三十三幕 永遠と感じられるほどの

 空は快晴。さわやかな風。絶好のガーデンパーティー日和。
 だというのに、わたしとジルはパーティーから抜けてきて、現在二人っきりです。
 先延ばしにしていた話をするために。

 抜けてきた、といってもここも庭の端っこなんだけどね。
 田舎だから家の敷地が無駄に広いんです。屋敷も大きいし庭なんてもっとすごいんです。池があるくらいだもの。
 端っこも端っこだから、ほとんど見るものもないけど、ベンチが置かれていた。
 わたしはそこに座って、申し訳程度に咲いているバラに目をやる。そろそろバラの季節も終わりだ。
 隣にジルが座ったのを確認してから、わたしは口を開く。

「今から言うことは、もしかしたらすごく的外れなことかもしれません。あなたには訳のわからないことかもしれません。それでも、聞きたいことがあるんです」
「うん、わかった」

 たいして考えることもなく、ジルはうなずく。
 そんな簡単に答えていいんだろうか。
 でも、ダメなんて言われたら、間違いなくわたしは不満に思うだろう。はっきりさせたくて仕方ないんだから。
 ここは了解してくれたことを素直に感謝しておこう。

「……あなたは、狭間の番人ですか?」

 隣に座るジルを見上げて、問いかける。
 海の色の瞳は揺らがない。
 何を言っているんだ、と笑われたっておかしくない。頭の心配をされる可能性だってあった。
 ジルはどちらの反応もせずに、わたしから目をそらすことなく沈黙している。

 ふ、と空気が動いた。
 かすかにジルが息をつく。
 それは呆れを含んだものではなく、何かをあきらめたような、それでいて覚悟を決めたようなものだった。

「そうだよ。僕は狭間の番人。正確には、元、だけどね」

 はっきりと、ジルは認めた。
 まっすぐに向けられている瞳に嘘はない。
 今度はわたしが息をつく番だった。
 気が抜けて、ベンチに寄りかかる。その様子にジルは少し笑った。

 笑わなくたっていいじゃないか。
 だって、まさか本当に狭間の番人だったなんて。
 予想はしていたけれど、どうしたってびっくりするし、間違っていなかったことに安堵だってする。

「どうしてここに?」

 新たに浮かんだ疑問は当然のものだ。
 今ではあやふやな記憶がたしかなら、狭間の番人には役目があったはず。
 どうしてこの世界にいて、どうして人として存在しているんだろう。

「ちょっと話が長くなるけど、いいかな?」
「かまいません」

 ガーデンパーティーが終わるまでにはまだ時間がある。
 もしそれまでに話が終わらなくても、まあなんとかごまかせるはず。

「全部、教えてあげる。僕がここにいる理由も、君を想う理由も」

 ふわりと、ジルはやわらかな笑みをこぼしてそう言った。
 口説くときの甘さとは違うものを含んだ表情と声音。
 ずっと謎だったことを、ようやく聞けるようです。


  * * * *


――あなたはずっと一人でいるの?

 半分以上、意識を元の世界に持っていかれながらも、少女はそう言った。
 言った、というのは正しくない。考えが信号のように記号化されて番人に伝わってくるだけだ。
 番人も信号で肯定を返した。少女には声のように伝わっているはずだ。

――そうなんだ、寂しいね。

 少女の魂の色が少しくもった。
 そんなことは考えたこともない、と番人は答える。
 番人にとっては、“一人”という考えすらも存在していなかった。
 それが当然だったのだから。
 狭間の番人に感情は必要ない。時間という概念もないから、私にとっては一瞬も永遠も同じこと。寂しいと思うことはない。
 そう少女に返すと、今度はわかりやすく少女は落ち込んだようだ。
 魂から伝わってくる感情は素直で、本当に単純に、番人のことを案じていた。

――時間の概念なんて、簡単だよ。今があって、今よりも前があって、今よりも後があるだけ。絶えず変化していくだけ。

 理解できない、と番人は伝える。
 今と以前と以後に違いなどない。それが番人というものだ。
 少女の思考はぐるぐると巡りながら、断片的な思いだけが番人に伝わってくる。
 その間にも少女の魂は世界へと引き寄せられていく。
 少女の知る単位で表現するなら、あと一分もすれば完全に元の世界に還るだろう、という時。

――いつか、一瞬一瞬を大事だと思えるような存在ができればいいのにね。でも、そうしたらあなたは困っちゃうのかな? けっこういい人みたいだから、しあわせになってもらいたいのにな。

 寝ぼけたような安らいだ声が、聞こえたような気がした。
 少女の心は、言葉は、何よりもまっすぐで。
 いとも簡単に番人の存在を揺るがした。

 瞬間的に思った。
 この少女が大事だ、と。
 少女の言葉は、少女が与えた衝撃は、番人にとってひかりだった。
 光も闇もないあやふやな次元の狭間に差し込んできた、明らかな輝き。
 けれどそう気づいたときにはすでに遅く、少女は世界へと還っていってしまった。

 それからの孤独はとても耐えられるものではなかった。
 少女の言葉は、少女の存在は、時間という概念を番人にもたらした。
 少女を知る前と後では明確な差異があったからだ。
 時間を知り、一人という意味を知った番人は、積み重なっていく孤独な時に押しつぶされそうになっていた。

 これではもう、自分は番人として機能しない。
 そう理解していた。
 孤独を知ってしまっては、たった一人で狭間の管理など、できるわけがない。
 いずれ次元の理によって、自分は排除されるだろう。
 そしてまた別の番人が降り立つだろう。

 世界が交わったり、離れたりするのを、ぼんやりと眺める日々。
 くり返し少女の言葉を反芻するくらいしか、することがなかった。
 一瞬と永遠は同じではなかった。永遠と感じられるほどの時間を、番人は独りで過ごした。
 いつ消えるかと思っていたが、その時はいつまで待っても来なかった。
 その理由を知るのは、また一つの魂が狭間に落ちてきたときだった。

――そっか、俺は死んだのか。

 あっさりと現状を理解したその魂は、元は少女の対になるはずの魂だった。
 出産に耐えられない母の身体から抜けた、二つの魂の片割れ。
 男は少女よりもさらに冷静に、番人の言葉を受け止めた。

 この魂を導くことが、自分の最後の役目なのだ。
 男にも少女にしたような説明をしながら、番人はそう悟った。
 だからつい、ぽろりとこぼしてしまったのだろう。
 少女が番人を揺るがしたときと同じ、元の世界に還りかけている男に。
 君にはかつて対だった存在がいる。元の世界に戻ったら、きっと傍にいるだろう。よろしく頼む、と。

――君にとって大切な存在なのか?

 あっさりと、男に見抜かれた。
 否定するのも面倒で、番人は肯定する。
 自分はそちらの世界には行けない。君たちの来世がいいものであるよう願っている。
 男の魂は少女よりも複雑な色をしていた。あまりにも早く巡る思考に、考えが読み取りづらい。

――なら、君も来ればいいじゃないか。

 伝わってきた思いに、番人は呆れた。
 そんなことができるわけない、と。
 それでも男はあきらめない。やってみなければわからない、と言ってくる。
 何がそんなに男を駆り立てているのか。
 ほとんど意識のないような状態の男の言葉を、番人は本気に取らなかった。

 その時だ。
 ひっぱられた、と感じたのは。

 それがどういった現象なのか、今でもよくはわからない。
 ただ、男の魂によって番人がこちらの世界の領域に入ることができたのは、たしかだろう。


 そうして人として生を受け、今ここに自分はいる。



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