四十一幕 空が、きれいですね

 わたしが生まれる前の話。
 現大公さまの弟君は、実の兄と甥を弑しようとしたらしい。
 自分が次の大公となるために。
 そんな、よくある話。
 平和なプリルアラートでも、そういった事件がないわけじゃなかった。

 幸いなことに計画がどこからかもれ、暗殺は未遂で終わった。
 大公さまの弟君は十年以上も経った今も、都で監視されながら生活をしている。
 その一人娘が、イリーナさん。
 どうしてこんなところにいるのか、という疑問は、父さまが教えてくれた。

 未遂とはいえ、国主に反逆した父を持つイリーナさんは、都に身の置き場がなかった。
 持ち前の朗らかさでなんとか乗りきっていたけれど、大公さまも、イリーナさんと特に仲のいい同い年の第二公女さまも、前からどうにかできないものかと気をもんでいたらしい。
 地方の貴族に嫁に行かせる、という案があったものの、イリーナさんは難しい立場にいる。嫁いでいった先で冷遇されては今以上にひどくなる。
 誰かに嫁ぐにせよ、どこかの家の養子になるにせよ、本人が幸せになれなければ意味がない。
 そんなときにイリーナさんが出会ったのが、兄さまだ。

 都にいたとき、兄さまはイリーナさんをラニアに来ないかと誘っていたらしい。
 ラニアは田舎だけれどいいところだと。誰も君の生まれなど気にしないと。
 すごいな、兄さま。積極的だ。
 でも、嫁に来ないかと言わないあたりが兄さまらしい。
 イリーナさんは断りつつも、兄さまの言葉に興味を引かれた。
 その後わたしたちはラニアに戻ってしまったわけだけれど、兄さまとのつながりは手紙で続いた。
 そしてとうとう決心したイリーナさんは、大公さまの許しを得て、ラニアの公家に行儀見習いという名目で身を寄せることになったらしい。

 父さまも昨日、公家の当主さまに聞いただとかで、かなり急なお話のようです。
 イリーナさんは思い立ったら即行動派なのかな。
 思い立つまではけっこう頑固なのかもしれない、と話を聞いていて思った。
 今回は、半年近く手紙で口説いてきた兄さまのねばり勝ちということか。
 さすが兄さま。距離があっても兄さまならどうにかすると信じていました。

 兄さまとすぐに結婚するだとか、婚約するだとかという話ではどうやらないようで、しばらくは様子見って感じらしい。
 イリーナさんも大公さまに説明するとき、兄さまが好きだからとかっていう言い方はしなかったんだろうな。
 恥ずかしいからというより、それだけを理由にここに来るのはおかしいと思ったんじゃないだろうか。
 ラニアは、どうしたって都と比べたら田舎も田舎。
 ただ好きな人の傍にいたいから、というだけで都の人が移り住むのは大変だ。
 イリーナさんなりに考えて、それでもラニアに来たい。と思ったからここにいるんだろう、とわたしは理解した。
 少ししか話していないけれど、はちみつ色の瞳には、芯の強さが垣間見えたから。

 公家からイリーナさんを案内してきた人をもてなしながら、わたしは庭にいる二人を思った。
 兄さまは今ごろどんな顔をしているだろうか。ちゃんと話せているだろうか。
 イリーナさんは兄さまのどこが好きなのかな。そもそも好きだってことを自覚しているのかな。
 思考は次々に移り変わって、どこか落ち着かない心地にさせる。
 何かを考えていないと、他の、あまりよくないことを考えそうになってしまうからかもしれなかった。
 それでも、二人の幸せを願う気持ちに、嘘はなかった。



 それから、少しして兄さまとイリーナさんが戻ってきた。
 シュア家みんなでイリーナさんを歓迎して、イリーナさんはとてもきれいな笑顔を見せてくれた。
 兄さまはずっとイリーナさんの隣にいて、イリーナさんの言葉にあわてたり、イリーナさんを愛おしそうに見つめたり、わたしが知らなかった顔をたくさん見せてくれた。
 お似合いだなぁ、とわたしは素直に思えた。

「今日はありがとうございました」

 暗くなってきた空の下、イリーナさんはわたしたちに頭を下げる。
 名残惜しそうなイリーナさんに、もう少しいてくれても、なんて思わず言いたくなった。

「またお越しください。歓迎します」
「今度、一緒にお菓子を作りましょう? エステルと三人で!」
「はい、楽しみにしています」

 父さまと母さまの言葉に、イリーナさんはうれしそうな顔をする。
 その笑顔はキラキラとしていて、とても魅力的だった。

「アレクさん……」

 イリーナさんの瞳が、兄さまにだけ向けられた。
 何かを言おうとしているのか、何か言ってほしいのか。
 期待と不安の入り混じった視線と声だった。

「サクラはここでは咲かないが、ここにしかないものもある。ラニアの良さを知ってほしいと、教えていきたいと思う」

 しっかりとした声で、兄さまは語る。
 かたいなぁ、兄さま。でもそこが兄さまらしい。
 わたしと同じようなことを思ったのか、イリーナさんは頬をゆるめてうなずいた。

「大丈夫です。もう、三つも知っています」
「三つ、ですか?」

 なんだろう、とわたしが問いかけると、イリーナさんは得意げな笑みを見せる。

「素敵な人たちがいて、素敵な花が咲いています。あと」

 そこで言葉を切って、空を仰いだ。
 夜が始まりかけている空には、数えきれないほどの星がまたたいていた。

「空が、きれいですね」

 その言葉に、ふと、前世での婉曲的な口説き文句を思い出した。
 愛している、と普通なら訳される言葉を、月がきれいだと訳した人がいた。
 これを聞いたとき、同じ情景を一緒に見て、一緒に感動できる存在というのは特別なんだろうと、光里は解釈した。
 なんでそれを今思い出したのかはわからない。


 ただ、二人にはお似合いの愛の言葉だと、そう思った。



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