ススメと一緒に暮らすようになって、早いもので一年が過ぎた。
その間に変わったことと言えば、それこそ山のようにあるが、一番はペットを飼い始めたことだろうか。
それも、犬でも猫でもハムスターでもなく、兎だ。
おかしなことのように思えるかもしれないが、獣人がペットを飼うことはわりとよくあることだった。
兎の獣人などという言い方をするものの、太古までさかのぼったところで兎と血がつながっているわけではない。動物と獣人は、まったく別の種だ。
けれど、何かしらの縁はあるようで、特に感情が単純な子どものうちは、同種の動物の思考がある程度読み取れるらしい。
犬の獣人なら犬、猫の獣人なら猫、兎の獣人なら兎。
子どものいる獣人の家ではそれらが飼われていることが多い。
理由を簡単に説明すると、子どもの情操教育にいいからなのだそうだ。
「おじさん、ユキが逃げたー!」
「はぁ?」
リビングに飛び込んできたススメの叫び声に、コクヘキは顔をしかめる。
ススメは兎のユキと共に庭で遊んでいたはずだ。
先ほどまでは自分もその場にいたが、昼食の準備をするために家の中に戻った。
それはたった十五分ほど前のことだ。
「ユキ、どっか行っちゃった。
家の中にもいない」
ススメは涙がこぼれていないのが不思議なほどの様子だった。
白くふわふわとした耳はしょんぼりと垂れていて、赤い瞳はうるんでいる。
軽く汗をかいている様子からして、持ち前の俊敏さで駆けるように家内を見て回っていたんだろう。
「ちゃんと見ておけと言っただろう」
「だって、ほんのちょっとだけだったのに……」
うる、と瞳がさらにうるおいを増す。
コクヘキはススメの涙に弱い。泣かれたくはなかった。
はぁ、とススメには聞こえないよう小さくため息をつく。
ちらりと作りかけの昼食を一瞥し、すぐにススメに視線を戻す。
結局のところ、コクヘキに選べる選択肢は最初から限られているのだ。
「一緒に探すぞ」
ぽんぽん、とススメの頭をなでながら、そう言った。
「うん……」
ススメは顔を上げることなく、小さくうなずく。
元気のない声に、どうしたものかと頭を掻く。
反省はしてもらわなければならないが、落ち込んでほしいわけではない。
起きてしまったことは仕方がない。次から気をつければいいのだから。
かすかな膝の痛みを無視して、コクヘキはしゃがみ込む。
うつむいているススメの顔を見るためには、そうするしかなかったから。
ススメの顔を覗き込みながら、両手で彼女の肩をつかむ。
ようやく、ススメと目が合った。
「見つけて、ユキに謝るんだ。
次は目を離さないよう、気をつけられるな?」
「うん!」
コクヘキの言葉に、ススメは今度は力いっぱいうなずいた。
誠意が伝わったのなら何よりだ。
子どもの目線になることは大切だ、ということだろう。
子育ての難しさを再確認しながら、コクヘキは兎のユキを探しに外に出た。
* * * *
兎は基本的に、臆病な生き物だ。
外への好奇心よりも、未知への恐怖のほうが勝るはず。
あまり遠くへは行っていないだろう、というのがコクヘキの見解だった。
家のすぐ裏には、それほど広くはない林が広がっている。
きっとそのどこかにいるだろう、と茂みをかき分け探していると。
ガサガサッと明らかに風によるものではない葉擦れの音がした。
音のした茂みから、何かが飛び出してくる。
ユキだろうと確信を持っていたコクヘキは、魔力を練って簡易的な捕獲魔法を展開した。
ぽわん、とシャボン玉のような球体に閉じ込められたのは。
兎ではなく、兎の獣人だった。
「……おじさん」
「……ススメ」
ふわりふわりと浮いているシャボン玉の中、ススメがビックリしたような顔でコクヘキを見上げてくる。
ペットを捕らえたと思ったら、我が子だったとは。
同じ色をしていて、同じ耳としっぽが生えているとはいえ、間違えすぎだ。
別の場所を探していたはずのススメが、なぜここにいるのか。
必死に探すあまり方向にまで気が回らなかったのだろうとは思うが。
空間把握能力に長けているはずの獣人にあるまじき方向音痴っぷりに、間違えた自分を棚に上げて呆れてしまう。
「何、これ? おもしろーい!」
少しすると衝撃は去ったらしく、ススメはきゃっきゃとはしゃいだ声を上げる。
お前はさっきまでユキがいなくなって気を落としていたんじゃないのか。
子どものテンションというものは上がり下がりが激しく、もう中年と呼ばれる年代の自分にはついていけないものがある。
まあ、落ち込まれたままよりはいいか、と前向きに考えることにした。
コクヘキはシャボン玉を下に下ろしてから、捕獲魔法を解除する。
「あ、なくなっちゃった」
地面に座り込んだススメは、名残惜しそうに自分の周囲を見回す。
そんな彼女の両脇に手を入れ、立ち上がらせる。
軽く埃をはたき、白い髪についていた葉っぱも取ってやった。
「さっさと別の場所を探しに行くぞ」
「おじさん、ユキこっちにいる気がするよ!」
そうススメが指さした方向へと進んでいくと、確かにそこには迷子になったユキが草葉の陰で震えていて。
動物的勘はバカにはできないらしいとコクヘキは知った。
よくやったな、と褒めてやると、ふへへ、とどこか間の抜けた、けれどかわいらしい笑顔を見せてくれた。
些細な事件というものは、子どもの成長には欠かせないのかもしれない、と。
今までのコクヘキなら避けていたような面倒事も、少女がもたらすものならば許容できる自分に、苦笑を禁じえないのだった。