25 「なのに、貴女は生きている」

「貴女は……馬鹿ですか」

 約束していた日時に、私はルルドの私室を訪ねた。
 ルルドの手が確実にあいている時間というのは限られているから、この前と同じ深夜。
 数日前は、キリが聞いている可能性も考えて、ルルドにも誤解させるような言葉選びをしてしまった。
 改めて、キリの中の魔王の力を消すことが私の目的なのだと、ルルドに説明した。
 ……で、返ってきたのが『馬鹿』、だった。

「なんでみんなそう言うのかな。順当な発想だと思うんだけど」

 誰だって大切な人を殺したくなんてないだろう。たとえそれが本人の願いであったとしても。
 魔王がいると世界が滅びる。でも魔王は殺せない。
 そうなったら、魔王の中の魔王の力だけを、どうにかしようと考えるのは普通のことじゃないかな。

「どこがですか、聞いたこともありませんよ。魔王は倒すべき悪で……いえ、その……」

 ルルドは途中でしどろもどろになった。
 それも当然。私が呪詛をかけるみたいに力いっぱい睨みつけたからだ。

「魔王が悪だとか、魔王は倒さないといけないとか、あと一回でも言ったら許さないから」
「……申し訳ありません。いまだに、信じがたいのです。マリア様が魔王の庇護下にあるということが」

 ルルドは額に手を当てて、はぁ、とため息をつく。
 疲れている、というか、困惑している、といった様子だ。
 ルルド……というかこの世界の人たちからしてみたら、魔王は悪の根元だもんね。そもそも魔王が普通に人と接することができるということすら知らなかっただろう。
 私は、キリが魔王だって知る前から交流があったから、今さらなんだけども。
 バイキリマンの元にアンパンマリが住んでいたら、たしかに私も、え? ってなるかもしれないな。

「私が言っていいことではないとわかってはいますが、マリア様は隙だらけです。私の企みにも気づくことなく、結果的に町を救いました。私以上に心を許しているのであれば、魔王には貴女を殺す機会はいくらでもあったでしょう」

 それは、私も以前思ったことだ。
 キリにはいくらでも私を害せる機会があった。
 だからこそ、安心していたわけだし。キリには私をどうこうするつもりはないんだ、って。
 キリの本当の願いを知った今では、ずいぶんと見当違いな安心の仕方をしていたんだな、と思うけど。

「なのに、貴女は生きている。五体満足で、傷ひとつなく、むしろ王城にいたときよりも生き生きとしている」

 そりゃそうだろう。勇者であることを常に求められていた王城で息がつけるわけがない。
 魔王城で、ただのマリアでいることを許された私は、伸び伸びと過ごしていた。
 まあ結局のところ、キリも勇者の私を求めていたわけだけど、それは置いておいて。
 生きているのも、傷一つないのも、私にとっては当然のことだ。……一回、荒療治とか言って谷に落とされたことはあったけど。
 私にはルルドが不思議に思う気持ちのほうがいまいち理解できない。
 それはきっと、私がこの世界の住人じゃないから。魔王が悪しき存在だ、ということを刷り込まれるよりも前に、キリと出会ったから。

「だから、キリに私を殺す気はないんだってば」

 頬をむくれさせて、私は抗議する。
 魔王が悪だと頭から信じきっているルルドに説明したところで、どこまで疑いを晴らせるかはわからないけど。
 協力関係になるんだから、多少は意識のすり合わせをしておかないと困るだろう。

「魔王は魔物を操ったりしてない。魔物は魔王を避ける。魔王城に近づきもしないよ。キリは、ただ、魔王としての力を持ってしまっただけの人間。十年前までは普通に村で暮らしてたんだよ」

 守秘義務だとか、今は気にしてる場合じゃない。
 私の知っている限りのキリを、私の見てきたキリを。
 ほんの少しでもルルドに伝えることができたら。

「たしかに魔王は魔物を生むのかもしれない、世界を穢すのかもしれない。でも、そこにキリの意志はない」

 世界の滅亡も、存続も、キリにはどうでもいいことだった。
 キリはただ、あの広く寂しい魔王城にいるだけ。
 買い出しのために町に下りても、人と関わることはほとんどなかったと聞いた。
 キリのためだけに生きているヨセフさんと、ずっと、ふたりぼっちだった。

「キリは……私に、殺してって言ったんだよ。私を、勇者を、ずっと待ってたって。やっと終わらせられる、って」

 じわり、と目がうるんでくる。
 泣いちゃだめだ。もう泣かないって決めたんだから。
 息を止めて、唇を噛みしめて、涙をこぼさないよう必死で耐えた。

「……つらいことを話させてしまいましたね。固定観念にとらわれやすいのは私の悪い癖です。キリという少年を、魔王として考えることはひとまずやめておきましょう」

 ルルドの優しい声が耳に染みた。
 ひとまず、というのは引っかかったけれど、ルルドなりの最大限の譲歩なんだろう。
 それがわかったから、私はぱちぱちと何度もまたたきをして、深呼吸をして、それから視線を交わした。
 ルルドは、真面目が服を着ているような真剣な表情で、瞳には強い意志を宿していた。

「私の持てる限りの知識と力で協力すると、お約束いたしました。もちろんそれを違えるつもりはありません」
「お願い。頼りにできるのはルルドだけなの」

 するりと、その言葉は口から出てきた。
 藁にもすがる思い、というのはこういうことだろうか。ずいぶんと上等な藁だけれど。
 ルルドは、絶対に何か知っているはずなんだ。答えかもしれない。ヒントかもしれない。でもキリを救うための何かしらの糸口を握っていることは、確実だ。
 キリを救う、なんて格好つけてみたものの、結局は他人頼り。情けないけど、一人じゃどうにもならないなら、他人の力を借りてでも成し遂げたい。
 それだけ困難な望みだということは、私もわかっているから。

「……マリア様に名前を呼ばれると、どうにも落ち着かなくなりますね」
「? どうして?」

 苦笑を浮かべたルルドに、私は首をかしげた。
 まさか私のことが好きだから、なんてことはないだろうし。
 王城にいたときはずっと名前を呼んでいなかったから、とかかな?

「マリア様が、勇者だからでしょう。ほんの一瞬ですが、心の臓を握られたかのような心地になります」
「へ〜」

 名前を呼ぶことにそんな効果があるなんて、今まで知らなかった。
 王城にいたときは誰の名前も呼んでいなかったし、キリは私が考えた偽名だし。名前で呼んでたのはヨセフさんくらいだけど、そうと悟らせなかったのは年の功ってやつだろうか。

「あ……」

 そうして、私はひとつ、合点がいった。
 だから、か。
 リーフェと呼んだとき、キリがとろけそうな笑みを浮かべたのは。
 きっとキリも、あの時ルルドと同じような感覚を味わったんだ。
 勇者の力は魔王の力を上回ると、私にはキリを殺せる力があると、確信できたから。
 そう考えてみると、キリは私に本名を教えるタイミングを図ってたのかもしれないな。彼の死を願うとき、名前を呼んだほうがより強力な術になるだろうから。
 でも、そうなると今度は、どうして最初に名前を隠したのかが疑問だ。
 あのときキリが言ったとおり、魔王の名前は穢れているから、とかなんとかなのかな。

「やはり自覚していらっしゃらなかったのですね。あのときもそうでした。『黙れ』とマリア様が私に命じられたときも」
「黙れ……? あ、シャラップ?」

 そういえばそんなこともあったような気がする。もうずいぶんと前のことだ。
 自動翻訳で『黙れ』と『シャラップ』が同じ言葉になっているらしい。

「ええ。一瞬でしたが、口が開かなくなりました。それで私はマリア様がまごうことなき勇者だと知ったのですよ」

 知らなかった。全然自覚していなかった。
 あんなに前から、私は勇者の力を自然と使っていたのか。
 制御できていなかっただろうから、願えばなんでも叶っていたわけじゃないだろう。でも、気づけないくらい小さな願いを知らないうちに叶えていたとしたら。
 やっぱり、勇者の力って怖いな、と思ってしまう。
 もう、怖いからって避けてばかりはいられないけどね。

「我々の希望を背負っていただく必要はありません。偶然にも重なった救済への道を、共に歩ませていただきたいのです」

 ルルドは紫雲の瞳を細めて、表情を和らげる。
 そうすると冷たいばかりの印象が少しだけ薄れて、優しげに見えなくもなかった。

「どうぞ、マリア様の願いを叶えるために、私をお使いください」

 そう言って微笑んだルルドは、気力と希望に満ちあふれていて。
 絶対にあきらめない、と思いながらも五里霧中だった私は、難なく励まされてしまった。
 ……くそう、これだからイケメンは。

 なんて悪態を心中でつぶやきながらも、頼りになる協力者に、私は素直に感謝した。



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