36 「覚えていらっしゃいませんか、この国の名を」

「やあ、ルルド」

 深夜。ルルドの私室。
 前触れなしの訪問に目を丸くする彼に、私は努めて明るく、声をかけた。
 湿っぽい空気にはしたくなかったから。

「これが、最後になりますか」

 私の様子から、何かを感じ取ったのか。
 召喚されたときと同じ制服姿に、ピンと来たのか。
 ルルドはいきなり核心を突いてきた。

「うん。最後の挨拶に、来たよ」

 そう肯定すれば、複雑そうな笑みをこぼすルルド。
 安堵と、申し訳なさと、あと他にも何かが入り混じったみたいな。
 素直に喜んでおけばいいのに。冷徹になりきれないところは好感を持てるとも言えるけど、この世界では生きにくそうでもある。

「今までありがとう。キリを救えるのは、ルルドのおかげだよ」
「私は何もしていませんよ。すべてはマリア様のお力です」

 私の力、というか勇者の力のおかげなのは、もちろんだけど。
 きっと私一人じゃ真実にはたどり着けなかった。
 ヒントをくれたのは、道筋を示してくれたのは、ルルドだ。
 でも、ここで謙遜をするようなルルドだから、私に力を貸してくれたんだろう。
 つくづく、ルルドが話のわかるタイプでよかったと思う。

「嫌なことも、怖いこともたくさんあったけど。私、勇者としてこの世界に来られてよかったよ。勇者じゃなかったら、キリを救えなかった。キリが望んでいた勇者になれてよかった」

 この世界に来たばかりの、全部突っぱねていた私が今の私を見たら、きっとビックリすることだろう。
 キリがいたから、キリの願いがあったから、今の私がいる。今の私の決意がある。
 世界を救う自信も、自覚も、まだない。
 私はキリを救う。キリただ一人を救うために、この世界にやってきた。
 そして、キリを救うことで、この世界は救われる。

「少々、妬けますね」
「何言ってんの」

 キリのために魔王を倒すっていう私の覚悟を、ルルドはちゃんと聞いていたのに。
 そんな冗談を言うなんてルルドらしくない。

「知っていますか、マリア様」
「ん?」

 首をかしげた私に、ルルドはなんでもないことみたいに、

「ルルド・リーリファシア。それが私の名前です」

 初めて、フルネームを名乗った。

「リーリファシア……?」

 ルルドのファミリーネームを、口の中で転がす。
 女神の名前が入っている、と怪訝に思う。
 キリの本名みたいに、女神にちなんだ意味があるんだろうか。

「覚えていらっしゃいませんか、この国の名を」
「えーっとたしか、女神光臨の地だから……って、え……え?」

 女神の名は、リーリファ。
 女神の地、でリーリファシアと言うのだと、教えてくれたのは。
 他でもない、私の教育係だったルルドだ。
 覚える気はなかったけれど、何度も教えられたおかげで聞けばわかる程度には記憶に残っていたらしい。
 国の名前を背負う、ということが、どんな立場の人間に許されていることなのか。
 説明されずとも、なんとなく想像がついてしまうくらいには、現代日本らしいサブカルチャーに慣れ親しんでいた。

「臣籍には降りましたが、私は王弟です。おかしいとは思いませんでしたか、この国の要であるイレに対してあのような物言いを許されていたことを」

 おう、てい。王の弟。
 その言葉の意味を飲み込むまでに、だいぶ時間がかかった。
 王様とはこの世界に来てすぐに会ったことがある。会った、というより会わされた。偉そうでいけ好かないと思ったことしか覚えてない。
 あの人の、この国の頂点に立つ人の、弟。
 寝耳に水すぎて、どう反応したらいいのかもわからない。

「だ、だって、そんなの誰も……」
「箝口令を敷いていましたから」
「えええええ……」

 箝口令って……仮にも勇者を欺いていいものなの?
 って、ルルドに関しては今さらなことだけどさ。

「マリア様は最初から反抗的でした。私が王族であると知れれば、私の授業など受けはしなかったでしょう」

 それは、たしかにルルドの言うとおりだ。
 王様に対しても私は不遜な態度を取った記憶がある。
 王族という立場は、私と接する場合マイナスにしか働かないと、早々に判断してもおかしくないくらいに。

「そもそもなんで王族が勇者に勉強教えるのさ……」

 すると、今度は違う疑問が現れるわけだ。
 ファンタジー世界の普通なんてわかるわけもないけど、少なくとも私の価値観では、教育係なんてそんな立場が上の人がするものじゃない。
 臣籍に下っているだとか言っても、王弟は王弟だ。
 そういう立場の人は、勇者パーティーの一員になるほうがしっくり来る。そもそも私はパーティー以前の問題だったけど。

「一つは、私以上に詳しい人がいなかったからですね。これでもきちんと学者としての肩書きも持っていましてね」

 王弟が、学者……いや、もう何も言うまい。
 王族が学があるのは当然といえば当然だし、それが長じて学者になっても、まあおかしくはない、のかもしれない。そういうことにしておく。

「一番の理由は、こちらの世界について何も知らない勇者様を、教育係の都合のいいように洗脳されては困りますから。人選には厳重な注意を払う必要があったのですよ」
「洗脳って……」
「されないという自信がありますか? 現に、キリという少年にはどうやらとても丁重に扱われたようですが」

 ……このやろう、傷をえぐる気かキサマ。
 そうだよたしかにこの世界で唯一私に優しくしてくれて甘やかしてくれたキリに、私はバカみたいに心を開いたよ依存したよ。オッシャルトオリデスネ。
 認めればいいんでしょ。十六やそこらの子どもを洗脳するのなんて、きっと悪い大人には簡単なことだった。下手なやつが私に近づくのは避ける必要があった。

「事情は、わかった。でも、こんな最後の最後に言われても困るんだけど。今まで無礼な口を利いて申し訳ありませんでしたって言えばいい?」
「謝罪を望んでいるわけではありませんよ。ただ……マリア様がすべてお話ししてくださったのに、私が口をつぐんでいるのも礼儀知らずでしょう」

 礼儀知らずなら私のほうなんじゃないかな。
 王弟よりも勇者のほうが偉いのか、立場は関係なく人間的な礼儀のことか。
 どっちにしても、私にはルルドが礼儀知らずには見えない。
 むしろ、こんなことを最後に教えられて、困惑しているくらいで。
 ……知らなかったほうがよかった、とは思わないけども。

「今思うととても滑稽な話ではあるのですが、実はマリア様を私の妃に、という話もあったのですよ。私がマリア様を騙して魔物に襲撃されている町へ連れて行く、少し前だったでしょうか」

 ちょっと、ちょっと待て。
 勝手になんて話をしてくれちゃってるんだ、オイ。
 寝耳に水が多すぎて、驚きを通り越して呆気に取られてしまう。

「……私みたいな妃なんて欲しくなかったから、必死だったの?」

 役に立たない私の勇者という肩書きだけを利用する作戦か、王弟の妃としての地位を与えることで懐柔する作戦か。
 そんな突飛な話が上がっていたということは、そこらへんの思惑が絡んでのことだろう。
 ようは、私が勇者として力を示せば問題はなくなるわけで。アホらしい話も立ち消えるわけで。
 だから私を騙してまで魔物討伐をさせたんだろうか。

「たしかにあのころは、こんなじゃじゃ馬、誰がと思いましたよ。もちろんそれだけが理由でああまでするような短絡思考ではありませんが」
「最後の最後でいじめないでよ。私だってルルドなんか勘弁なんだからね!」
「おや、振られてしまいましたね」
「へ?」

 きょとん、と目を丸くする。
 振られるってなんだ、振られるって。
 振った記憶も、そもそも告られた記憶もないんだけど?

「もしも帰る方法がないのなら、共に過ごすのも楽しそうだ、と最近は思っていたのですよ。一種の愛着というものでしょうか」

 それは、恋愛感情とは違うけど、それなりに大事に思われている、という認識でいいんだろうか。
 一般的に愛着っていうと、ぬいぐるみやおもちゃに持つイメージがあるから、素直に喜べない。
 でも、私を映すルルドの紫の瞳は和やかで、悪い意味でもバカにしているわけでもないことくらいは、わかる。

「……それこそ、今言われても、すっごく困るだけなんだけど」
「最後に困らせてみたくなりました。これでしばらくは忘れられる心配はなさそうです」
「そう簡単に忘れられないよ、こんな世界を越えた大冒険」

 はぁ、とため息をつく。こんなタイミングで特大の爆弾を落とすなんて、意地が悪いったら。
 今まで私に振り回されてきた仕返しだろうか。
 すぐに忘れると思われているとしたらビックリだ。

「……あんまり長居しても、あれだから」
「そう、ですね」

 私の言葉に、ルルドは淡い笑みを浮かべる。
 どこか寂しそうに見えたのは、たぶん、気のせいではないんだろう。
 迷惑をかけて、苦労をかけて、心配をかけて、力を貸してくれたルルド。
 なんだかんだあったけど、彼との別れを惜しむ気持ちは、私だってないわけじゃない。

「じゃあねルルド。働きすぎて過労死しないようにね」

 王弟ならもっと偉そうにして、周りを使えばいいのに。
 自分で働くほうが性に合ってるのかもしれないけど、無茶は禁物だ。
 魔王のいなくなった世界で、平穏の訪れた世界で、彼が健やかに暮らしていけるよう。
 女神様にでも、祈っておこうか。

「マリア様。貴女のもたらしてくださる平和を守ること、ここに誓いましょう」

 おげんきで、と彼は今までで一番優しい声で紡いだ。
 私は今まで一度も彼に向けたことのなかった、満面の笑顔で応えた。



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