていてほしいと言ってしまった。
 だから今すぐジルの想いを拒むことはできない。
 ローリーや他の人たちのように、ごめんなさい、と終わらせることはできない。

 認めたくはないけれど、これもある意味特別扱いなんだろう。
 今までに告白してくれた人たちと、ジルを同列に並べていないんだ。
 だってジルは、元は狭間の番人で。
 ずっとずっと、一人で寂しい思いをしてきて。
 光里の言葉だけが救いで、それがあったからわたしに執着していて。
 わたしを……誰よりも強く深く、想ってくれているから。

「わたしは、ジルを好きなわけじゃありません」

 事実のはずの言葉は、言い訳めいた響きを持った。

「でも、ジルベルトさん以上に好きな人もいないんじゃないかな」

 一瞬、兄さまの影がちらつく。
 それはすぐに、失恋を抱きしめて慰めてくれたジルに変わった。
 わたしはそのことにぎょっとした。
 いつのまにか、あんなに好きだった兄さまと同じくらいの位置に、ジルがいた。
 特別、ではない。まだそこまで想いは育っていない。
 でも、もしかしたら。
 一番……なのかもしれなかった。

「……ローリー」

 恐ろしいことに気づかせられて、わたしは恨みがましくローリーの名をつぶやく。

「ごめん。いじめたいわけじゃないんだ。ただ、少しジルベルトさんがかわいそうで」
「わたしが言うのも変ですが、恋敵なんじゃないんですか?」
「そうだね。でも、同志でもある」

 ローリーの言葉に、わたしは目を丸くした。
 わたしが前にアンに言ったようなことをローリーが口にしたから。
 そうだ、こういう人だった。
 たまに発想が似ていたりして、不思議と波長が合って。
 損をしても気にせず笑っているようなお人好し。
 そんな彼と一緒にいるのは楽で、少し心配になったりもして。
 でもローリーは、そんな他人の心配すらも包み込んでしまうような人だった。

「ローリーは相変わらず、お人好しですね」

 わたしにはもったいない人だと思う。
 誰よりもローリーのことを愛してくれる人と、幸せになってほしい。
 心からそう思った。

「そんなことないよ。好きな人に幸せになってほしいのは、当たり前のことでしょ?」
「そういうところがお人好しなんです」

 そうかな、とローリーはきょとんとした顔をしている。
 自分の長所というものは、本人にはよく見えないものらしい。
 そんなところがローリーのよさでもあるので、そうですよ、と肯定してわたしは笑った。

「……ジルに甘えているところは、たしかにあります。その自覚はあります」

 兄さまに失恋して、その胸で泣かせてもらったときから。
 少しずつ、少しずつ、ジルはわたしの心を占めるようになっていった。
 甘やかされて、それをつっぱねながらも、心の深い部分では支えられてしまっていて。
 なんだかんだで、わたしはジルの好意に甘えてしまっている。

「好きかどうかは、まだわからない?」

 ローリーの言葉にわたしはうなずく。
 兄さまや、前世の恋人を想っていた気持ちとは、まだ違う。
 だからといって、将来好きにならないかどうかも、わからない。

「そうですね。猶予いっぱいまで、考えようと思います」
「大人になるまで、ね。やっぱりよかった、先に告白して」
「どうしてですか?」

 振られたのに、何がよかったと言うんだろう。
 不思議に思って聞いてみると、だって、とローリーは苦笑する。

「エシィが大人になるのを待っていたら、きっと告白する機会なんてもらえなかっただろうから」

 言葉の意味を理解するまでに、数秒時間がかかった。
 ジルがそれを許さない。とそういうことだろうか。
 ローリーの言い方では、わたしが大人になったらジルと恋仲になるから、とも取れてしまう。

「……どうなんでしょうね」

 答えに困ったわたしは、そうあいまいにごまかした。


 絶対にありえないと否定することも、今ではできなくなってしまったから。



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