深夜、ちょうど日をまたいですぐの時限に、エリオはタクサスの部屋を訪ねた。
つい先ほど、タクサスの魔力の流れを感じ取ったからだ。
それは微量なものだったから、危険視するようなものではないけれど。
一応、何があったのか確認しようと思った。
「寝ないのか?」
扉を開き顔を覗かせたエリオに、タクサスはそう言葉をかけてくる。
いつもどおりの様子にそっと安堵し、エリオは部屋に入る。
「タクサスこそ」
「俺はまだやることがある」
そう言って彼は手にしていた書類に目を戻す。
タクサスの言うやること、というのが何かはわからないが、そもそもタクサスは暇ではない。
賢者としてこの森を鎮め続けなければいけないし、みどりの教育や、彼個人の研究もある。
今回のように不測の事態が起きれば、寝る間も惜しいと思っても不思議ではない。
「じゃあ、オレもそういうことにしておくよ」
「……エリオ」
タクサスの目が責めるようにエリオに向けられる。
「間違ってはいないでしょ?
まだ何もわかっていなくて、何か起きてもおかしくない。
そんなときにおちおち眠ってなんていられないよ」
森もみどりの様子も変化がなく、フィーラが寝ているからといって、安心はできない。
たった一瞬で事態が動くことだってありえるだろう。
寝ることでその一瞬を逃してしまえば、エリオは絶対に後悔する。
「体を休めておくことは重要なことだ」
その言葉はこれ以上ないくらいに正論で、エリオは思わず苦笑をもらす。
タクサスは本当に生真面目だ。
そんな四角四面な性格で、生きづらくはないんだろうかと心配になってしまう。
何十年と生きてきて、それでも変わらない性質なのだから、ただの杞憂なのだろうけど。
「君の言うことももっともだけどね、今さらだよ。
別に数日くらいは寝なくても支障ないしね」
魔力が高く、人から離れた者たちは、人とは違う理で生きている。
睡眠も食事も、ほんのわずかの摂取量で足りてしまう。
身のうちの魔力が、宿主を生かす。
それはタクサスとて同じことなのだから、わかっているだろうに。
エリオだって自分の限界くらいは知っている。
大丈夫だとわかっているから、安全性を優先しているだけ。必要だと思えばきちんと睡眠を取る。
「過信はよくない」
「小言以外に、言うことがあるんじゃないかな」
これ以上は聞かない、とばかりに話を無理やりに変える。
微量の魔力をなんのために使ったのか。それを聞くためにエリオはここに来たのだから。
そんなエリオに、タクサスはわざとらしくため息をついた。
「……エキナセアから、連絡が来た。
今は手が離せない用件があるらしいが、それが終わったらすぐにでも来ると。
二週間ほどと言っていたが、彼女のことだから早まるだろうな」
どうやらタクサスは離れた地にいる賢者仲間に連絡を取るために魔力を使ったらしい。
遠くにいる人と連絡を取る方法はいくつかあるが、一番楽なのは声だけ、あるいは文字だけを転送する方法だ。
少しの魔力があれば使える魔具もあるので、今回タクサスはそれを使用したんだろう。
エキナセアは曾祖母が落ち人で、彼女自身は落ち人の研究者でもある。
過去の落ち人の痕跡を調べるために世界各地を回っているため、連絡が取れてもすぐにはこちらに来られないだろうと最初からわかっていた。
落ち物の確認も、彼女にしてもらうことができれば、エリオよりもはっきりとしたことがわかったかもしれない。
フィーラが落ちてきたことで、彼女は何がなんでも用を終わらせてこちらに来るだろう。
落ち人や落ち物、異世界に詳しい彼女が来てくれれば、自分やタクサスの負担もだいぶ軽減される。
「他の人は?」
「イリシウムは今のところ静観しているが、エキナセアが来ればあいつも来るだろう。
スピラエには精霊の様子に気を配ってもらっている」
「それくらいしか今は動けないよね」
イリシウムもスピラエも同国に住む賢者の一人。
イリシウムはエキナセアの恋人で、医者。人体に詳しい彼に、フィーラがこの世界の人間と身体の作りが違うのかどうか診てもらう必要がある。
今はまだいいが、もし事態が長期化するなら、その間にフィーラが病気にならないともかぎらない。こちらの世界の薬が彼女にとって毒にならないのか、治療法が同じでいいのか、知っておくべきだ。
また、フィーラがこちらの世界の環境に適応できているか、界を越えたことで身体に影響が出ていないかなどもわかるはずだ。
スピラエは精霊術師で、精霊の姿を見、声を聞き、力を借りることのできる賢者だ。
精霊は世界中に存在しており、世界に流れる魔力とも密接な関係がある。
エリオやタクサスにも気配は感じ取れるが、意思の疎通はできない。
世界に対して何かしらの働きがあった場合、一番最初にそれを正確に把握できるのは、竜と精霊だろう。
だからこそスピラエが精霊から得た情報が必要となってくる。
「……難しいな」
ぽつりと、タクサスは小さくつぶやいた。
考えに浸っていたエリオは顔を上げ、タクサスに目をやる。
彼は机の上に広げられた書類に視線を落としながらも、もっと別の何かを見ているようだった。
「明確な敵がいるのなら、それを排除するだけですむ。
けれど俺には、フィーラは敵には見えない。
彼女には害意というものがまるでない」
タクサスが何を言いたいのか、エリオはすぐに把握した。
敵の目的も、そもそも敵がいるのかどうかも、今はまだわからない。
その現状がとても動きづらいのだ。
「そうだね、呆れるほど単純だし」
フィーラは子どものように単純明快な性格をしている。
嘘をつくことを知らず、自分を飾らない。
彼女を疑っているはずのエリオが心配になるほど危なっかしい少女。
タクサスが途惑うのも当然のことだろう。
「疑うのはオレに任せて、タクサスは普通にフィーラを見てあげてよ。
彼女も被害者の一人かもしれないんだから」
疑いながら普通に接するのは、タクサスには無理だろう。彼はそんなに器用ではない。
そういったややこしいことはすべてエリオに任せておけばいい。
そのために、自分はここにいるのだから。