二十六幕 好きな人ができたなら

 都見物の日、兄さまは誰宛だかわからないおみやげを買っていた。
 そのときに感じた違和感。
 それこそ、予感といっていいものだったのかもしれない。



「兄さま、サクラはもう見ましたか?」
「……あ、ああ。見たな」

 なんの気なしの問いかけだったのに、兄さまの反応にわたしは驚いた。
 どもった上に、声が裏返っている。
 兄さま面白い。わかりやすく挙動不審だ。
 サクラに関係した何かがこの一週間であったんだろうか。
 例えばサクラを見に行って、理想の女性に出会った、とか。
 考えが飛躍しすぎだって? いやいや、それくらいの動揺具合なんだもの。

 ここは王宮でわたしたちが泊まっている部屋。スイートルームみたいにいくつも部屋がくっついていて、その一室で兄さまと二人でお茶をしている。まったりしたかったから給仕も断った。
 わたし以外誰もいないのに、明らかに様子のおかしい兄さま。まるで何か隠しごとがあるみたいに。
 ちょっと気分のいいものじゃないけど、プライバシーも重要だってことはわかっている。
 でも、少しつつくくらいなら、いいかな。

「兄さま、最近モテモテですよね」
「そんなことはない」
「ありますよ。公女さまとも仲がいいし、公女さまのご友人方や、女官さんたちにも」
「ただ良くしてもらっているだけだ。田舎者だからな」

 卑下しているわけでもなく、事実のように兄さまは言う。
 実際、事実ではあるんだけど、それだけじゃないこともわたしは知っている。だって女官さんの噂話を聞いちゃったからね。

 女官さんというのは、実は身元さえしっかりしていれば誰にでもなれる。
 もちろん仕事は厳しいらしくて、実技試験みたいなものはあるらしいけど。
 都に住む女性にとって、女官というのはすごく魅力的な仕事らしい。玉の輿に乗れる可能性があるから。
 だから当然、卿家の跡取りである兄さまもそういう目で見られるわけで。狙っている女官さんが一人や二人じゃないと、わたしは知ってしまっているんだ。
 片田舎にまでついてこれるのかどうか、一度ちゃんと考えてもらいたいものだけど。
 仕事は仕事でちゃんとやってくれているので、今のところは傍観している。

 でもよかった。反応がさっぱりしているってことは、公女さまではないみたいだ。
 第二公女にはすでに婚約者がいる。婚約破棄は不可能ではないから、想い合っているならがんばってもらいたいけど、なるべくならごたごたは起きてほしくない。
 そういう場合、兄さまだと身を引いちゃいそうだっていうこともあるしね。
 そんな自分を後回しにしてしまう優しさも、兄さまの魅力ではある。
 なかなかそれに気づける人がいないのがもったいないところなんだよね。

「兄さまはですね、一見近寄りがたいんですよ。そこがいいという女性もいますけど」
「そうか?」
「そうです。もうちょっと笑顔を見せるとか、やわらかい空気を出せれば、もっとモテモテになれるのに」
「いや、別にもてたいわけではないから、今のままでかまわないんだが」
「でも、好きになった人に怖がられたりしたら嫌じゃないですか?」
「……それは、そうだが」

 あっさり認めた。しかも、そうかもしれない、という仮定ではなく。
 兄さま、やっぱりそういう女性にすでに出会ってるんじゃ。しかも怖がられたんじゃ。
 そんな疑念がわたしの中でうずまく。考えすぎかもしれない。けど、おみやげのこともあったし……。
 もし、兄さまに好きな人ができたなら。
 そうしたらわたしは恋のキューピッドになる気満々だ。相手の女性がいい人なら、だけど。
 とりあえず今のわたしにできることと言ったら、

「笑顔とかは、簡単には無理だと思うので、いくつか助言します」
「ああ」

 これくらいしかないよね。
 それにしても、素直にうなずく兄さまを見ると、やっぱりそういうお相手がいるのかもしれないと思う。

「一つ、沈黙しないこと。兄さまの沈黙は、慣れていない人にとってはすさまじく重いです。怒ってるんじゃないかって不安になります」

 兄さま、考えこむと黙るくせがあるからね。あれは慣れるまで怖かった。
 今じゃ沈黙から何を考えているのか読み取ることもできるようになってしまっている。

「二つ、これは一つ目に近いですが、返事だけじゃなく、できるだけ会話を続ける努力をすること。兄さまは言葉が足りなすぎます。とっつきにくいと思われる一番の理由は、相づちだけで話をぶった切るからです」

 兄さまは基本的に聞き役に回る。というのも自分から話そうとしないから。
 ちゃんと聞いてくれているからこその相づちだってわかってはいるけど、どう話を続けたらいいか、いつも迷う。

「三つ、相手を褒めること。褒められて嫌な気分になる人は少ないですし、それが適切なものであれば、自分を見てくれているんだとうれしくなります。兄さまはこれをたまに無意識にやりますが、そのときの相手の反応は見てて楽しいくらいですよ」

 わたしの場合は意図してやっているけど、兄さまは完全に素だからすごい。
 だから屋敷の使用人もみんな、兄さまのことを慕っている。自分の働きをちゃんと見てくれている人なんて、好きにならないはずがない。
 わたしも無意識褒め言葉の被害者の一人なんだけどね!
 しかもたぶん、一番の被害者だ。接している時間的に。ジルも同じようなものかもしれないけど。

「他にも気をつけるべき点はいくつもありますが、まずはこれだけ、がんばってみてください。兄さまの良さに気づいてもらえさえすれば、そこからは絶対にうまくいきますから」

 兄さまは基本的に人に好かれやすい性格をしていると思う。
 真面目で、優しくて、自分のことをよく見ていてくれる。なんだかんだで面倒見のいいところもあるんだから、わたしやジルみたいに懐く人は他にもいた。
 問題は、ファーストコンタクト。三つの助言はそれを失敗しないためのものだ。
 もしすでに兄さまが好きな人に出会っている場合は、ファーストではなくなるわけだけど。兄さまならきっと巻き返しできるはず。

「……エステルは、すごいな」

 ぽつりと、兄さまは感じ入るようにつぶやいた。
 何を、と思ってわたしが顔を上げると、兄さまは穏やかな笑みを浮かべていた。

「私はどうしても人付き合いが得意ではないから、エステルのように人を気遣えることは素敵なことだと思う。それも才能の一つなんだろうな」

 兄さまお得意の無意識褒め言葉に、かぁっと頬に熱が集まる。
 うれしさと、後ろめたさから来る恥ずかしさで。
 違うんです、兄さま。わたしは兄さまのことを思って助言したわけではないんです。思わずそう口走りそうになった。
 兄さまが思っているよりもずっと、わたしは利己的だ。
 自分の初恋をきれいな形で終わらせるために、兄さまの恋を応援している。
 兄さまに褒められる資格なんて、わたしにはない。

 もちろん、そんなこと言えるわけもないので。
 少しうつむいて、気づかれないように小さく息をついて気持ちを落ち着かせてから。

「ありがとうございます、兄さま。その調子です」

 わたしはにっこり笑顔を返した。


 初恋を終わらせる準備は、少しずつ整ってきていた。



前話へ // 次話へ // 作品目次へ