11話 異世界からの落ち物

 目の前に並べられている品々を、エリオは一つ一つ手に取って確かめる。

 まず、かわいらしい指輪。
 白金で作られた華奢な意匠に、明るい黄緑色の輝石。
 サイズからして女性向けのものだ。

 次に、刺繍の施された布靴。
 硬質な茶色の布に、蔓と白い花の刺繍。こちらも女性用だろう。
 新品ではないようなのにあまり汚れていないから、室内履きなのかもしれない。

 そして、魚のぬいぐるみ。
 青と水色の肌触りのいい布で、平べったい海水魚を模して作られている。
 間の抜けた表情はかわいらしいと言えなくもないような……なんというか、コメントに困る。

 ぱっと見、なんの変哲もない指輪と靴とぬいぐるみ。
 けれど全てに共通するものがある。
 同じ者の魔力の色を、まとっていること。
 一部に、エリオが見たこともない技術や素材が使われていること。

「この世界の物じゃない可能性が高いね」

 エリオの言葉に、テーブルを挟んだ向かいの長椅子に座っていたタクサスは、小さく息をついただけだった。
 彼は詳しく話せと視線だけで先を促してくる。
 言わなくても伝わる相手の場合、言葉をはぶく癖はどうにかならないもんなんだろうか。

「指輪の石は傷がつきにくいように加工されてる。
 靴の刺繍に使われている糸と、ぬいぐるみのエラ部分の布は、たぶんこの世界のものじゃない」

 エリオは仕事柄、服飾に使われるような技術や素材はほぼ見知っている。普段はそういった用途で使われないものや、辺境の里などでのみ使用されているものなどはさすがに厳しいが、それが三つもそろうというのは偶然にしてはできすぎている。
 石の加工は、こちらの世界なら簡易的な防護の魔法を使えば済むようなものだ。その分当然値段も上がってしまうものの、この輝石は透明度が高く、値打ちもののようだ。それこそ、魔法で守られていないほうが不自然なほど。
 加工の仕方の詳細はわからない。どういった効果があるかだけ、だいたい見て取れる程度だった。

「異世界、か……」

 タクサスは難しい顔をして腕を組む。
 あまり驚いてはいないようだ。それも当然か。エリオとは得意分野が違うけれど、彼だって優秀な《賢者》なのだから。
 神々に最も愛されし者だとか、神の心を宿した者だとか、神の遺した叡智だとか。周りから好き勝手に称される《賢者》は、どうしたって厄介事に巻き込まれやすく、自然と鼻が利くようになる。
 慎重派なタクサスは、第三者による確たる裏づけが欲しかったんだろう。

「予想はしてたみたいだね」
「今、お前が指摘した理由からではないがな」

 エリオの言葉を肯定しながら、彼は隣に目を向ける。同じ長椅子に座っている、緑の髪の少女へと。
 彼女はその視線を受け、手を顔の前にかかげた。
 風を切るような音がして、細く綺麗な指先に、鮮やかな羽色の小鳥が止まる。
 話に聞いていた、一昨日落ちてきたという小さな生物。

「あのね、小鳥さんの名前がわからないの」

 左右で明るさの違う青の瞳を、まっすぐ向けてくる。
 困っているような、途惑っているような色をにじませて。
 その言葉と表情の意味するところを察し、エリオは再度小鳥に視線を移す。

「……みどりちゃんが干渉できない存在、ってことか」

 豊かな常緑の髪を背に流し、空と海を片目ずつに宿した少女は、ただの人ではない。
 十年ほど前、タクサスが保護した《世界の御子》。
 前例がないため、いまだに彼女の潜在能力は計りきれておらず、謎が多い。

 この世界でただ一人、神々ではなく、世界そのものから生まれた存在。

 世界に育まれたすべての生命と、彼女はつながっている。
 彼女からの干渉を拒むことはできない。その生の根源にある名を、彼女の前で隠すことはできない。《賢者》であるエリオやタクサスでさえ。
 にも関わらず、鳥の名前がわからない。
 それは、この世界とのつながりを持たない生物だからなのではないか。
 タクサスは、そう仮説を立てたんだろう。

「異世界からの落ち物となると、厄介だ」

 厳しい表情で告げられた言葉に、エリオも同意するしかない。
 異世界の物や人がこちらに紛れ込むことは、まれにある。
 それらを落ち物や落ち人と呼ぶ理由は、一番最初に見つかった物が空から落ちてきたからだとか、どれも落ち星のように魔力を秘めていたからだとか、言われているが。
 “故意に”落とされてきた物は、もしかしたら初めてかもしれない。
 どうあっても、面倒事であるのは確実だ。

「あちらの目的がわからないから、今後の出方もわからない。
 そうなるとどう対処したものかもわからない、と」

 異世界の物ということ以外、こちらは何も知らない。向こうは次元を越えて物を飛ばせるほどの力を持つというのに、だ。
 情報が足りないせいで、どうしても後手に回ってしまう。
 今はまだ、これといった被害は出ていないけど。
 このまま放っておいていい問題ではない、とエリオの勘は告げている。

「どう思う?」
「少なくとも、これで終わりじゃないだろうね」

 タクサスの問いに、エリオは自分の考えをすばやくまとめて答える。

「短期間に四つ、同一人物によって落とされてきたんだ。
 理由なくこんなことをするとは思えない」

 十日という短い期間。同じ場所に、同じ魔力をまとった落ち物。
 偶然のわけがない。理由がないわけもない。
 落としてきた物、もしくは落とす行為自体に、何かしらの意味があるはずだ。

「ここに落ちてきた理由は明白だよね。
 相手はこの世界に間違いなく飛ばせるように、みどりちゃんに焦点を合わせてる」

 《世界の御子》はこの世界で一番世界に近しい。
 それは、見方を変えれば世界の中心ということと同義なんじゃないだろうか。
 どんな術でこちらに物を落としてきたのかはわからないけれど、術者はみどりを目印にしたんだろう。

「失礼しちゃうなぁ」

 緊張感のないみどりの声に、エリオは毒気を抜かれる。
 その気になれば世界を掌握できるほどの力を秘めているかもしれないのに、彼女からそんな脅威は感じない。
 世界が人の過ちも愚行も黙して受け入れるように。
 みどりはかわいらしい外見にそぐわず、どこか泰然としたところがある。
 そのおかげでエリオたちもいつもの調子を崩すことなくいられるのだけれど。

 タクサスがエリオの協力を仰いだのは、他でもない少女のためだ。
 彼も、相次ぐ落ち物に、彼女が関係していると当然気づいた。
 いざというとき、彼女を任された者として、《世界の御子》の保護を最優先にせざるを得ない。
 だから、うかつに一人で動くわけにはいかなかった。
 エリオ以外にも数人、すでに連絡は取ってあるらしい。
 比較的自由に動き回れるエリオが一番乗りなのは、自然の流れかもしれない。

 頼られた以上、エリオは全力を尽くすつもりでいる。
 同じ《賢者》として力になりたい。
 それは友人だからというだけではなく、彼に手を貸すことで、救えるものの大きさを知っているから。

 何か、見落としてはいないだろうか。
 どこかに、手がかりが隠されてはいないだろうか。

 エリオは卓の上に目をやる。
 並べられている物。指輪に、靴に、ぬいぐるみ。
 みどりの指に止まったままの小鳥。
 魔力の濃度が増しているように見えるのが、時間の経過のせいだけでなかったら。

「一つ、気になるのはさ。
 だんだんと大きな存在を送ってきてるってことなんだよね。
 一昨日なんて物から生物になってる」

 初めの三つは、指輪の石自体の魔力は計算に入れず、単純に体積を見てみれば明白だ。物が大きくなるにつれ、まとっている魔力も強くなっている。
 鳥は小さいけれど、無機物と生き物とでは事情が変わる。命あるものを飛ばすのは容易ではないはず。過去に発見された落ち物も無生物が圧倒的に多かったのだから。
 それは、大きい物ほど、生きているものほど、次元を超えるためには多くの力が必要になる、ということではないだろうか。
 術者がそのことを理解していながら、まるで実験のように何度もくり返しているとすれば。


「最後は、人かな」


 そう呟いた、まさにその瞬間だった。

 それまでちらりとも感じられなかった魔力の塊が、すぐ近くに落ちた。

「……っ」

 全身にのしかかる圧力。頭が割れそうなほどの衝撃。
 一瞬、息どころか心拍が止まった気がした。

 ふわりと、目の前に広がったのは、常緑。

「みどり!!」

 聞いたこともないような、タクサスの叫び声。
 力が抜けたように椅子からすべり落ちそうになった少女を、彼は支える。
 ちりっ。エリオの肌をなぜる熱風。

「タクサス」

 発信源の名を、エリオは静かに呼ぶ。
 腕の中の少女から視線を上げた彼の顔は、真っ青だ。
 ここまで狼狽している青年を、エリオは今まで見たことがなかった。
 己の力を、律しきれていない彼を。

 身に宿る力が強ければ強いほど、危うい。
 強大な力を制御するために、より強い心を持たなければならないから。
 律しきれずに力に飲まれれば、待っているのは破壊と破滅のみ。

「……大丈夫だ」

 青白い顔色のまま、かすれた声で、それでもタクサスはそう答えた。
 かすかに感じた熱は、すでに消えさっている。
 彼が大丈夫だと言うなら本当に大丈夫なんだろう。エリオはタクサスの判断力を信じている。
 不測の事態ほど、冷静に、私情をはさまず対処する必要があった。

「落ち人だ」

 タクサスは断言した。エリオも魔力の濃度から予想はしていたから、驚きはない。
 この森を守るタクサスには、エリオよりも強く確かに感じられるものがあるんだろう。

 今までと同じ魔力によって落ちてきた人。
 自分の力で落ちてきたのか、別の者の手で落とされたのか。
 己の目で確認しないことには何もわからない。
 危険がないとは言いきれないけれど、ここはこちらから行くしかないか。

「オレが連れてくる。あとはよろしく」

「わかった」

 言葉少なに役割分担を告げれば、タクサスも一言で応じる。
 いまだに顔色は悪いものの、だいぶ落ち着きを取り戻したようだ。
 これならこちらは任せても平気だろう。

 エリオはその部屋から直接、森へと転移した。



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