二十七幕 敵意だなんて

 都を見て回った二日後、わたしの希望でリュシアンさまと城内の図書室に来ていた。
 とはいってもさすが王宮。図書室、なんて規模じゃない。案内してくれるリュシアンさまがいなかったら、広すぎて迷子になっていただろう。
 気になる本が多すぎて目移りしていたわたしに、リュシアンさまはおすすめの本をいくつか教えてくれる。
 この国の歴史についての本。民間伝承を集めた本。宗教的な本。
 それはどれもわたしの年齢で読むには少し早いようなものだったけど、とても興味深いものばかりだった。
 城内から持ち出さなければ借りてもいいそうなので、滞在期間中に読めるだけ読もうと思った。

「都見物はどうだった?」
「楽しかったですよ、とても」

 読書中に声をかけられ、本から顔を上げて答える。
 昨日は晩餐のときに少し顔を合わせただけで、話すような機会はなかった。
 ほっとしているリュシアンさまを見ると、気になっていたらしいとわかる。
 跡取りではないとはいえ、父親が治めている土地だから、かな。できれば都に好印象を持ってもらいたいようだ。

「そうか。少々雑多なところはあるが、活気があっていいだろう」
「そうですね。見るものすべてが目新しいものばかりでした」
「ラニアから出たことがないなら当然だな」
「田舎者ですから」
「間違ってはいないはずなんだが、違和感のある響きだな」

 そう言って眉根を寄せるリュシアンさまに、わたしはくすくすと声をもらす。
 正真正銘、田舎者ですよ、わたしは。
 たしかにオノボリさん特有の落ち着きのなさは、今はあんまり感じられないかもしれないけど、城下を見て回っていたときは兄さまに呆れられるくらいだったんだから。
 店や市で売っているものもラニアとは全然違っていたし、食べ物の味つけも違う。何より歴史のある建物を見て回るのが有意義で楽しかった。
 今はもうただの観光名所でしかない教会とか、ステンドグラスがすごくきれいだったな。『去られた神のかつての別邸』なんて言われるだけはあった。

「イーツ家の嫡男も一緒だったとか」
「ええ、交流がありますので」

 唐突に出てきた名前に驚きながらも、わたしはうなずく。

「ジルベルト、とか言ったか。おまえの兄と並んで優秀だと聞いている。二人がいればラニアは安泰だろうと言われているぞ」
「もったいないお言葉ですね」

 二人ともすごいな、と内心で思いながらも、当たり障りないよう返す。
 城で噂になっている兄さまとジルがすごいのか、辺鄙な領地の情報まで持っているリュシアンさまがすごいのか。どっちもな気がする。

 ちなみに今、リュシアンさまはジルを呼び捨てにしたけど、これは礼儀的にも問題はない。王族はつきつめれば上司みたいなもの。上司が部下や部下の家族の名前を呼ぶのは大丈夫なのだ。
 たとえば身近なところなら、ラニアの公家の人たち。父の上司にあたるから、わたしや兄さまの名前を呼んでも失礼にはならない。
 だからリュシアンさまはわたしのことを名前で呼ぶこともできる。おまえ、としか言われないけど。
 リュシアンさまがわたしの名前を呼ばないのは、出会い頭に言っていたことが大きいんだろう。候補として見ていない、と周りに思わせるために。

「が、どうやら俺は、やつに好かれてはいないらしい」

 本に目を落としながらのリュシアンさまの言葉に、わたしは目をまたたかせた。
 好かれていない? ジルに?

「……ジルが、何か?」
「表面的には何もないな。ただ少し、敵意を抱かれているような気がするだけだ」

 わたしの問いに、リュシアンさまは顔を上げることなく答える。
 その表情は少し苦いものが混じっているように見える。
 敵意だなんて、穏やかじゃない。基本的に他人に無関心なジルがそんな面倒なものをリュシアンさまに抱くだろうか?

「失礼ですが、気のせいでは?」
「どうだろうな。これでも人を見る目は養われているつもりだが」

 リュシアンさまは顔を上げて、苦笑した。
 それはそうだろう。王族なんて人にもまれて生きていかなきゃいけない人たちだ。見る目がなかったらだまされて利用されてしまう。
 そうわかってはいても、簡単にはその言葉を信じられない。

「さすがのジルでも、公子さまに対して敵意だなんて……」

 いや、やつなら相手の立場なんて関係はない。ただ、ジルが誰かを厭う、というのが想像できないだけ。
 わたしの知るジルは、好意も敵意も、他人に対してほとんど持たない。例外として知っているのはわたしと兄さまだけ。
 家族に対してすら、積極的には関わろうとしていないように見えた。
 ジルが他人を敵として見なすことがありえるんだろうか。
 あるとしたら、それはなぜ?

「国や大公家ではなく、俺個人への恨みのようだったから、たいして気にもとめていないが。おまえなら仲がいいようだし、何か知っているかもと思ってな」

 あっけらかんとリュシアンさまは言ってのけた。
 仮にも公子さまがそんなことでいいんだろうか。
 そう呆れそうになって、いや、公子さまだからか、とわたしは思い直す。
 悪意に慣れているんだろう、この人は。王族として、慣れざるをえなかったんだろう。

「ああ、別に気にするほどのことでもない。わからないならそれでいい」
「お役に立てず、申し訳ありません」

 思わず陰った表情を、リュシアンさまはいいように勘違いしてくれたらしい。
 同情なんてされたくないだろうからと、勘違いをそのままにして、わたしは頭を下げる。
 するとリュシアンさまはとたんにむすっと顔をしかめた。

「……相変わらず、かたいな」

 かたい、とは言葉遣いがだろうか。態度がだろうか。たぶん両方だろうけど。

「父がどう“仲良く”してもらいたいのか、薄々わかってきた。たしかにおまえは俺の友人となるに適しているようだ。立場的にも、人格的にも」
「褒め言葉として受け取っておきます」

 立場としては、地方貴族ということで中央の権力からは遠く、周囲の思惑が絡みづらい。
 別にわたしが人格者というわけではないけれど、変な期待をすることなく公子と仲良くできる人というのは、だいぶかぎられてしまうんだろう。
 適している、といわれてもおかしくないくらいには条件はそろっている。

「俺もおまえは嫌いじゃない。領地に戻れば簡単に会うこともできないが、それでも友人だと、思ってもいいか?」

 リュシアンさまは珍しく、不安そうな顔でそう言った。
 珍しく、というほど彼のことを知っているわけじゃないけれど。
 わたしは不安になんてならなくてもいいんだと教えるために、心からの笑みを浮かべた。

「もちろんです。わたしもリュシアンさまのこと、嫌いじゃないですよ?」

 少しだけくだけた口調で、わたしは言った。

「そこはもう少し持ちあげるべきだろう」
「じゃあ、ちょっと天邪鬼で偉そうなところがあるけど、けっこう真面目で苦労性だったりするところ、わりと好きですよ」
「やっぱり褒めていないだろう、それは」

 偉そうなんじゃない、偉いんだ。なんてぶつぶつ言いながらも、表情はやわらかい。
 不安を取り除くことはできたらしい。
 公子という立場で、心から友人だと思える人間なんてほとんどいないんだろう。信頼できる人はそれほど多くはないんだろう。
 リュシアンさまが困っているとき、すぐに駆けつけられるわけじゃないけど、手紙で相談されたら真摯に応えたいとは思う。


 そういう関係は、友人って呼んでいいものだよね。



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