24 「夢を現実にするのが勇者の仕事じゃない?」

「心が決まったみたいだね」

 もう夜も遅かったから、次に会う日取りだけを決めて、私は魔王城へと戻った。
 自分の部屋に直接転移すると、誰もいないはずの室内に人影があった。
 にーっこりと、今までの笑顔が嘘に思えるくらい晴れやかな表情をした、キリ。
 このタイミング。その言葉。その笑顔。
 これは、どう考えても。

「……まーた覗き見ですか。シュミ悪い」

 わざとらしく眉をひそめて、私はため息をつく。
 ルルドとの会話は聞かれていたと思ってまず間違いないだろう。
 じゃなきゃ、心が決まったかどうかなんてわからないはずだ。

「だって、こそこそと城を抜け出されたら、気になるでしょう? マリだって、僕が視ているってわかっていたくせに」

 こそこそって言ったって、ただ自分の部屋から転移しただけなのに。
 気づかれたってことは、ずっと視てたのか、感知する結界か何か張ってあったのか。どっちにしろストーカーだ。

「わかってたわけじゃないよ、視られてるかもとは思ったけど」
「可能性を考慮した上で、彼にああ言ったんだね。僕に対しての宣言、いや、答え……かな」

 私の言葉を、キリは自分の都合のいいように解釈していく。
 まあ、キリが聞いていてもいいように、むしろ聞いていればいいと思いながら話していたのは事実だ。
 いったい、キリがどこからどこまでこれまでの私を視て、聞いていたのかはわからない。教えてほしいとも思わない。きっと気色悪い。
 心が千々に乱れていたときならいざしらず、冷静な自分を取り戻してみれば、キリのストーカー癖が今もなお続いていることくらい、容易に推測できた。
 だいたい、タイミングよすぎだったんだよ。ルルドとイレの前から転移させたときだって。

「さあ、マリア」

 キリは私の名前を呼んで、両手を広げる。
 これが恋人同士なら、胸に飛び込んでこい、という意味だと思うだろう。
 残念ながら私たちはそんな甘い関係じゃない。どっちかと言えば限りなくビター。
 勇者と魔王だなんて、カカオ99パーセントのチョコレートみたいだ。

「どこからでも来て。君なら僕を殺すことなんて至極簡単だよ」

 ふふふ、とキリは笑みを深める。
 ヨセフさんの優しい微笑みとは、似ても似つかない笑顔。
 今になって思えば、キリのあわい微笑みは、ヨセフさんのまねっこだったのかもしれない。
 親しみやすく見えるよう、不審に思われないための、仮面。
 ずっと一緒にいたから似ていたわけじゃなく、キリの閉じられた世界の中で、参考にできるのがヨセフさんだけだったんじゃないだろうか。
 似ていたんじゃなくて、あれは、あの笑い方は、ヨセフさんのものだった。
 今この時、浮かべている笑みを見ると、そう思えてならなかった。

「……いい笑顔ね」

 キリとは対照的に、私はむっすりとした顔で言う。
 無性にムカムカしてならなかった。
 私はもう、知っている。
 彼の今までの笑みがただの仮面だったこと。
 心からの笑みは、己の死という望みが叶えられようとしているから。
 ……クソ食らえだ。

「だって、ようやく解放される。この十年、僕はずっと、この時を待っていたんだから」

 弾むような声に、余計に苛々が募る。
 いつも私を励ましてくれて、いつも私を宥めてくれた声が、今は。
 まるで毒薬のよう。

「浮かれて、私の話もちゃんと聞いてなかったみたいね。私は言ったよ、『まだこの世界を救う方法がわかってない』って」
「僕を、魔王を殺せば、魔物は自然と消えるはずだよ。魔王が穢れの中心、穢れの核。魔王さえ倒せば、この世界は救われる」

 それは、そうなのかもしれない。
 キリを殺せばすべては丸く収まるのかもしれない。
 世界は救われて、キリも救われて、私は元の世界に帰ることができて。
 でもね。
 私は、もう、決めてしまった。

「それで? 私はそんな解決方法、望んでない」

 きっぱり、と。
 私の意志が伝わるように、ことさら鋭い声で告げた。
 キリはそこでようやく、笑みを引っ込めた。
 しばし、沈黙が二人の間に横たわる。

「……マリ、もしかして」

 まんまるになった新緑の瞳。
 その目には、きっと意地悪く口の端を上げた私が映っている。

「へっへーんだ、お気の毒さまでした! 作戦失敗ね。私、好きな人にはしあわせになってほしいタイプなんだから!」

 嫌味に見えるくらいおちゃらけて、私は言ってやった。
 半ばヤケになっているのかもしれない。それも致し方ないことだと思う。
 この世界で誰よりも、大切な存在になっていた。その当人に、殺してほしいと頼まれた。
 この世界で誰よりも、残酷な言葉を私に投げかけた。私の気持ちを知っていたくせに。
 キリはひとつだけ、嘘をついた。
 『ここには君を傷つけるものは何もない』、と。
 キリは私の味方ではなく《勇者》の味方で、結局、誰よりも私を傷つけた。
 だから私は、キリの言うことなんて聞いてやらない。そう、決めた。

「私はキリを殺さない。殺せない。私が退治するのは、キリの中の魔王。勇者は魔王を倒して世界は救われました、めでたしめでたし」

 強く、強く。
 声が震えないように、目をそらさないように。
 強い声で、強いまなざしで。
 決して折れない強い心で。
 強く、強く、願う。

「キリは、救われる側の人間だよ」

 睨むように、挑むように、キリを見据える。
 日の光を浴びて輝く葉の色の瞳が、夜も更けた今は複雑な色を帯びて揺らぐ。

「……僕は人間なんかじゃない」

 声は、さっきまでと同一人物とは思えないほどに弱々しいものだった。
 そこにあきらめが含まれていることに、私は気づいた。気づくことができた。
 願うことに、足掻くことに、疲れてしまったような。
 死のみが、キリが見いだした唯一の希望だとでもいうような。

「人間だよ。少なくとも、十年前までは人間だった。なら人間に戻れるはずだよ」
「そんなの、夢物語だ」
「夢物語でもなんでもけっこう。夢を現実にするのが勇者の仕事じゃない?」

 キリがあきらめていても、キリが絶望していても。
 私はあきらめない。私は、希望を口にする。
 言葉には、力が宿る。
 勇者の力はもちろんだけど、『言霊』の力だってあると思う。
 信じる気力がわいてくる。やり遂げる勇気がわいてくる。
 私は、私だけは、疑っちゃいけない。
 当の本人があきらめてしまっている以上、私だけは、キリの幸福を投げ出してはいけない。

「大切な人の一人も救えなくて、何が勇者よ。私は世界を救う勇者にはなれない。でも、たった一人の大切な人を救うために、勇者になるよ」

 私は結局、ここまで来ても自分勝手な、ただの子どもで。
 でも、子どもは子どもなりに思うこともあって、守りたいものだってあって。
 世界なんて、おっきい次元じゃ考えられない。世界を救おうなんて今でも思えない。
 私が守りたいのは、私が救いたいのは、キリ、ただ一人。

「何か、何か絶対に、方法があるはずだから。私がキリを、しあわせにしてみせる。もちろん殺す以外の方法でね」

 私は勇者だ。世界を救う勇者じゃなくて、キリを救う、キリのためだけの勇者だ。
 キリが願ったから。勇者を。救いを。
 私はキリの願った勇者になって、キリの望みとは違う救い方をしてみせる。
 勇者の願いが力になるなら。勇者の言葉に力が宿るなら。
 何度だって、数えきれないくらい言ってやる。
 キリは死なない。私は殺さない。
 キリは、しあわせに、なる。

「マリは、馬鹿だ」

 ぽつり、と。
 感情のそげ落ちた顔で、キリはそれだけをつぶやいた。
 陰の落ちた瞳が、泣きそうな色をしているように見えたのは、気のせいだったのか。
 ふいっときびすを返して、キリは私の部屋から出て行った。
 後ろ姿に、投げかける言葉はない。
 もう、私の意志は充分に伝わっただろうから。

「……どうせ馬鹿ですよーだ」

 扉が閉じられて、しばらく。
 完全に一人になってから、私は唇をとがらせた。
 勇者とはいえ、ただの女子高生が、魔王を倒してキリを救うなんて、本当にできるものなのか。
 大言壮語って言われても否定できない。正直、自信があるわけじゃない。
 でも、私だけは。

 キリのしあわせを願うって、もう、決めたから。



前話へ // 次話へ // 作品目次へ