4.傍にいるという、その誓い

 ススメを養子に迎えてから、二年が経とうとしていた。
 迎えた当時六歳だったススメはすくすくと育ち、去年の服が着れなくなるほど身体も大きくなった。
 子どもの成長とは早いものだ。
 昼下がり、リビングのソファーで、コクヘキの膝を枕にして昼寝をするススメとユキを眺めながら、そんなことをぼんやりと思う。
 ユキを抱えながら、すやすやと眠るススメ。
 まとう色が同じだからなのか、寝顔すら似て見えてくる。

 お腹を冷やさないようにとかけていたタオルケットは、いつのまにか足下で丸まっている。
 これでは意味がない、とコクヘキは腕を伸ばし、タオルケットを手に取る。
 起こさないように慎重にかぶせるが、ススメがぐずるように身体を動かした。
 獣人は聴覚や嗅覚が発達している。周囲の動向に敏感だ。
 気づかれないように、というのには無理があったかもしれない。

「むぅ〜……おじさん……?」

 真っ赤な瞳が薄く開かれる。
 何かを探すようにキョロキョロと視線を動かし、コクヘキに目を留めてふにゃりと無防備な笑みを見せた。
 愛しさがわき上がって、寝癖を整えつつ頭をなでてやった。

「起きたのか? まだ寝ていてもいいぞ」
「起ーきーるー」
「そうか?」

 眠気を飛ばそうとしているのか、ススメは目をごしごしと拭う。
 けれどその瞳はいまだに眠そうにとろんとしているし、声はあくび混じりだ。起きあがろうという気配もない。
 このままだとまたすぐに寝てしまいそうだが、本人の意志は尊重すべきだろう。

「ふへへ〜、つの〜」

 横向きから仰向けに体勢を変えたススメは、コクヘキの頭に手を伸ばす。
 届きやすいようにと少し前屈みになってあげると、ススメは鬼族にとって一番大切な角へと触れる。
 子どもらしからぬ、そっとした手つきで。
 ススメなりに、これがコクヘキにとって大事な部位であることは理解しているのだろう。
 たまに触れたがる理由はよくわからないが、ススメが楽しそうにしているからそれでいいか、とコクヘキはあきらめと共に思う。
 鬼族の角に触れることは求愛行為であり、触れさせることは愛を受け入れるという意思表示なのだと。
 今はまだ、そんなことは知らずに、無邪気に笑っていればいい。
 ススメが育ち、年頃の女性となったら、きちんと教えなければならないのだろうが。

「あのね、わたしね、変だったの」

 ぽつり、となんの前触れもなくススメはそう口にした。
 その声や表情からは、感情を読みとれない。
 ただ、事実を淡々と述べているような言い方だった。

「変?」
「色がなくって、目だけ赤かったから。変、って言われた」
「……いつ、誰に?」
「院にいたとき。誰だったかなぁ、何人かに」

 外見的特徴を、数人がかりで悪し様に言う。
 それはいじめの一種だろう。
 孤児院には他に兎の獣人はいなかったのだろうか。
 もしくは、いてもススメと同じ色ではなかったのか。
 白髪に白い肌、赤い瞳。ススメと同じ色を持った兎の獣人は、そこまでめずらしいわけではない。コクヘキも何度か目にしたことがある。
 けれど、たしかにススメの赤い瞳は色が鮮やかで、見る人によっては違和感を覚える色かもしれない。
 だから、純粋な子どもは感じたままに、変、と言ってしまったのかもしれない。

「変、って言われて、そっか、って思ったの。
 だから、おとーさんとおかーさんに捨てられちゃったんだ、って。
 わたしが変だったから、いらなかったんだって」

 自分は変なのだ、と。
 何度も言われれば、それは事実のように感じられるだろう。
 真に受けて自分を否定するのは楽だろう。
 自分が悪いのだと思えば、それ以上考えずにすむ。
 理由がはっきりしているということは、一種の安定感を生む。
 自分が変だから、捨てられた。
 ススメはそう思うことで、自分を捨てた親を恨むことなく、社会を恨むことなく、変に鬱屈することなくきれいな心のままでいられたのだろう。
 けれどそれでは、あまりにも悲しい。
 自分を否定することに慣れてしまってはいけない。
 まだ、間に合うのなら。コクヘキはきちんと少女の心をすくい上げなければいけない。

「ススメ、それは違う」
「ふえ?」

 きょとん、と眠そうな瞳がコクヘキを見上げる。
 炎よりも、夕日よりも、果実よりも、花よりも赤く鮮やかな双眸。
 すべてを見通すような澄んだ瞳は、コクヘキにとってはどんな宝玉よりも尊いものだ。
 傷は癒してやりたい。これ以上傷つかないよう、守ってやりたい。
 大切に、大切にしてやりたい。
 自分のことをいらない子だなんて、二度と思わないように。

「ススメはどこも変ではないんだ。
 人の持つ色というものは、人によって違う。
 そんなことで差別されるのは、変だなんだと言われるのは、おかしいことなんだ」

 一句一句ゆっくりと、ススメが取りこぼさないように、コクヘキは語りかける。
 理解の手助けとなるよう、言葉に想いを乗せる。
 ススメは変ではないのだと。

「お前は捨てられて当然の子どもではない」

 すべらかな頬に、優しく触れる。
 雪のような白い肌は、けれど雪とは違いコクヘキにぬくもりを伝えてくる。
 守りたい、いとおしい体温。
 どうしてススメの親は、彼女を捨てることなどできたのだろう。
 コクヘキには理解ができない。理解しようとも思わない。

「……だから、おじさんはわたしにやさしいの?」

 まどろむように目を閉じたススメは、ささやかな声で問いかける。
 寝言にも近いような、小さく不明瞭な声。

「なんでかなー、って思ってたの。
 わたしは、変なのに。捨てられた子なのに。
 おじさんは、わたしにすごくやさしい。
 どうして、やさしくしてくれるんだろーって、ずっと思ってた」

 眠いからこそ、本音がこぼれたのかもしれない。
 ずっと気になっていて、それでも聞けなかったのだろう。
 無邪気にコクヘキに懐きながらも、心のどこか奥底では、怯えを捨てることができずにいたのか。
 どこまでなら近づいていいのか、どこまでなら甘えても許してもらえるのか。
 子どもらしくない遠慮と計算。けれど大人を信じられないススメには、きっと必要なものだった。
 コクヘキを信じたいと、コクヘキなら信じられると、そう思っていたからこそ。
 嫌われたくないと、捨てられたくないと。
 意識のはっきりしていない今でなければ言葉にできないほどに、それは密やかに心を浸食していたのだろう。

「わたしが変じゃないから、おじさんはわたしを捨てないの?」

 スッとまぶたが上がり、赤々とした瞳がコクヘキを映した。
 まるでコクヘキの心の中を覗くかのように。
 ここで答えを間違えてはいけない、とコクヘキは確信した。
 ススメとの間に築いてきた信頼を失わずにすむかどうか。最後の壁を取り除くことができるかどうか。
 その、瀬戸際に立っている。

「お前がどれだけ自分を変だと思っても、俺はそうは思わない。
 お前は、俺にとって大切な子どもだ。守りたいし、慈しみたい。
 ススメが必要としてくれる限りは、傍にいる」

 白い髪を梳きながら、一つ一つ言葉を選んで音にする。
 どうか伝わってくれ、と祈るように思う。
 コクヘキは決してススメを傷つけたりはしない。
 かつてススメを傷つけ、ススメを捨てた親とは違う。
 ススメは虐げられて当然の存在などではなく、愛されるべき子どもなのだと。
 そうして、そんなススメをコクヘキは守りたいと思っているのだと。
 不安の挟まる余地もないほどに、真意がそのまま伝わればいい。

「わたしは、おじさんが欲しいよ。すっごくすっごく、欲しい。
 ひつようって、そういうこと?」
「ああ、そういうことだ」

 八歳のススメには少し言葉が難しかっただろうか、と苦笑しつつ、コクヘキはうなずく。
 求められているというのは純粋にうれしい。
 まだススメには親が必要だ。
 一人で立てるようになる、その時まで。
 彼女を支える手と、彼女を見守る目と、彼女を愛していると告げる口が必要になる。

「じゃあ、ずっと一緒だね。
 ずーっとずっと、一緒だね」

 ススメはうれしそうに破顔して、そう言った。
 コクヘキの太股に頭をすりつけて喜びを表すその姿は、無垢で無邪気で、無知な子どものもの。
 ずっとずっと、一緒ではないだろう。
 いずれススメは、コクヘキのものではない手を選び取るだろう。

――お前が望む限りは、ずっとだ。

 そう、コクヘキは誓いを胸に刻む。
 いつか離れていくぬくもりを、かすかに寂しく思いながらも。



 ずっとずっと、一緒。
 子どもらしい発想。子どもらしい言葉。
 けれど、彼女の笑顔がどこか子どもらしくない大人びたものに見えたのは、なぜなのか。
 それをコクヘキが知るのは、何年もあとのことになる。



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