ゆらゆら、揺られているような感覚に、わたしは目を覚ます。
目を覚ました、はず。真っ暗で何も見えないけど。
「あーあ、やっぱり意識取り戻しちゃった」
驚いたような、ちょっとおもしろがっているような声が聞こえる。
高くもなく、低くもなく、不思議な響き。美声、っていうとなんか違う。
甘いのに冷ややかで、やわらかいのにどこか無機質。男声のようでもあるし、女声のようでもある。
やっぱり、不思議な声、としか表せない。
「さすが、一度世界を超えてるだけあって耐性があるんだね。厄介だなぁ」
厄介だなんて、思ってもいないみたいにくすくす笑う。
何のことを言っているのかさっぱりわからない。
――だれ?
声のするほうを向いて、尋ねる。尋ねたつもりだった。
なのに、しゃべれなかった。
それどころか、声の主も見えなかった。
「しゃべれないよ。今の君には身体がないんだから、当然、目も耳も口もない。
私の話が聞こえるのは、私が声に出さずに伝えているからだ」
不思議な響きの声が説明してくれる。意外と親切だ。
わたしが声だと認識しているものは、声じゃないってこと? 脳に直接伝達している、みたいな。
とりあえずむりやりにでも自分を納得させると、気持ちが落ち着いてきたのか、やっと言葉に含まれていた意味に気づく。
身体がない……そっか、わたし、死んじゃったんだ。
「そうだよ、君は死んで肉体を手放した。だからここにいる」
無情な肯定。別に優しい言葉が欲しいわけじゃないからいいけどね。
音が消えた瞬間を覚えてる。わたしの方向に走ってきている車が、ひどくゆっくりに見えた。
即死だったのかな。身体、すごいことになっちゃっただろうなぁ。目の前でそんなことになって、ごめんね由美。
母さん泣いてるかな。むしろ泣くのは父さんで、母さんが慰めているような気もする。どっちにしろ心配だ。
幽霊だったら、様子を見に行けたのに。
ん、あれ? ここってどこ? 天国?
「天国、ねぇ……。
君は死後の世界を信じてたようには見えないんだけど」
たしかに、信じてたかというとそうでもない。無宗教だからね。
でも、死んだらしいのに意識があるし。そうなると安直に天国か地獄かなって思うわけなのですよ。
「天国や地獄があるのかどうかは、私の知ったことじゃない。私の領分じゃないからね」
すっぱりばっさり切り捨てられた。つ、冷たいっ!
少なくとも天国ではないらしいです。
まあ、こんな真っ暗な天国は嫌だよね。地獄にしては、熱くも苦しくもないし。
って、今のわたしは身体がないから何も感じられないだけなんだっけ……?
自分では何も調べられない。情報源は不思議な声だけ。
この人の領分のことだけでもいいから教えてくれないかなぁ。
「ここは次元の狭間。私は狭間の番人。世界が不規則に交わる点と点を監視してる」
……軽く理解力を超えました。とってもファンタジーです。
いえ今さらといえばそれまでですが。
そういえばわたし、これが夢だって可能性を全然考えてなかった。
わたしは死んでなんてなくて、病院のベッドで寝ていたりするのかもしれない。
何も見えないし話せない。夢にしては自由がなさすぎるのは、現実でも身体が動かせないから、だったりとか。雑夢っていうやつだね。
つじつまは合うような気がしなくもないような……?
でも、なんとなく夢じゃない気がする。こんなにファンタジーまっしぐらなのに。
夢か現実か。判断材料は、不思議な声とわたしの直感しかない。そもそも、こんなことを判断しなきゃいけない場面なんてあんまりないよね。
声の主はわたしがあれこれと悩んでるのを楽しんでいるみたいで、また笑い声が聞こえた。性格悪い!
「夢じゃないよ。信じなくっても別にいいけど」
わたしが信じても信じなくても、自分は困らない。そういうニュアンス。
この人、マイペースだ。自分がしたいことを自分がしたいままに行動する人だ。
マイペースっぷりなら私だって負けていられません。
一応わたし、自分のことそれなりにずる賢い人間だと思っているんです。
あの変な浮遊感のせいで天然に見られたりもしたけど、それを逆手にとって『ちょっと変わってるけど、いい子』って猫をかぶることに成功していた。
おかげで同年代の攻撃対象になることもなく、大人受けもそれなりによく。面倒事からはさりげなく距離を置いてやりすごせていた。要領いいよね、と友だちに言われたことがある。
面倒事って、予想もできないところにいつのまにか転がってるものなんだよね。
それを避けて通るためには、もちろん慎重に行動したり、普段からの心がまえも必要なんだけど、とっさの選択がモノを言うこともある。判断材料が少ないときは、特に。
だから自分の直感を、全面的にとまではいかないものの、信頼している。
わたしの直感は、これを夢じゃないって言っている。
もし夢だったとしても、目が覚めたとき微妙な心地になるくらいで、別に不都合はないし。
ここは夢じゃないという前提で話を聞いておくほうがよさそうだ。
「話、続けていい?」
タイミングを見計らったみたいに不思議な声が言う。
えーっと、たしかさっきまでの話は……。
ここは次元のすき間で、あなたはすき間の番人で、世界が不規則でどーたらこーたらでしたよね。
「すき間じゃなくて狭間。世界が不規則に交わる点と点を監視してる、だよ」
ツッコミありがとうございます。やっぱり何度聞いてもファンタジー。
続きお願いします。
「世界は数多と存在してる。違う次元に存在する世界は、引きあったり反発しあったりしながら、時折、ほんの一瞬、交わるんだ」
淡々とした声音。丸暗記しているみたいに、よどみなく語る。世間一般的な女子高生だったわたしには信じがたい話を。
世界単位のお話なんて、途方もなさすぎて反応に困る。ラノベにありそうだなぁって感想しか出てこない。
「世界と世界が交わっても、形を持って存在してるものには影響がない。形は、あるべき世界に根づいてるものだから。ただ、人が魂と呼ぶものだけは……たまーに、こぼれる」
たましいが、こぼれる。なにやら嫌な予感がする。
「君は、元の世界からこぼれた」
やっぱり……。
世界が交わった瞬間に、死んじゃったってことなのかな。その衝撃で世界から飛ばされちゃった?
なんかそれ、悲しい。世界からお前いらない子認定されたみたいで。
どよーん、気分が落ち込んでいく。身体があったら青ざめてるか、もしかしたら泣いちゃっていたかも。
「あれ? 君、勘違いしてない? 君がこぼれたのは今じゃない、ずっと前の話だ」
…………なんですと?
「君が生まれる前のことだよ。元の世界からこぼれた君は、別の世界で生を得た。けど君の魂はその世界では異分子で、完全には定着できなかった。正直、いつぽろっとこぼれてきてもおかしくなかったんだよね」
わたし、地球外生物だったんだ。別の次元なら、宇宙人とはまた違うのかな。
ずっと感じていた、うすい膜を思い出す。私に張りついて、他とへだてていた膜。よくある厨二病症状かなんかだと思ってたのに。
どっちにしろいらない子認定されてたような気がするんですが。
「二つの世界が近づくたび、君の魂は元の世界にひっぱられる。そのせいで君の肉体は死に、枷がなくなった。だから世界からこぼされて、ここにいる」
うーん、難しい。たぶん、論理的に考えられるようなことじゃないんだろうな。
なんとなく、けん玉を思い描く。糸で結ばれているわたし。柄の先端にはまっていたのがうっかり落ちて、お皿に乗っていた。そのお皿から、糸をひっぱられてまた落ちた。
この想像だと今はぶらーんって宙吊り状態なわけだ。
「君を元の世界に戻すのが、私の役目。その後どうなるのかは、君の世界の神のみぞ知ることだ」
なんでも知っているように見えて、そうでもないらしい。
逆に言えば、この人は知ってることならたくさん教えてくれている。
いいのかな? 次元の狭間とか交わる点とか魂がこぼれるとか、どれもかなり極秘情報な気がするんだけど。
「教えちゃいけないことなら、きっと君の世界が対処するよ。私は世界に干渉できない。世界に在るべき君にも」
情報を与えてるのは干渉していることにはならないんでしょうか。線引きが謎だ。
「広義では干渉に当たるかもしれないけれどね。この場合は君の存在への能動的な干渉。知識や記憶は君が君であるために重要な要素だ。私の手でどうにかすることはできない」
難しい言葉を使えばわたしが引くとでも思っているんだろうか。
つまりあなたが積極的にわたしに何かしないかぎり、干渉には当たらない、ってことだよね。
でも、さっきからべらべらとしゃべっている気がするんですが、それは能動的ってことじゃないの?
「今は、私が覚えさせているわけじゃなく、君が私の話を聞いて覚えている。これは君が君という存在の中で行なっていることであって、私からの干渉ではない、ということだよ」
……屁理屈にしか聞こえません。
「屁理屈も立派な理屈だ、と君なら言いそうなものだけど?」
言いますね、というか言ったことあります。
よくわかってるじゃないですかお兄さん。お姉さんかもしれないけど。
「私に性別はないよ。そもそも生命じゃないしね」
へえ……って、え? 生命じゃない?
こんなふうにお話できてるのに?
あ、神様みたいなものなのかな。狭間の番人とか言っていたし。
神様はたしかに普通の生物と一緒くたにしていいか迷うところだもんね。今までいるとは思ってなかったけど。
「君が面白いから、少し話しすぎたかな。さて、もう元の世界へお戻り」
面白いってなんですか!
わたしが面白い、じゃなくてわたしと話すのが面白い、のほうが角が立たないと思います。
「さ、見えてきた」
見えてきたって、何が?
と、思ったときには、わたしにもそれがなんなのか、わかった。
身体がないらしいわたしには見えないんだけれど、空気で感じた。
――わたしの世界が、近い。
「じゃあ、元気で。もうこぼれないようにね」
こぼれたくてこぼれる人間はいないと思います。とつい憎まれ口を叩きたくなる。
そうじゃない、お礼を言わないと。
このあと忘れちゃうかもしれないけど、色々教えてくれたことと。
元の世界に帰れるようにとわたしの魂を運んでくれたことを。
「お礼はいらないよ。これが私の役目だ」
先回りされたっ!
でも、やっぱりありがとう。正直まだよくわからないけど、元の世界でがんばるよ。
だけど今までいた世界も嫌いじゃなかったよ。両親も友だちも大好きだった。あんなに早死にしちゃって、ちょっと後悔もしている。親不孝だよね。
「君はがんばったほうだ。もっと早く戻ると思っていたよ」
そう言ってもらえると、ほんの少しだけだけど気が楽になる。
ありがとう。あなたってけっこういい人だったんだね。
「……そう来るとは思わなかったな」
声はわずかに驚いているように聞こえた。
なんとなく、勝った気分だ。
ふわり、と意識が何かに包まれる。
あたたかいような、眠くなるような、形容しがたい感覚。
ああ、戻るんだ。言われるともなく理解する。
「じゃあね」
待って、まだ言いたいことが……。
そこで、わたしの意識は途絶えた。