44.おやすみなさい、よい夢を

 小鳥さんとたわむれていた私は、エリオさんから一つ、注意を受けた。
 屋敷から離れないように、と。
 庭に出るのはいい。でも、屋敷の周囲に張ってある結界からは出てはいけない、と。
 正確には、私が出れないように結界が張ってあるらしいんだけど、私の力はまだ未知数だから、無効化できてしまう可能性もないわけじゃないらしい。
 だから結界自体に近づかないようにしてね、と言われた。

 私は落ち人で、落ち人はいろんな人に狙われやすい。
 それを守るためには、安全なところから出ないようにするのが一番確実だ。
 幸いなことに白竜さんのおかげで、今現在落ち人の存在を知っているのは、屋敷にいる人たちだけ。
 私さえおとなしくしておけば、しばらくは何事もなく過ごせるだろう、ということらしい。
 
『数日か、数ヶ月か。どのくらいの期間、不自由を強いることになるかはわからない。
 それでも、これは君の安全を守るためなんだ』

 真剣な顔をして、エリオさんはそう言った。
 そんなふうに言われたら、駄々をこねることなんてできるわけないじゃないですか。
 いえ、そもそも駄々をこねるつもりはありませんでしたが。
 だから私はしっかりうなずいた。
 庭に出るのは大丈夫らしいから、まったく外に出ちゃいけないわけじゃないし。
 自分はそんなにアウトドア派じゃないみたいだから、別に不自由ってほどでもない。
 そう言ったら、エリオさんには苦笑されたけど。
 少しだけほっとした表情をしていたのは見間違いじゃないと思う。

 守るって、臆面もなく言えちゃうエリオさん。
 エリオさんには私を守れる自信があるんだろう。
 自分の力を信じているからなのか、賢者っていうのがそれだけすごいものなのか、私にはわからないけど。
 そういえば、賢者がどんな存在なのか、ちゃんと聞くのを忘れてた。
 『神々に最も愛されし者』、だっけ?
 この世界の神さまのこともよく知らない。この世界には神さまが普通に存在しているのかな。
 明日、エリオさんに聞いてみよう。

 どうして明日なのかというと。
 現在、私はベッドにもぐって寝る寸前、なのです。
 夕食をみんなで食べながら、途中何度か意識が飛びそうになって、まずいなぁとは思っていたんだけど。
 根性でデザートまで食べきってから、視界が暗転。
 気づいたらエリオさんにまたお姫さま抱っこで部屋に運ばれていました。
 エリオさんが言うには、テーブルに突っ伏して寝ちゃってたんだって。
 数分くらいらしいけど、少し寝たからなのか、今はまだ起きていられているものの。
 ものすごーく眠いことには変わりないのです。
 実のところ、考え事なんて思い浮かぶ端からどんどん消えていっちゃってる。

「ふあぁ……」

 ああ、もうダメだ。本当に眠い。
 起きたのが夜明け前だったからなのかな。でも、その前に半日も寝ていたのに。
 今はまだ八時過ぎくらい。こんな時間に寝るなんて健康的すぎるよ。
 でも、波状攻撃をしかけてくる睡魔には勝てません。

 明日は、この世界のことについて教えてもらおう。
 賢者のことだとか、国だとか神さまだとか。
 今はまだ、この世界にとって私はお客さんみたいなものだから。
 少しでもなじめるように。少しでも、みんなと同じ場所にいられるように。
 そんなふうに思うくらいには、エリオさんたちのことを好きになっているようです。

 異世界人で、記憶がなくて。
 どうしてこの世界にやってきたのか、わからなくて。
 落ち人だから、狙われるかもしれなくて。
 不安になる要素は山ほどある。
 それでも、こうして安心して眠気と戦っていられるのは、エリオさんたちがいるから。

 拾ってくれて、名前をくれて、守るって言ってくれたエリオさん。
 私が不自由しないよう力を尽くすと言ってくれたタクサスさん。
 屋敷のことを色々と教えてくれたローラスさん。
 おいしいごはんを作ってくれたマルバさん。
 からかうのが愛情表現らしいラピスさん。
 みんな優しくて、あたたかくて、とても素敵な人たちだ。

 そんな人たちのいる世界のことを、もっと知りたい。
 そう、私は自然と思った。
 明日、ちゃんと聞こう。

 ……寝て起きても、この決意を覚えていられたらいいな。


  * * * *


 明るくもなく暗くもない、うるさくもなく静かでもない。
 そんな、不思議な場所。
 ああ、夢を見ているんだなって、すぐにわかった。
 自分の身体すら認識できない。
 たまにある神視点というやつかもしれません。

 何もない場所に、光が二つ。
 大きくて強い光と、小さくて弱い光。
 昨日見た夢と一緒だ。

――こんにちは、あっちです。
――こんにちは、こっちです!
――二人合わせて、あっちこっち……にはなりません。

 声のようなものが頭に響いてきて、私はがくっとうなだれた。今は身体がないから、そんな気分というだけだけど。
 やけにテンション高くないですか。
 ツッコミ待ちなんでしょうか、これ。私どちらかというとボケだと思うんだけどなぁ。
 大きな光も小さな光も、上機嫌なように見えた。
 ただの光だから、なんとなく、でしかないんだけどね。

――ずいぶんこっちになったね!
――最初はこっちがあっちだったのにね。
――こっちにだいぶかたむいたみたいで、安心安心♪
――安心安心。

 どうやら二人とも、私がこっちにかたむいたことがうれしいらしい。
 こっちにかたむいた、というのがどういうことなのかは全然わからない。
 お願いだからもう少しわかりやすく説明してくれませんか。
 私、あんまり頭よくないんです。

 こっちとあっちは、最初は逆だったらしい。
 前はあっちがこっちで、こっちは存在していなかった。
 かたむいているほうがこっちになる。
 つりあったら固定されちゃうから、かたむいたままでいないといけない。
 そんなことを、前回の夢でも言っていた気がする。
 うん、まったくもって意味不明だけどね。

 とりあえず、今の私はこっちにかなりかたむいているらしい。
 そして、それは二人を安心させるようなことらしい。
 訳はわからないけど、二人とも説明してくれる気はないみたいだから、適当に流すしかない。
 というか今さらだけど、数え方は二“人”であってるのかな?

――でも、まだ油断しちゃダメだよ!
――何があるかわからないからね。

 二つの光が明滅をくり返す。
 それを見ていると、なんだか無性に不安になってくる。
 気をつけなきゃ、って思えてくる。
 ただの夢のはずなのに。
 でも、似たような夢を見るってことは、私に何か伝えようとしているんだろうか。
 かたむいたままでいることは、私にとって大切なことなんだろうか。

――ぼくらのフィーラ。きみはこっちにあるべきだ。

 大きな光が、優しくまたたく。
 まるで、よろしくと手を差し伸べられているようだ、と思った。
 その光を見ていると、もっと近づきたいような気持ちになってくる。

――ぼくらのフィーラ。あっちのことは気にしないで。

 小さな光が、静かにまたたく。
 まるで、バイバイと手を振られているようだ、と思った。
 その光を見ていると、寂しくて泣きたいような気持ちになってくる。

――おやすみ、ぼくらのフィーラ。

 声のようで声じゃない、頭に直接響く言葉。
 やわらかい響きに、私の思考はだんだんと溶けていく。
 引っ張られる感覚がして、気づく。
 ああ、目が覚めようとしているんだって。




 不思議な夢は、これでおしまい。

 次に目が覚めたときには、現実が待っているのです。



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