3 「かわいい。マリアはかわいいよ」

 覚悟してても、してなくても、その日は順当にやってきた。
 終業式が終わって、受験勉強をして、クリスマスイブは家族と過ごして。
 キリが作ってわざわざ届けてくれたバナナカラメルマフィンは、弟にブーイングをもらいながらも独り占めして。
 誕生日当日。イルミネーションを見に行くからと、待ち合わせは夕方にした。
 家まで迎えに来てくれたキリが、驚いたように目を丸くする。
 去年キリが贈ってくれたレースのシュシュで、ポニーテールにした伸ばし中の髪。この日のためにって買った、シュシュに色を合わせたマキシ丈のスカート。軽くだけど友だちに教わったお化粧までして。
 気合いが入りすぎかもしれないけど……引かれてはいない、と思いたい。

 お誕生日おめでとう、ありがとう、なんて普通すぎるやりとりを玄関先で交わしてから、駅に移動した。
 下りの電車は、微妙に人が多かった。みんな目的地は同じなんだろう。
 イブの日だったらもっと多かったかもしれない。当日にして正解だった。そもそもクリスマスだからじゃなくて、キリの誕生日だから一緒に出かけているわけだけど。
 キリの誕生日がクリスマスなのは、もちろん偶然なんかじゃない。冬生まれで正確に生まれた日がわからないキリの誕生日を、勇者の力で12月25日に設定したのも私だ。キリストからもじったキリにぴったりの誕生日。ケーキが食べられてプレゼントがもらえる日をまとめてしまったことに気づいて、ごめんなさいとあとでこっそり反省したっけ。

 ガタンゴトンと揺れる電車内で、ドアの近くに立つ。
 窓の外は夕焼け空。流れる風景を眺めながら、キリと昨日のクリスマスイブの話をする。スリッパはちゃんと喜んでもらえたらしい。
 ふと隣に立つキリを見上げると、ちょうどキリは私を見ていたようで視線がぶつかった。
 キリは一度目をまたたかせてから、ふっと微笑みを浮かべる。

「今日はいつも以上にかわいいよ」

 おのれはイタリア人か。
 さらりと褒め言葉が出てくるキリに、私は赤くなればいいのか青くなればいいのか迷った。

「……お世辞なんていいよ」
「どうしてお世辞だと思うの?」

 キリは本当に不思議そうに問いかけてくる。
 その表情がどこか悲しげで、なんだか悪いことを言ってしまったような気になった。

「に、似合ってないし」

 ジーパンにパーカーなんかが基本で、ちょっとおしゃれしてもチュニックにレギンスとか、キュロットスカート。
 こんな女の子らしいひらひらした長いスカート、あっちの世界でも着なかった。あっちでは身体能力が上がっていたのもあって、動きやすさ重視で服を選んでいた気がする。
 でも、デートならスカートにしなさいって、リリが言うから。これなら似合うよってめずらしく微笑んで言うから。
 別にデートじゃないけど。そんなつもりじゃないけど。
 キリに、ちょっとでもかわいいって、思ってもらいたくて。

「かわいい。マリアはかわいいよ」

 心を読まれたかと思った。
 ぶわあああっと熱が全身に広がっていく。
 まっすぐすぎる賛辞に、今度は耐えきれなかった。

「電車内でやめて……!」
「本当のことを言ってるだけなのに。マリアが信じるまで何度だって言うよ」
「信じる! 信じるからお口チャック!」

 小声で叫ぶ私に、キリはふふっと笑みを深める。
 いつもの、ヨセフさんに似た優しい笑みとちょっと雰囲気の違う。
 どこか色気のある、魅力的な、男の顔。

「ほんと、かわいい」
「キリー!!」

 我慢ならずに、結局周囲の迷惑になってしまった気がする。
 金切り声は、いくら声をひそめていても、充分うるさかっただろう。
 私は悪くない。キリがいけない。かわいい禁止令でも発令すればいいんだろうか。
 ……そりゃあ、まあ、褒めてもらえるのはうれしいんだけど。
 かわいい、なんて、あっちの世界ではキリに言ってもらったことなかったし。それどころじゃなかったから。
 恥ずかしいのに、嫌じゃない自分が、なんだかバカみたいで悔しいだけだ。


  * * * *


 そのまま三十分ほど電車に揺られて、ほとんどの乗客と一緒に大きな駅で下りた。
 イルミネーションは駅前からずーっと続いていて、端まで行くとちょうど森林公園にたどり着く。
 そっちまで行ってしまうとお店が少ないから、先に駅の周辺でご飯を食べてからイルミネーションを見ようということになった。
 の、前に、ごめんトイレ。と改札口前でキリに待っていてもらって。
 戻ってきたら、人が多すぎてキリがどこにいるのかすぐにはわからなかった。
 キョロキョロと周囲を見回す私の耳に、聞き慣れた名前が飛び込んできた。

「あれー、希理じゃーん!」
「幸松くん! メリークリスマス!」

 声の方向に目をやると、たしかにキリがいた。男女四人組に囲まれて。

「メリークリスマス。みんなはこれからどこに行くの?」
「カラオケー。持ち込みオッケーだからケーキ買ってこうと思って」
「あ、それなら駅ビル一階のシャルリエっていうケーキ屋はおすすめだよ」
「へー、いいこと聞いた! そこ行こうぜ!」

 この駅、そんなにちょくちょく利用する機会なんてなかっただろうに、よく知ってるなぁキリ。
 さすが料理研究部だけあって、おいしいお店探しには余念がないらしい。
 これはキリに一任した、夕ご飯のお店も期待できるかもしれない。

「よかったら幸松くんも一緒にどう?」

 ギシリ、と胸のどこかが軋んだ音がした。

「ううん、僕は人と一緒だから」
「じゃあその人も……」
「あ! もしかしてデートかデート!」
「え、おま、いつのまにカノジョなんて作ったんだよ!」

 女の子の一人が何か言おうとしたけれど、男二人の大声がそれをさえぎった。
 急に態度の変わった二人を見て、キリはくすくすと笑う。

「高浦たちに報告する義務なんてあったの?」
「ずるい! リア充爆発しろ!」
「顔がいいやつはこれだから……」
「はいはい、早く行かないとカラオケの部屋取れなくなるよ」

 キリの言葉に、あ、やべー、とか言いながら四人組は駅のほうに消えていった。シャルリエとかいうお店を探すのかもしれない。
 彼らの後ろ姿を微笑みで見送るキリは、なんというか……。
 すぐにキリは振り返って、私に気づいて駆け寄ってくる。
 私からも近づいて、お互いに苦笑をこぼした。

「ごめんマリア。僕のほうが待たせちゃったかな」
「別にそんなでも。クラスメイト?」
「そう、賑やかでしょ。いつも元気いっぱいなんだけど、今日はクリスマスだからかいつも以上だったね」
「楽しそうだったね」
「うん、仲のいいグループだからね。僕もたまに混ぜてもらうんだ」

 そうじゃない、そうじゃなくて。
 キリも、楽しそうだった。
 浮かんだ感想はなぜか言葉にしたくなくて、下唇を噛んだ。

 キリを誘おうとした女の子は、もしかしたらキリのことが好きなのかもしれない。
 好き勝手に下世話な想像をしてしまう自分が嫌になる。
 でも、そうだったらどうしよう。どうしようもないんだけど。どうすることでもないんだけど。
 デートって、言わなかった。笑ってごまかした。
 そりゃあ否定したのは私だけど。名言してほしかったわけじゃないけど。
 キリにとって今日のこれは、単なる近所のお姉さんとのお出かけ?
 処理しきれない思いが浮かんでは消え浮かんでは消え、そのすべてが私の心にもやもやを残していく。

 この世界に帰ってきて、キリを連れ帰ってきて。
 それだけで満足できればよかった。
 一緒にいられることに、声を聞いて笑顔を見れて、仲良くしているこの距離に、満足できればよかった。
 キリが、他の人と話す。他の人と笑い合う。他の人をその新緑の瞳に映して、名前を呼ぶ。
 望んでいたはずの、見たかったはずの光景に、チクチクと胸に刺さるものがある。


 私は、醜くなってしまった。自分を嫌いになりそうなほどに。
 これが罰だっていうなら、女神もずいぶんと性格の悪いものだと思う。



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