三日後の学校帰り。私はキリと少し寄り道をして、駅近くの百貨店で買い物をした。
幸松さん夫妻のために一緒に選んだプレゼントは、あたたかそうな冬用のもこもこスリッパを、三つ。
スリッパにするのはキリの案。デザインは二人で決めた。二つだけだとキリの分がないと幸松さん夫妻が気にするかもしれないとアドバイスしたのは、私。
黄色と水色と黄緑、色違いの水玉模様。幸松さん夫妻が喜ぶ顔が見えるようだった。
「マリアは何が欲しい?」
財布をしまいながら、キリは尋ねてくる。
今度は私のプレゼントを買うつもりなんだろう。
欲しいものなんて。
そんなの、一年以上前から、ずっと変わらない。
「何もいらないよ」
「言うと思った。でも、プレゼントしたいな」
「うーん……」
困った。この調子だと、放っておくと高いアクセサリーとか買ってしまいそうだ。
てっとり早いのは何か安いものとかお金のかからないものをリクエストしてしまうこと。
どうしようかなぁ、と少し考えて、あ、と思いついた。
ちょうどいいのがあるじゃないか。
「じゃあ、ケーキ作って。パウンドでもカップケーキでも、キリが一番上手に作れるやつ」
去年から料理研究部に所属しているキリは、まだまだ料理もお菓子作りも勉強中らしい。
再現したい味があるんだ、とキリは言っていた。
それを聞いたとき、泣かなかったことを褒めてほしい。
封印したはずの記憶でも、そのひとかけらが、キリの中に残っていたなら。
ヨセフさんの味を、今もまだキリの舌が覚えているなら。
がんばってほしいし、私も手伝いたい。味見は常時受け付けていた。
「そんなのでいいの?」
「大変だよー、イマイチだったら作り直しさせるから」
「それは怖いなぁ」
くすくすとキリは笑うけど、どうせキリは私に贈るってなったら今の自分が作れる最高の出来のものを完成させるんだ。
シンプルなクッキーすら数回しか作ったことないような私よりも、ずっと上手に作るんだろう。
そのくせ、苦労なんてしてないよって顔をする。弱った顔はほとんど見せない。
今のキリはそういう人間だ。
「ねえキリ、今年の誕生日って、あいてる?」
「うん、予定はないよ」
数日後に迫ったキリの誕生日。
それは、クリスマス当日。
そして、その日は――
「祝ってくれる?」
にこにこと満面の笑みでキリは私を覗き込んできた。
否定が返ってくる可能性なんてかけらも考えていない顔。
そりゃあね、もちろん祝わないなんて選択肢は最初からないけど。
……もうキリは、不安そうに瞳を揺らしていたキリじゃない。
当たり前のことを、改めて思い知らされた気分だ。
「……今年は、一緒に出かけよっか」
努めてなんでもないふうに聞こえるよう、誘ってみる。
でも、失敗したかもしれない。声が震えたことに気づかれてなければいいけど。
「それって、デート?」
「ち、ちがっ!! そういうんじゃ、なくて!」
「ありがとう。楽しみにしてる」
あわてまくる私に、キリは変わらずいつもどおりで。
からかわれたのか本気なのかわからないけど、どっちにしろ私はおもしろくない。
去年は、私の家にキリと幸松さん夫妻も呼んで、みんなでお祝いした。
二人で出かけるって言ったら、お母さんはどんな顔するかな。キリと仲のいい弟は残念がるかも。むしろ文句言われそう。
……断じて、デートではない。
だって、私だけがそうであってほしいって思っても、意味、ないんだもん。
「……本当にいいの? 他に、したいこととか……祝ってほしい人とか」
「マリア以上に優先する人はいないよ」
「相変わらず口がうまいんだから」
「本当なのに」
うるさい。そんなこと言われたら勝手に頬に熱がのぼっていくじゃないか。
キリは私への好意を隠しもしない。でもその好意が、どのくらいのものなのかは、いまいち計れない。
口がうまいのは元からだしね。私を上げて上げて上げてどん底まで落としたことは、いまだに根に持ってるんだから。
「大丈夫、両親とのクリスマスはイブにやるし、プレゼントもそのときに渡すつもり。その日は部活も何も予定はないから」
当然、クリスマスには学校はもう冬休みに入っている。
運動部ならまだしも、短い冬休み中に活動をする奇特な文化部は少ない。美術部もオールフリーだ。
「むしろマリアのほうこそ大丈夫? その、受験勉強とか……」
「あーあー聞こえなーい」
忘れたい。忘れさせてくれ。せっかくテストが終わってもうすぐ冬休みで、開放感を楽しんでいたのに。
そう、私は十八歳。高校三年生。大学受験は目と鼻の先。
とりあえず大学には行っておきなさい、という両親の教育方針に、特に反対する理由もやりたいこともない私は、地元の大学を受験する予定だ。
この前の模試ではギリギリだけどA評価だったから、大丈夫なはず、たぶん。
「……現実逃避に遊びに行くわけじゃないよね?」
「ちゃんと冬季講習は受けに行くし、ちょっとくらい息抜きしても許されると思う」
「はいはい。息抜きだらけにならないよう気をつけないとね」
「うーー」
キリはここ最近口うるさくなったように思う。
思い返してみれば、その兆候はあっちの世界にいたときからあったのかもしれないけど。
私のほうが年上なのに、キリのほうがしっかりしている。
『キリくんがいれば安心ね』なんてお母さんも言っていたっけ。どういう意味だコラ。
「マリア」
「ん?」
顔を上げると、キリの心からの笑顔。キリの和やかな瞳。
悪目立ちするかもしれないとわかっていても、変えられなかった、失えなかった新緑。
今は、その色が、こんなにも遠い。
キリは背が伸びた。目線の高さが、合わなくなった。
だんだん、だんだん、高くなっていって。
まるで、手が、届かなくなっていくように。
「クリスマス、楽しみだね」
でも、まだキリはそう、私に笑いかけてくれる。
本当にうれしそうに、楽しそうに、私と目を合わせて、話をしてくれる。
それが、泣きたいくらいうれしいなんて、キリは知らないだろう。
「……うん」
マフラーで口元を隠しながら、小さくうなずく。
楽しみだよ。楽しみだけど怖いよ。
早く来てほしくて、一生、来てほしくないクリスマスなんて、初めてだ。
私の勘違いでなければ。
今の、キリも。
私のことを、特別に慕ってくれている。
それが恋なのか、親愛なのかはわからないけど、他と一線を画しているのは確かだ。
でも足りない。全然足りない。
だって、私は知ってしまっているから。
かつて私を全身で、全力で求めてくれたキリを、知っているから。
もう、そんなふうに私を見てくれることは、一生ないかもしれないけれど。
《この世界のことも、魔王としての生も、リーフェの一切の記憶を封印する》
《キリという名前以外のすべてを思い出せなくなる》
《来年のクリスマスの夜に、この魔法は解ける》
クリスマスが、やってくる。
それは同時に、私に判決が、くだされる日。