エステルが成長するにつれ、僕は彼女に惹かれていった。
たった年齢一桁の子どもに何を、と今まで培ってきた常識は告げている。
それでも、想いを抑えるなんて無理だった。
心の内をエステルに告げれば、彼女はいつも嫌そうな顔をした。
うざったい、とわかりやすく顔に書いてある。
そんなところも面白くて、もっといろんな表情を見たくて、さらに想いを伝えた。
エステルと過ごす時間は、誰といるより心地よく、特別だ。
一分一秒が光り輝いているように僕には思えた。
狭間の番人が感じた一瞬のひかりよりも、望めば永遠に続くだろう時が、しあわせだった。
僕が十四歳になるころ、エステルがアレクに想いを寄せるようになった。
それに気づいたのは、たぶん当人よりも早いだろう。
ただの兄を見る目じゃない。
僕がエステルに向けるような、思慕のまなざし。
焼けつくような胸の痛みに、僕は嫉妬という感情を知った。
アレクはいい男だと、親友である自分は誰よりも理解している。
好きになってもおかしくない。
兄妹とはいえ、元の魂は双子だったとはいえ、赤の他人だった前世の記憶があるのだから、余計に。
いつのまにか、お互い前世を覚えているのだと確認しあっていたようだし。
前世の話ができる唯一の人ともなれば、接する時間が増えるのは自然。
そして、知ってしまったんだろう。アレクの魅力を。
惹かれずにはいられなかったんだろう。実の兄だとわかっていても。
エステルを想う僕は、抗えない引力というものを身をもって知っている。
胸を焦がす嫉妬は、どうにか耐えた。耐えるしかなかった。
好きだと告げようと信じてもらえない僕には、それ以外にどうしようもなかった。
こっちを見て。アレクを見ないで。
そう思いながらも、大丈夫だ、と心の内でひっそりと笑む自分がいる。
前世があろうと、今の二人は兄妹。結ばれる心配はない、と。
好き、という言葉は便利だ。
ほの暗い感情も、欲望も、すべて覆い隠してくれる。
叶わない恋を哀れに思いながらも、早く終わってしまえばいいと願う。
そうすれば、今度はこちらを向いてくれるだろうか。
いや、向かせてみせる。
僕だけのひかりにしてみせる。
「アレクのこと、好きなんだ?」
ある春の日、僕はそう確信を持って尋ねた。
叶えてはいけない恋だと、思い知らせるために。
他人に気づかれたとなれば、エステルは今以上に慎重になるだろう。
誰にも知られないよう、さらに隠そうとするだろう。
それでいい。その想いは許されるものではないのだから。
案の定、エステルはごまかそうとした。
これはただの兄妹愛だ、と。
僕からしてみれば、兄妹愛だろうと恋情だろうと、アレクに向ける強すぎる想いはうれしくないものだ。
どっちでもいい、とこぼせば、エステルは不可解そうな顔をした。
「君に想ってもらえるなら幸せだろうね」
「またご冗談を」
本心からの言葉を、エステルは一笑に付す。
とりつく島もないその態度に、針で刺されたような痛みを胸に覚える。
「……いつになったら信じてくれるのかな」
吐息と共にそうつぶやけば、目を丸くするエステル。
僕の必死さがほんのわずかながら伝わったのかもしれない。
「こんな子どもを本気で口説いていると思われたくはないでしょう」
思われたくない、もなにも、そのとおりなんだから別にいい。
そう告げれば、気色悪い、とばっさり切られる。
また胸が痛んだけれど、はっきりとした言葉がエステルらしくて、少しだけ笑えた。
拒絶の言葉ですら僕を揺さぶるんだから、やはりエステルは特別だ。
アレクを見ながら、僕はエステルに言葉をかける。
子どもだから信じてくれないなら、大人になるまで言い続ける、と。
僕にとっては今さらなことだ。エステルを好きでなくなるなんて想像もできない。
何年かかろうと、エステルをあきらめるつもりはない。
彼女の隣に他の男が立つなんて、耐えられるわけがない。
エステルがいなければ僕は笑えない。きっと息すらできなくなる。
それくらい、僕の世界はエステルが中心に回っていた。
だから――。
「アレクを好きになりすぎたら駄目だよ」
僕は静かに告げた。
エステルが身を揺らす気配がした。
その想いを許しているのは今だけだ。
いつか、絶対に僕を見てもらう。僕を好きになってもらう。
そうでなければ、僕はこの世界でまた独りになってしまうのだから。
それから三年近く経とうと、相変わらずエステルはアレクを好きなままだった。
一途なところもかわいらしいとは思う。それが自分に向けられているものなら文句はないのに。
エステルは現在八歳。八歳というのは、この世界では一つの節目だ。
子どもが、少年と少女に分かたれる。
それまでの間に婚約をしていた場合、互いに意思を確認し、新たに婚約をし直す。八歳になるまでの婚約は、あくまで仮のものだ。
大人への階段を一歩上ったエステルは、子どもらしさが少し抜けた。
とはいっても八歳。まだ身体つきは子どもで、丸みもやわらかさも女性的というには色気がない。
学校に通いだして同年代の友人が増えたらしく、毎日を楽しそうに過ごしている。
その笑顔を見るだけで心が浮き立つけれど、それが僕に向けられることはない。
苦手視されていることを知っていても、僕はエステルを口説くことをやめなかった。
どんな形ででも、彼女の星を宿した瞳に映ることができるのがしあわせだった。
エステル九歳の誕生日、僕は贈り物をした。
「はい、エステル。誕生日おめでとう」
「……っ!」
「ちなみに、お菓子の包ではないよ」
この時のエステルの顔は見ものだった。
動揺。混乱。羞恥。困惑。怒り。
いろんなものがない混ぜになった表情は、贈り物の意味を正確に理解していることを僕に教えてくれた。
誕生日当日に、身につける品を贈るのは、言葉ではないプロポーズだ。
なぜそういう風習があるのか、僕は興味はなかったけれど、何十代も前の大公が起源なのだと以前同級生が言っていた覚えがある。
去年贈らなかったのは、今年も場所を選んだのは、エステルを追い詰めないため。
周りに噂が広がってしまえば、エステルに逃げ道はなくなる。
……ただ、断られたくなかったから、という理由も、ないわけではなかったが。
プレゼントを贈ったのは、実はシュア家の当主に覚悟を示すためでもあった。
あなたの娘は僕がもらいます、という意思表示。
二人きりとはいえガーデンパーティー中。どこかに使用人の目はあるはず。
もし誰にも見られてなかったとしても、機会は今年だけではない。来年も再来年も、プレゼントを贈ればいいだけ。
エステルの両親にはどちらかと言えば好かれているように思えた。
外枠から埋めていくようで悪いが、反対されては困る。
今のうちに反応を見ておくに越したことはなかった。
本気だと幾度となく告げてきたというのに、エステルは初めて僕の想いを知ったとばかりにプレゼントに驚いていた。
この分だと、僕が“エステル”と呼ぶ理由すら、まったく理解していないんだろう。
エステル。僕のひかり。
いつか、僕だけのために輝いてほしい。