12話 木もれ陽のようなペリドット

 森に落ちていたものは、精巧に作られた人形だった。

 ……そう思いたくなるほど、それは“生”を感じさせなかった。



 エリオは不快感を隠すことなく顔をしかめた。
 誰も見ていないなら表情を作る必要はない。
 いや、まさに目の前にいる存在はこちらに顔を向けていたけれど。
 そのガラス玉のような瞳には、何も映ってはいないだろう。

 より強く力を感じる場所へと飛んでみれば、ちょうど目に見える範囲にあった魔力の塊。
 淡い金色の魔力は、森の緑に溶けこむことなく存在を主張していた。
 宙に浮かぶ人形のような少女をおおい隠すように、強く、濃く、けれど不安定に揺れる色。

 エリオは魔力を色として認識する。視なくても気配はなんとなくわかるけれど、一番はっきりと感じるのは色だった。
 これは人にとって違い、一般的には視覚的情報のことが多い。たまに匂いや音として捉える者もいる。
 色を視ればその魔力の本質はだいたいわかる。
 誰の魔力なのか。術が発動する前なら、どんな効果を起こすための魔力なのか。

 これまでの落ち物のまとっていた魔力と同じ色。同じ気配。
 けれど、何かがおかしい。

 タクサスに聞いた話では、三つと一羽の落ち物は、ただ森に落ちてきただけだったという。
 一応は見張っていたものの、そのあとは特に変わった様子はなかったと。
 それもあって、エリオは実験のようだと思ったのだ。

 今、目の前をただよう魔力は、明らかに術を発動させようとしている。
 不安定に揺れ、不規則に濃淡を変えながら、それでもあらかじめ決められていたように動く。

 おそらく、これがあちらの目的だ。

 世界が異なれば術式も異なるらしく、エリオでも術の効果はうかがえない。
 落ちてくる前に組みこまれていたようだけれど、それにしても力が乱れまくっている。きっと発動自体失敗するか、成功しても正しく作用はしないだろう。
 エリオは慎重に歩み寄り、五歩ほどの距離を残して立ち止まる。

 さて、自分はどう動くべきか。
 失敗するまで待ち、それから落ち人を回収するか。今すぐエリオの魔力で術を強制的に止めるか。
 どちらも利点があり、どちらも難点がある。
 術を発動させれば相手の目的がはっきりする。けれど万が一術が成功した場合、被害は予測がつかない。その上、効果が出るまでに時間がかかる可能性もある。
 術を強制終了させればこれ以上被害は出ない。けれど相手の目的はわからない。今回のことで対策を練られ、再び同じことをくり返されてはたまらない。

 そもそもの問題は、まるで人形のように意思を感じさせない少女。
 金色の魔力が、彼女のものではないことだ。
 彼女の魔力は瞳の色に似た鮮やかな黄緑。それは金色の魔力に抑えられ、絡み取られ、術を構成するために使われていた。

「……嫌になるな」

 ペリドットのような瞳を見上げ、エリオは低い声でつぶやく。
 澄んだ綺麗な色に意思の光は宿っておらず、どこか作り物じみている。
 不自然で、不気味で、何より不愉快に思えた。
 人にしか見えないのに、道具のように扱われる少女。
 彼女も協力者の一人なのかもしれない。だとしても、自分自身をないがしろにするなら同じこと。
 幼さを残す容姿。身に秘めた魔力。何も知らずに利用されたと考えるほうが自然。

 エリオは《賢者》だ。脅威にもなり得るこの身の力をすべて、人のために使おうと心を決めている。
 人の命を、意思を踏みにじる者は許せないし、許してはいけないと思う。

 生ぬるい風が森に波紋を呼び、鮮やかな黄緑色の粒子が金の魔力によって周囲にばらまかれる。
 術が最終段階まで進んでいるようだ。
 ここまで来ても魔力は安定することはなく、成功する確率はほぼないように見えた。
 術式はやっぱりわからないけれど、魔力を結界で囲めば被害は最小限に抑えられるだろう。

 ただ、その場合……この少女はどうなるのか。

 深く考えることなく、エリオは五歩分の距離をつめる。
 魔力に触れて干渉してしまわないようにと。また、攻撃を受けても術が発動しても、他に何が起こっても確実に防げるようにと空けていた距離。

「生きてる、よね?」

 声に出したのは、返事が欲しかったからかもしれない。
 予想通りというか当然というか、返事どころかなんの反応もない。
 この距離まで近づけば鼓動を刻む胸を見て取れたし、元々大気の流れで呼吸は確認できていたから、答えてもらう必要はなかった。
 それでも、見たかったのは、意思の光。
 うつろというには純度の高い、ペリドットの瞳に宿る感情。

――映らないなら、映るようにすればいい。

 エリオの中で優先順位が入れ替わる。
 手がかりである落ち人の保護ではなく、少女の無傷での保護が最優先。同じなようでいてだいぶ違った。
 迷っている暇はない。何もしなければ術は発動してしまう。
 このままにしておいてはいけない。とエリオの勘が告げるなら、それに従うまで。

 まずは少女をおおう魔力を、エリオの魔力でもってすべて消し去る。
 術に成る前の魔力は、純粋な力そのもの。異なる力二つをぶつけ合えば、より強いほうしか残らない。
 それと同時進行で、操られていた少女の魔力の主導権を奪い、エリオの力で抑えこむ。
 ……使い方は違っていても、やっていることは淡い金の魔力と同じ。あまり気持ちのいいものではないけれど、少女が自分で制御しようとしないのだから仕方がない。
 普通は意識がなくてもここまで丸投げ状態にはならないはずなんだけれども。

 腑に落ちない思いを抱きつつ、浮力を失った少女を受け止める。
 ひらり、と帯が舞い、蝶のように見えた。
 草の上に座らせ、体に異常がないことを確認する。数分もすれば意識も戻りそうだ。
 懐から飾り気のない紐を取り出して、自分の魔力を込めてから、少女の髪の一部を後ろで軽く編んで結ぶ。
 こうすることでエリオとのつながりを作り、彼女への干渉を可能にさせる。さらに簡易的な結界の役割も兼ねてくれるだろう。

 手際よく一連の作業を終え、安堵と罪悪感からため息をもらす。
 魔力とは人の命に宿る力。それを他人が干渉して制御するということは、手足に糸を絡ませたようなもの。その気があれば先ほどのような操り人形にもできてしまう。
 もちろん仮にも《賢者》であるエリオにそんな暴挙は許されないし、するつもりもないが。
 できる状況にあるという事実に、感情論は関係ない。

「……タクサスに叱られるかも」

 型破りな《賢者》が多い中、生真面目で良心的な彼ならありえる。
 事情を話すにしても、ほとんど直感で行動してしまったから、実のところどれほどの危険性があったのかは説明しようがない。
 エリオのこういった性格も考慮して、小言の一つ二つで済ませてくれると思いたい。

 タクサスだったらどう対処したのかな。と、意味のないもしもを考えてしまう。
 自分のほうが年長で、《賢者》歴も長い。経験も判断力も劣ってはいないという自負はある。
 けれどこの森は彼の領域で、本来ならここにいるべきなのは彼だった。みどりのことさえなければ。
 今ごろ彼女を介抱し、倒れた理由を探っていることだろう。
 協力を求められたものの、タクサスの領域で、エリオが手助けできることは多くはなかった。

 ふと、手で支えていた少女の肩の重みが、軽くなる。
 ガラス玉のように無機質だった瞳に、人らしい光が灯りだす。
 状況がまったくわかっていないようで、ぼんやりとはしているけれど、確かに感じられる意思。


 木もれ陽のような、あたたかみのあるペリドット。


 きれいだ、とエリオは素直に思う。
 心があってこその生命。
 清濁も矛盾も含んだ感情こそが人を彩り、人として生かす。
 たとえ世界一の職人が作った人形だったとしても、その鮮やかな色に、生に、敵いはしないだろう。

 エリオは自然と笑みを浮かべていた。



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