少しずつ暖かくなってきて、少しずつ春に近づいていって。
モモが咲き始める時期、わたしはローリーに告白された。
「エシィ、君をエステルと呼ばせてもらえないかな?」
どういう意味、なんて聞かなくてもわかった。
名前を呼ぶ。その行為にどんな感情が込められているかなんて、この国に住んでいるなら誰だって知っている。
相手のことが好き、ということ。ド直球ストレートな告白。
最初は、冗談だろうかって思った。
ドッキリか何かなんじゃないかって。
罰ゲームとかでむりやり言わせられてて、実は物陰に誰か潜んでるんじゃとか。
でも、ローリーの穏やかな瞳の色を見たら、疑う気持ちはすっかり消えてしまった。
こんなこと、人のいいローリーが冗談で言うわけない。
そもそもここは我が家の庭で、ガーデンパーティー中でもないのに他に人がいたりしたら不法侵入だ。
冗談じゃないなら、これは本気の告白ってことなんだろうけど。
……てっきりローリーはリゼのことが好きなんだと思い込んでたんだよね。
ちゃんと本人に確認したことはなかったし、リゼのことを好きな人は他にもいたから、誰のお手伝いをする気もなくて、おせっかいを焼いたこともない。
けっこういい雰囲気なんじゃないかって、勝手に思ってたんだけど。
全部わたしの勘違いだったってこと、だよね。
自分ではそれなりに敏いつもりでいたんだけど、見当違いもはなはだしい。恥ずかしすぎる。
本気ですか? なんて聞いたら、きっとローリーを傷つける。
だからわたしは、答えを口にするしかない。
告白を受けるか断るか、の答えを。
「……ごめんなさい」
わたしはローリーと目を合わせていられなくて、頭を下げた。
深く考えることなく、答えはあっさり出た。
ローリーのことは好き。だけど、あくまで友だちとして。
それが変わることは、きっと一生ない。
そう、わたしの直感が告げていた。
ローリーは優しい。一緒にいて安らぐし、もし付き合うことになれば支え合っていけるとも思う。
でも、わたしのそれは恋愛感情なんかじゃない。
同じだけの想いを返せないなら、告白を受けてはいけないんだ。
そうしないと、ローリーに失礼だから。
「うん。わかった。僕こそごめんね」
答えはわかっていた、とでもいうように、ローリーは微笑んだ。
それが余計に、わたしの罪悪感をあおった。
「君にはジルベルトさんがいるから、無理だってことはわかってたんだ。それでも、僕の気持ちを伝えておきたくて……」
「あの、ジルとのことは誤解です」
ローリーの言葉を思わずわたしはさえぎった。
まさかローリーまで噂を信じているとは。
噂は真っ赤な嘘だって、親しい人たちにはちゃんと説明したはずなのに。
ローリーだってちゃんと聞いていたはずだ。何しろ彼の場合、自分から確認してきたんだから。
「君はそのつもりなんだろうけどね」
苦笑を浮かべるローリーが何を言いたいのか、わたしにはわからない。
「そのつもりも何も、ジルとの間には何もありません」
「何もない……ってことはないよね。本当に何もないなら、エシィはもっときっぱり否定するはずだよ」
「きっぱり、してませんか?」
妙に強気なローリーに、わたしは首をかしげてしまう。
自分としてはわかりやすく意思表示しているつもりなんだけれど。
周りから見るとそうでもないんだろうか。
「噂を放置している時点で、していないね」
「それは……」
いくらわたしが否定したところで、ジルがあの調子じゃ噂は消えてくれないから。
さわらない約束をしてからも、相変わらずジルはわたしにかまうし、周りもそれを当然のようにしている。
そんな状況で、放置する以外にどうすればいいっていうんだろう。
ジルの待つという言葉が、いつまでのものなのかはわからない。
けれど、少なくともわたしは、成人するまでという意味を込めて、待っていてほしいと言ってしまった。
だから今すぐジルの想いを拒むことはできない。
ローリーや他の人たちのように、ごめんなさい、と終わらせることはできない。
認めたくはないけれど、これもある意味特別扱いなんだろう。
今までに告白してくれた人たちと、ジルを同列に並べていないんだ。
だってジルは、元は狭間の番人で。
ずっとずっと、一人で寂しい思いをしてきて。
光里の言葉だけが救いで、それがあったからわたしに執着していて。
わたしを……誰よりも強く深く、想ってくれているから。
「わたしは、ジルを好きなわけじゃありません」
事実のはずの言葉は、言い訳めいた響きを持った。
「でも、ジルベルトさん以上に好きな人もいないんじゃないかな」
一瞬、兄さまの影がちらつく。
それはすぐに、失恋を抱きしめて慰めてくれたジルに変わった。
わたしはそのことにぎょっとした。
いつのまにか、あんなに好きだった兄さまと同じくらいの位置に、ジルがいた。
特別、ではない。まだそこまで想いは育っていない。
でも、もしかしたら。
一番……なのかもしれなかった。
「……ローリー」
恐ろしいことに気づかせられて、わたしは恨みがましくローリーの名をつぶやく。
「ごめん。いじめたいわけじゃないんだ。ただ、少しジルベルトさんがかわいそうで」
「わたしが言うのも変ですが、恋敵なんじゃないんですか?」
「そうだね。でも、同志でもある」
ローリーの言葉に、わたしは目を丸くした。
わたしが前にアンに言ったようなことをローリーが口にしたから。
そうだ、こういう人だった。
たまに発想が似ていたりして、不思議と波長が合って。
損をしても気にせず笑っているようなお人好し。
そんな彼と一緒にいるのは楽で、少し心配になったりもして。
でもローリーは、そんな他人の心配すらも包み込んでしまうような人だった。
「ローリーは相変わらず、お人好しですね」
わたしにはもったいない人だと思う。
誰よりもローリーのことを愛してくれる人と、幸せになってほしい。
心からそう思った。
「そんなことないよ。好きな人に幸せになってほしいのは、当たり前のことでしょ?」
「そういうところがお人好しなんです」
そうかな、とローリーはきょとんとした顔をしている。
自分の長所というものは、本人にはよく見えないものらしい。
そんなところがローリーのよさでもあるので、そうですよ、と肯定してわたしは笑った。
「……ジルに甘えているところは、たしかにあります。その自覚はあります」
兄さまに失恋して、その胸で泣かせてもらったときから。
少しずつ、少しずつ、ジルはわたしの心を占めるようになっていった。
甘やかされて、それをつっぱねながらも、心の深い部分では支えられてしまっていて。
なんだかんだで、わたしはジルの好意に甘えてしまっている。
「好きかどうかは、まだわからない?」
ローリーの言葉にわたしはうなずく。
兄さまや、前世の恋人を想っていた気持ちとは、まだ違う。
だからといって、将来好きにならないかどうかも、わからない。
「そうですね。猶予いっぱいまで、考えようと思います」
「大人になるまで、ね。やっぱりよかった、先に告白して」
「どうしてですか?」
振られたのに、何がよかったと言うんだろう。
不思議に思って聞いてみると、だって、とローリーは苦笑する。
「エシィが大人になるのを待っていたら、きっと告白する機会なんてもらえなかっただろうから」
言葉の意味を理解するまでに、数秒時間がかかった。
ジルがそれを許さない。とそういうことだろうか。
ローリーの言い方では、わたしが大人になったらジルと恋仲になるから、とも取れてしまう。
「……どうなんでしょうね」
答えに困ったわたしは、そうあいまいにごまかした。
絶対にありえないと否定することも、今ではできなくなってしまったから。