三十九幕 それでも君が好きなんだ

 次の年は外せない用事が入って、当日に祝うことができなかったためプレゼントは渡さなかった。
 その次の年はネックレス。そのまた次の年は髪飾り。
 どれもエステルは一度も身につけたことはない。
 プレゼントを身につけるということはプロポーズを承諾したことになるのだから、当然といえば当然か。
 きっと、箱の中から出してすらいないだろう。
 それでもかまわなかった。ただ僕は、自分の想いの強さを知ってほしいだけだったから。

「おまえの態度もそろそろ冗談ではすまなくなってきたな」

 勉強会のあと、一緒に取ることになった夕食までの時間をアレクの部屋で過ごしていたら、本を読んでいたはずのアレクにため息混じりに言われた。
 十二歳になったエステルは、だんだんと性を感じさせる身体つきになっていっていた。
 手足はスラリと伸び、身体は子どものものではないやわらかみをおびていく。
 同年代よりも落ち着いている分、大人びて見えるせいもあるだろう。
 エステルを見る男の目の色も変わり始めている。
 僕のエステルへの口説き文句も、友だちの妹をかわいがるものではなく、本来の意味を取り戻す。

「最初から冗談なんかじゃないからね」
「わかっている。周りから見たらということだ」

 エステルが小さな幼女だったころから、僕は彼女を口説いてきていた。
 当然それを本気に捉える者などほとんどおらず、ただの冗談、あるいは女よけのカモフラージュだと思われていたようだった。
 このままエステルが成長すれば、誰もが僕の本気を知るだろう。
 美しく成長した少女を口説かずにはいられない男なんて、僕以外にもいくらでも現れるだろうから。

「周りがどう見ているかなんてどうでもいい。本人に信じてもらえないことだけがつらいよ」

 僕は行儀悪くテーブルにつっぷした。
 他の男にエステルを取られるわけにはいかない。
 彼女の魅力に気づく男が現れる前に、自分を好きになってほしい。
 けれど現状は、好きになってもらうどころかその真逆。
 自分の言葉を信じてもらうこともできず、彼女はアレク以外を見ようともしない。
 そのくせ猫っかぶりゆえに交友関係は広く、最近はなぜか僕に好意を持っているはずのエレとも仲良くなっている。
 これで他の女との仲を取り持たれでもしたら、立ち直れるかわからない。

「エステルはまだ子どもだからな」
「そんなの、関係ないのに」
「そう思っているのはおまえだけだ」
「一応、それは理解しているつもりなんだけど」

 十二歳は、世間一般的には子どもだ。
 いくら僕にとってエステルが特別で愛しい存在だとしても、周りもエステル本人も、大人と子どもという線引きをしてしまう。
 それが普通なのだということは、二十年も人として生きていれば当然理解している。
 たとえ正式に婚約できる年齢とはいっても、それはあくまで家同士の約束事でしかないのだから。

「なら、待てばいいだろう。エステルが大人になるまで」
「これが僕の待ち方だよ」

 アレクの常識的な言葉に、けれど僕は開き直って断言する。顔を上げて堂々と。
 僕のすべてで想いを伝えていくと、初めてエステルを胸に抱いた日に誓ったのだ。
 今さらその意思をくつがえそうとは思わない。

「……エステルも苦労するな」

 呆れたような声音で、同情するとばかりにアレクは言う。
 それはただ妹を大事に思う兄としての言葉で。
 そのことに安堵しながらも、自分の入り込めない絆に心が逆立った。

「僕はね、アレク。本当を言うと、君にエステルをきっぱり振ってもらいたいと思っているんだよ」

 アレクはぎょっとしたように目を見開く。
 持っていた本を取り落とし、ぱたんとテーブルの上で本が閉じる。
 それをもう一度手に取りながら、開こうとはしないでもてあますアレクは、明らかに動揺している。

「振るも何も……」
「気づかないほど君は鈍くない。僕にすら知らぬふりを通せるほど器用でもないよね」

 にこりと微笑みかければ、アレクの表情が困ったようにくずれる。
 もう一押し、だろうか。

「中途半端な優しさは余計にあの子を傷つけるよ。もっとも、つけられた傷すら愛おしいのが、恋というものだけれど」

 それこそ、僕のように。
 エステルの冷たい言葉やおざなりな態度に、どれだけ傷つけられたって想いは深まるばかり。
 変態、とエステルが言うのもあながち間違いではないのかもしれない。
 アレクは泳がせていた視線を戻し、観念するように息をついた。

「エステルは、妹だ。彼女もわかっている」

 その言葉は、逆に肯定してしまっている。
 自分に向けられたエステルの恋心を知っている、と。
 気づいたのはきっとここ最近のことだろう。エステルは猫っかぶりだ。感情を隠すのがうまい。
 それでも、長く想い続けていればいずれは露見してしまう。彼女も完璧ではないのだから。

「そうだね、わかっていて、それでも君が好きなんだ」

 その思いは報われないものだと、エステルはちゃんと理解している。
 だから一人で抱え、誰にも知られないよう隠している。
 ひっそりと、いつかその恋を終えられるように。

「子どもらしい、かわいい初恋。君たちが普通の兄妹だったなら、それだけですんだんだけど」

 異性の兄弟が初恋相手、ということはこの世界でも珍しくない。
 実際に、実の姉や兄に幼いころ恋をしていたという同級生は数人いた。
 エステルがそういったかわいらしい初恋ですまないのは、前世の記憶があるせいというのが一番大きいだろう。
 だから、六年以上も初恋を引きずってしまっている。

「ジル、おまえは何を危惧しているんだ?」
「危惧とは少し違う。あの子が君への想いをうまく断ち切れるのか、心配なだけ」

 ずっと、しこりのように残ってしまわないだろうか。
 少しのはずみであっさりと開くような傷になってしまわないだろうか。
 エステルには笑っていてほしい。泣いてはほしくない。

「大丈夫だろう。エステルは賢い」

 誰よりもエステルのことを理解しているとばかりにそう言うアレクに、筋違いだとわかっていてもかすかな苛立ちがわき上がってくる。

「あとは単純に面白くない。彼女の愛を一身に受けている君も、僕を見ようともしないエステルも」
「それは……私にはどうしようもないことだ」
「わかってるよ。君だから“面白くない”程度でとどめられてるんだ」

 友人だから。アレクがどんな人間だか知っているから。
 アレクを好きになる気持ちは僕にもわかる。
 結ばれるはずのない実の兄妹だからというのが大きな理由だけれど、他でもない彼だから、僕はエステルの恋を否定せずにいられている。
 嫉妬を覚えながらも、変わらず友人としてあり続けられている。

「本当にエステルのことを守りたいなら、僕の言うことは話半分に聞いておいたほうがいいよ。どうやら恋はきれい事だけではすまないようだから」

 そのことを、もう何年も僕は思い知らされてきた。
 『好きだから』という言葉を免罪符に、暴力的なほどの嫉妬を覚え、抗いがたい欲に悩み、すぎた望みを抱く。
 僕の想いの深さを知ってほしい、と願いながらも、全部知られてしまえば怖がられるかもしれないと不安になるほどに、僕の持つ恋心は純粋なものではない。

「おまえがエステルを傷つけると?」
「可能性はあるね。もちろん大事にしたいという思いのほうが強い。けど、傷ついてほしい、傷つけたいという衝動もたしかにあるんだ」

 笑っていてほしい。泣かないでいてほしい。そう思うのも本心だ。
 けれど自分が泣かせたいとも、消えない傷をつけてしまいたいとも、思ってしまう。
 独占欲と支配欲。自分だけのものにしたいなら、手段を選ぶなとささやく声が身の内から聞こえる。

「僕からあの子を守ってよ、アレクシス」

 心のままに告げれば、すがるような格好悪い声になった。
 格好なんて、気にしてはいられない。
 こんなことを頼まれてもアレクだって困るだろう。それでも言わずにはいられなかった。


 エステルへの想いが深すぎて、今にもおぼれてしまいそうだ。



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