それから二人であれこれと意見交換をして、当面の方針を固めた。
質問の草案を作るというタクサスを残し、エリオが退室したころには、すでに夜と呼べる時分になっていた。
――あの子を連れて戻ってきたときは、まだ暮れ始めてもいなかったのにな。
階段を下りながら、ぼんやりと窓の外の空を眺める。
少女を部屋に寝かせてからすぐに話し合いを始めたのだから、だいたい三時間ほど部屋にこもっていたらしい。
おおざっぱなエリオと違い、タクサスに聞けば正確な時間もわかるだろう。
が、知ればげんなりとしてしまいそうなので、あまり深くは考えないことにした。
屋敷内にある人の気配を探りながら、一階の厨房に向かう。
タクサスの用事とエリオの用事。どちらも一所に固まっていてくれて手間がはぶけた。
コンコン。ドアをノックをすると、すぐに元気な女性の声が中から聞こえてくる。
「はーい、どうせエリオさんでしょう?
今ちょっと手が離せないんで、勝手にどうぞ〜」
どうせ、だなんてひどいなぁ。と思いつつエリオはドアを開ける。
別に中から開けてもらいたかったわけではない。火や刃物を扱っている可能性があるため、驚かせて手元が狂ったら危ないだろうと確認しただけだ。
厨房にはこの屋敷に家族で働いている三人の姿があった。
その中の、冷たい印象を与える墨色の髪を後ろになでつけた壮年の男性に目を向ける。
「ローラス。タクサスが話すことあるって呼んでるから、行ってあげて」
「承知いたしました。では私はこれで」
男はエリオにうやうやしく頭を下げ、濡れた手をぬぐってすぐに厨房を出ていく。
とてもじゃないけれど、一瞬前まで妻の隣で片付けを手伝っていたようには見えない。
今日の分の食事はすでに調理済みのようで、タクサスがローラスへの指示を終えればきっと間を空けず夕食となるだろう。
少しばかり遅い気もするが、屋敷の主であるタクサスの都合にあわせ、食事の時間が前後するのはここではいつものことだった。
廊下に出る際、互いに特に声をかけるわけでもなく、視線だけで「行ってくる」「がんばってね」と伝えあう夫婦に、相変わらず仲睦まじいことで、とエリオは微笑ましく思う。
「何かしら? お仕事?」
「んー、仕事といえば仕事かな」
ローラスの妻であり、この屋敷の料理人でもあるマルバの問いに、エリオは曖昧に答える。
今回のような《賢者》としての行動は厳密には仕事ではないけれど、簡単に説明できるものでもなかった。
「あ、わかりました。あの黒髪ちゃんのことでしょう。
ただ拾ったってわけじゃなさそうでしたもんねー」
ローラスとマルバの娘、ラピスが興味津々といった様子で話に加わってきた。
黒髪ちゃん……思わず脱力してしまいそうなネーミングセンスに、エリオは苦笑する。
その少女が現在眠っている部屋を調えたのはラピスなのだから、気になるのも仕方ないのだろう。
「まあ、そんなとこ。詳しい話はあとでタクサスかローラスに聞いて。
みどりちゃんのこともあるから心配だと思うけど、大丈夫だよ」
エリオの言葉に二人は同時に頷いた。マルバはにこやかに、ラピスは少し不満そうに。
「それと、マルバさんに一つお願いがあるんだ。
あとでここ、借りてもいい?」
言いながらエリオは厨房内を見回す。
清潔に保たれた室内に、使いやすい位置に置かれた調理器具。前に来たときとあまり変わりない。
下手をすると自宅のよりも慣れ親しんだ厨房にいると、自然に心が浮き立ってくる。
「エリオさんですもの、旦那様の許可は先にいただいていらっしゃるんでしょう?」
「うん。マルバさんにも了承もらえってさ」
「断る理由はどこにもありませんわ」
大丈夫だとは思っていたけれど、マルバの快諾にほっとする。
小柄な背格好や柔和な表情にだまされそうになるが、マルバは意外と我が強く、一度決めたことはくつがえさない頑固なところがある。もし駄目だと言われたら、説得に苦労したことだろう。
「でも、何をなさるつもりなんです?」
「あの子……ラピス曰く黒髪ちゃん、の夜食を作ろうかなって。
たぶん、起きるのは深夜か明け方近くになるだろうから」
ラピスの当然の疑問に、別に隠すことでもないだろうと正直に答える。
タクサスの術によって眠りに落ちた少女は、元から疲れていたのか本格的に寝入っていた。
世界を越えた反動なのかもしれないが、落ち人に詳しくないエリオにはそこまではわからない。
深いだけで異常な眠りではなかったので、自然に目を覚ますまで休ませてあげようということになった。
ただ、そうなると半端な時間に目覚めるだろう少女のために、食事を別途用意する必要がある。
「それくらい、私たちが作りますのに。
本当にエリオさんは私たちの仕事を減らすのがお得意ですわね」
言いながら、マルバはこれみよがしにため息をつく。
義務感ではなく仕事を楽しんでいるのが見て取れ、少しだけ罪悪感を覚える。それが狙いなのだとわかっていても。
「ここ、食材も機材もそろってるから、つい作りたくなるんだよね。
いつもここで料理できる二人が羨ましいよ」
「ふふっ、賢者様のお言葉とは思えませんわね」
「男子は厨房に入るべからず、なんて言わないでね」
マルバの軽口にエリオも同じ調子で返す。
ついさっきまでローラスもここにいたのだから、そんな矛盾するようなことを言うわけがないとわかっている。
少々実力主義な面があるため、エリオの料理の腕がいまいちだったり後片付けが下手だったりすれば別なのだろうが。
どちらかというと女性が好むような趣味ばかり持つエリオは、おおらかな住人ばかりのこの屋敷はとても居心地がよかった。
「あ、エリオさん、もう黒髪ちゃんのところに行っても大丈夫ですか?
お花、まだ飾ってなかったんですよねー」
ラピスは思い出したようにエリオに確認を取る。
わざわざ訊いてきたのは、少女を部屋に寝かせに行ったとき、ちょうどそこにいたラピスに出した指示のせいだろう。
『彼女が目を覚ますまで部屋に近づかないように』
人の気配で起こしたらかわいそうだからね。と軽く言ったものの、別の理由があることくらい敏いラピスにわからないわけもない。
記憶がないせいなのか、手綱をエリオに丸投げ状態の少女の魔力は、鞘のない剣に申し訳程度に布を巻いてあるような心もとない状態だ。
あの薄金の魔力の主が再度干渉を試みる可能性も十分にある。落ち人ということもあり、いつ何が起きても不思議ではなかった。
「それなら一緒に行こうか。
ちょうど今から様子を見てこようと思ってたんだ」
――まだやらなきゃいけないことも残ってるしね。
続く言葉は心の中でだけつぶやき、エリオは笑顔でラピスを誘った。