16話 いらだちの理由

 エリオは《賢者》として人と関わる道を選んだ。
 偏屈な人間も純粋な人間も、どちらとも言えない人間もこれまでたくさん見てきた。
 瞳は心を映すと、エリオは身を持って知っている。
 木もれ陽の色の瞳は、間違いなく彼女の心をそのまま映していた。

 まっすぐで、隠すことも偽ることも知らない、無防備で危なっかしい色。

「見ていたかぎりじゃ、疑うどころか警戒すらしてなかった。
 よっぽど根が脳天気なのかな」

 辛口評価には、一応訳がある。エリオが彼女の保護者になったからだ。
 《賢者》が保護者になるというのは、単なる後見人ではなく、特殊な事情を持つ保護対象を内からも外からも守る義務を負うということ。
 落ち人は、欲深い権力者や力を望む無法者に狙われ、利用される危険性がある。
 いくらこの国が比較的平和だといっても、悪巧みをする人間なんてどこにでもいるものだ。
 赤の他人の言葉を鵜呑みにするわ、簡単に心を許すわ、下手すると五歳児よりも危なっかしい。外見が年頃の少女の分、余計に。

 もし、エリオが嘘をついていて、保護するという名目で彼女を取り込もうとしていたなら、どうするというのか。
 あの警戒心のなさでは、軟禁でもしないかぎり守りきれないような気さえしてしまう。
 自ら危険に飛び込んでいきそうで、これからを思うと頭痛がしてくる。

 もちろん、あの場ではエリオは彼女に信じてもらう必要があった。彼女こそ最大の手がかりなのだから。
 容姿や性格もあって、人の心をつかむのは得意だ。疑われる前にいくらか先回りしたりもした。
 けれど、いくらなんでも信じやすすぎじゃないだろうか?
 彼女の反応に対してそうつっこみたくなったのは一度や二度ではなく。
 どうしても責めるような言葉ばかりが浮かんできてしまう。

「お前を疑えというのも、難しい話なんじゃないか」

 沈黙して考え込んでいたエリオに、タクサスは何を思ったのか少女を弁護するようなことを言う。
 言葉をそのまま受け取れば、エリオの社交術を評価しているようにも聞こえる。

「褒めたって何も出ないよ」
「褒めてない」

 にこりと笑んだエリオをタクサスはばっさりと切り捨てた。
 もちろん、エリオもわかっていて混ぜっ返そうとしたので気にしない。
 真面目な話のときでもつい軽口をはさみたくなるのは、もう性分のようなものだ。

「お前の言い分も一理あるが、こう考えることもできる。
 記憶がないということは、自分の出自はもちろん、今まで何を思い何を信じていたかすらわからないということだ。恐ろしいだろうし、不安なはずだ。
 そんなときに目の前に親切そうな男がいたら、頼りたくもなるだろう」

 人の心理というものは、これが普通だと一つに決められるものではない。
 相手によって真逆の反応が返ってくることもある。状況などの外的要因でもいくらだって変化する。
 それくらい、エリオにもわかっている。……わかってはいるのだけれど。

「事実、お前はそう思わせられるように接したはずだ。違うか?」
「……違わない」

 否定できるわけがなかった。
 少女の警戒心が薄すぎるのは事実だとしても、疑わないよう仕向けたのはエリオだ。
 それで文句を言うのもおかしな話だろう、とタクサスは暗に示す。
 矛盾しているとエリオ自身も理解していた。

「どうした? 珍しく感情的だな。
 いや、珍しく感情に振り回されていると言うべきか」

 タクサスが微笑をこぼす。
 それは困っているようにも呆れているようにも、エリオをいたわっているようにも見える、優しい笑みだった。
 いつもは無表情か仏頂面ばかりの彼が笑むと、まとう空気も一気にやわらかくなる。

「あーもう……なんでタクサスにはばれるのかな」

 癖の強い髪をくしゃりと右手に握り込み、エリオは息をつく。
 感情というものは時に厄介だ。
 人の矛盾する思いは当然のものだけれど、自分の感情は制御できるものならしたいと思ってしまう。
 エリオは人よりも感受性豊かだと、過去に言われたことがあるし、自覚もしている。
 激しい感情は、原動力になるときもあれば、悪い方向へと働くときもある。
 己の身に宿る過ぎた力の手綱をしっかり握っておけるよう、あまり心を乱したくはないのに。
 強い懸念を抱かせる少女を、怖いな、とエリオは理不尽にも思った。

「あの子、変に危なっかしいから。
 これから大丈夫なのかなって心配なだけ」

 言葉にしてしまえばただそれだけのことだ。
 保護対象に危機感がなければ、どれだけエリオが手を尽くそうとつけ入る隙は生まれる。
 落ち人は特殊なのだと、危ない目にあう可能性があるのだと、理解してもらわなければならない。
 少女は頭が悪いようには見えなかった。けれどこれは頭でわかっているだけでは意味がない。警戒心は自己防衛のための本能のようなものだから。

 たとえばあの森で、ほんのわずかにでもエリオに疑いの目を向けてくれていたなら。
 《賢者》としては困るものの、保護者としては安心できただろう。
 その場合は今ごろここに少女を連れてくることはできなかったかもしれないのだから、本当に矛盾しているのだが。

 傷ついてほしくない、と思う。
 守らなければならない、と思う。

 それは他者のために力を使うと決めたエリオにとって、当然の意識。
 人形のような彼女を、感情の宿らない瞳の色を、見てしまったせいもあるのだろう。
 もうあんな状態にさせたりはしない、という使命感にかられる。

「そのための保護者だろう。彼女に警戒心が薄いなら、お前が補えばいい」

 知らないことは教えればいい。一人でどうにもならないことはエリオが手助けすればいい。
 あれこれと思い悩んだところで、結局エリオの成すべきことは変わらない。

「……俺も、お前にばかり任せるつもりはない。できるかぎりのことはしよう」

 いくらか心苦しそうに付け足したのは、エリオを巻き込んだのは自分だという負い目があるからだろう。
 だとしても、エリオが保護を申し出た以上、些細な経緯は関係なかった。
 タクサスはみどりとこの森の守護を優先しなくてはならない。少女に告げた通りに衣食住と身の安全はエリオが保障すべきものだ。
 もちろん、保護対象でなくとも協力者ではあるので、彼女に対する責任がまったくないわけではないけれど。

「うん。ごめん、ちょっと弱気になってたみたいだ」

 タクサスの厚意が純粋にうれしくて、エリオは笑みをこぼす。
 少なくとも自分は一人ではない。守る対象はそれぞれ違っていても、お互いに力を貸すことはできる。
 《賢者》としてするべきことを間違えないためにも。
 しっかりしないと、と気分を切り替えるように瞬きを一つ。


 彼女がどこの誰であれ、落ちてきた理由がどんなものであれ。
 エリオは少女を守る義務があるのだから。



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