06 冒険・サンドイッチ

 無人島生活もなんだかんだで2週間が経過しました。
 テレビもゲームも漫画もない、娯楽の少ない無人島だけど、生来ののんびり屋な上、優先順位第1位の卵欲が満たされてるから、あんまり不満はなかった。
 ケイトの家事が完璧すぎて、なかなか手伝う機会を見つけられなかった私だけど、少し前から針仕事をやらせてもらってる。
 ケイトが裁断して、線まで引いてくれた布を、延々と返し縫いをしていくのは案外楽しい。単純作業が苦にならない性格でよかった。
 私が今着てる服も、ケイトがデザインして私が縫ったワンピースだ。記念すべき私の手縫い服第一号。既成品ほどじゃないけど、着心地は悪くない。
 布はどうやって手に入れてるのか聞いたら、原材料(つまりは綿)があれば魔法でちょちょいとどうにかなっちゃうらしく。なるほど、そういう意味でも最強なのか。

 庭の水やりを続けながら、畑仕事や家畜へのエサやりも、邪魔にならない範囲で手伝わせてもらってる。
 この周辺に危険はないと聞いたから、気分転換と身体をなまらせないために、毎日散歩もしてるし。
 とはいえ、やっぱり。
 まったく不満がないわけでもなかったりするのです。

「はいはーい! 外に行きたいです!」

 早朝、今日はどうしよっかーなんてつぶやいたケイトに、私はシュバッと手を上げて主張した。

「はあ、外って?」
「家の周辺から離れてみたい! 具体的に言うと冒険してみたい!! せっかくファンタジーな世界に来たんだから、ファンタジーを肌で体感したい!」

 家の周りを散歩していても、右も左も本当に木しかなくて、さすがに少し飽きてくる。
 空に浮かぶ白い紋様とか、見たこともない食材とか植物とか動物とか、今だって充分ファンタジーっぽさは感じてるんだけど。
 やっぱりさ! 異世界トリップっていったら冒険は王道だと思うんだよねぇ。
 精霊の花園とか、水晶でできた塔とか、天空に浮かぶ島とか。
 ……漫画の読みすぎだって?

「元気だねぇ、小花ちゃん。怖くはないの?」
「好奇心のほうが勝ってます」
「小花ちゃんらしい」

 くすくす笑われても、本心なんだからしょうがない。
 狩りやらなんやらでケイトが出かけるとき、私の安全のためだとわかってはいても、いっつもお留守番だったのは寂しかったしつまらなかった。
 異世界にいるのに冒険できないなんて、目の前におもちゃがあるのに遊べないようなものだ。
 来ちゃったなら来ちゃったで、この世界を楽しみたい。めいっぱい堪能したい。
 それに。
 私は首もとに手を持っていく。デイジーの毛を入れるために作った巾着に、そっと触れる。親子丼をおいしく頂いたその日から、私の首に下げているもの。
 この世界を、受け入れていきたい。そのためには、この目で見るのが一番なんじゃないかなって。
 とか言いつつ、ほとんど純粋な好奇心だったりするんだけどね!

「あ、でももちろん、ケイトがやめたほうがいいって言うならいいよ。ケイトの都合もあるだろうし、私も怪我とかしたいわけじゃないし」
「別に、反対する理由はないかな。危ないことがあっても守れるし」
「またそういうイケメンなこと言う……」
「まあ、危険らしい危険はないんだけどね、この島には。崖とか急流とかだけ気をつければ」
「凶暴な動物はいないの? 熊とか猪とか、魔物的なのとか」

 無人島とか未開の地にはお約束だと思うんだけど。
 私の素朴な疑問に、ケイトはにっこり笑顔で応えた。

「よく懐いてくれてるよ」
「なつ……いて……?」
「最強だからね、俺」

 ケイトの笑顔が妙に迫力あってコワイ。
 別にケイトが最強だっていうのを疑うわけじゃないけど、普通、余計に警戒するもんなんじゃないのかな?
 ほら、強い人オーラ的なものが出たりとかしててさ。
 ……やっぱり漫画の読みすぎかもしれない。

「行きたいとこのリクエストはある? 連れてってあげる」
「わーい! じゃあ幻想的な花畑と、島を見渡せる高いところ!」
「了解」
「やったーー!!」

 思った以上にすんなり要求が通って、私はバンザイして飛び上がった。
 正直、危ないからダメ、って言われる可能性のほうが高いかなぁって思ってたんだ。
 ケイトが最強でよかった。調子がいいんだから、とか言われそうだけど。

 それから、ケイトがお弁当を作ってる間に、私は持っていくものを確認した。
 レジャーシート代わりの大きな敷き布。何か汚したとき用の手拭いを数枚と、採集用の竹カゴと手袋。
 冒険ついでに群生してる薬草を採集したい、とのこと。いくつかの薬草は畑でも育ててるけど、うまく環境を整えられないものなんかは定期的に取りに行ってるらしい。
 特徴のある薬草だそうだから、私でもお手伝いできるだろう。薬草の採集なんてクエストみたいでワクワクするね!

 ……なんて、思っていた時期が私にもありました。

「けい……と……ま、まだ……?」

 森を歩いていたはずがいつのまにか山登りになっていた。何を言っているかわからねぇと思うが……うん、やめとこう。
 ぜえはあと肩を上下させながら、荒い呼吸を繰り返す。肺の中が全部二酸化炭素になったんじゃってくらい苦しい。
 家を出てまだ1時間もたってないかもしれないけど、体感的にはもう5時間くらい歩きまわってる。
 最初のほうはケイトも私のペースに合わせてくれたものの、早くしないと日が暮れるよーとだんだん容赦がなくなってきた。

「んー、やっと半分ってところなんだけど。疲れた?」
「も……むり……」

 とうとう私は足を止めて、ガクガクと震える膝に手をやる。
 さすがにケイトも置いていくほど鬼ではないらしく、立ち止まってくれた。

「ギブアップ?」
「ぎぶ……」
「体力ないなぁ」

 いやケイトを基準にされても……。
 文句が言いたくても、呼吸するだけで精一杯。
 とにかく息を整えようと深呼吸を繰り返していると、いつのまにかケイトが目の前にいて。
 あれ? と思ったときには、私はケイトに片腕で抱き上げられていた。

「え、ちょ、ケイト?」
「このままだと夜になりそうだから、ケイト号で行こうかと」
「いやなにそれケイト号って」
「口閉じててね、舌噛むよ」
「まっ――」

 静止の声を上げるより早く、ケイト号は発車してしまった。
 ヒ〜〜!! こわい〜〜〜!!!
 どんどん後ろに流れていく景色は、まるで新幹線に乗っているときのよう。
 あまりのスピードに恐怖が原点突破して、逆に笑いがこみ上げてくる。
 どう考えても人間の足じゃない。人抱えてるのに自転車より速い。車とかそのレベルかもしれない。
 そのくせ小回りが利くようで、うまい具合に木と木の間を通り抜けて、垂れ下がってる枝葉は避けてくれる。
 なるほど最強、小花理解した。

「はい、ついた」

 と、ケイト号は急ブレーキをかける。
 たぶん、5分も乗っていなかったと思う。
 え、もう? と周りを見渡せば、

「うっ……わぁ……」

 そこは、色と光の氾濫だった。
 白、黄色、薄ピンク、水色。色とりどりの花が咲き誇る、広い広い花畑。
 ほわほわとあたり一帯に浮かんでいる小さな光の球は、どうやらその中の白い花が生み出しているようで。
 紋様で覆われた空と相まって、まさにファンタジーという感じの、幻想的な光景。
 言葉を失う、ってこういうことを言うんだと思った。

「どう?」
「すごい! すっごい!! きれい……!」

 感動しすぎて、小学生みたいな感想しか出てこなかった。語彙力よ来い。
 私が旅行レポーターなら、もっとちゃんと表現できるんだろうけど。
 でも、言葉なんていらないのかもしれないな。
 きれいなものはきれい。それだけでいい気がする。

「気に入ってくれたみたいでよかった」
「うん! ありがとう!!」
「どういたしまして」

 私も笑顔。ケイトも笑顔。
 場所が花畑だってこともあって、和やかな空気が流れる。
 ちょっと距離はあったけど、連れてきてもらってよかったなぁ。
 ここを選んでくれて、ここまで運んでくれたケイトに、感謝感謝だ。

「喜んでもらえてうれしいけど、他にも見たいものがあるんじゃなかった?」
「あ、高いところ? 見たいけど、ここからまた移動するのって大変じゃない?」

 島を見渡せるところってなると、たぶん山の上とか崖の上とかだろうし。また山登りになる可能性が高い。
 さっきも途中でへたれた私に、そこまで行ける体力と根性があるか怪しい。
 ケイトが運んでくれるなら楽できていいなぁなんて思っちゃう私は、なんというかわりとダメ人間だよね。

「別に、すぐだよ」

 にっこり、ケイトは笑う。
 その笑顔は見慣れたもので……見慣れたからこそ、感じ取れるものがあった。
 現に、ケイトと私の周りにふわふわと風が集まってくる。それはケイト号発車のときにはなかった前兆で。
 もしや、と思いついた移動手段は、ちょっとご遠慮したいものなのだけど。

「……ケイト、何やら嫌な予感がするのは気のせいかな」
「気のせい気のせい」

 逃げますか? ?はい いいえ
 小花は逃げられなかった! 何しろ抱き上げられたままだもんね!
 下ろしてもらおうと足をばたつかせる私を、ケイトは最低限の力で抑えこんでしまう。
 そのままケイトは屈伸するように軽く膝を折って、次の瞬間、跳び上がった。
 否…………飛んだ。

「うっぎゃ!!」

 ぐいんとかかる重力に、女の子にあるまじき声が出る。
 恥ずかしいとか思う余裕もないような光景が、目の前に広がっている。
 気づけば私たちは、背の高い木のてっぺんよりもさらに空高くを、ふわふわと浮かんでいた。

「わーーー!! やーーーー!!!」
「小花ちゃんうっさい」
「ばかーーーー!!!!」

 はははっとケイトが笑う。どこに笑いのツボが!?
 だいぶ空が近くなって、浮かんでいる紋様が細部まで見て取れるようになった。
 さよならした地上は遠すぎて、花畑は花の色と光が混じりあってオパールみたいに輝いて見えた。
 すぐ横を大きめの鳥が通過していく。こっちに向かって一声鳴いたのは気のせいということにしておく。
 何か魔法でも使っているのか、空気の薄さや肌寒さは感じない。だからって恐怖が減るわけじゃない。

「空飛ぶのってファンタジーの醍醐味じゃない?」
「そうだけど!! でもこわい!! たかいーー!!!」
「もっと上行く?」
「やめろバカ!!!」
「バカバカひどいなぁ」

 ケイトは愉快そうに笑う。私はこの上なく不愉快だけどね!
 これでも一応、目上の人への礼儀とかは持ち合わせてたはずなんだけど、思わずバカとか言っちゃうくらいにはテンパってる。
 てめぇ首締めたろか、と血迷いそうになる。しないけど。墜落コースまっしぐらだし。

「見晴らしは最高だと思うんだけどな。島を一望できるし」
「一望とかそんな次元じゃないよね!? パノラマだよね!?」
「とりあえず今は小花ちゃんを落とす気はないから、安心してよ」
「とりあえず!? 今は!!? なにその全然安心できないやつ!!」
「どーどー、小花ちゃん落ち着いて」
「もうやだ常識が通じない……」

 上空ってこともあって、言い合ってるだけでも神経が削られる。ぎゃんぎゃん一方的にうるさいのは私のほうだけど。
 ぐったりとしながら、せめて少しでも恐怖をごまかせるよう、ケイトの首にぎゅううと抱きつく。
 苦しくなるくらいには締めつけてるつもりなのに、ケイトは文句のひとつも口にしない。
 ほんと、ケイトは余裕だ。どんなときでも。
 一人相撲をしているみたいで寂しいけど、だからこそ私が好き勝手に騒げるんだってことにも、気づいてしまった。
 ケイトが余裕でいてくれてるから、怖いけど、怖いだけで済んでる。
 落ちる心配はないって、頭のどこかでわかってる。
 首に腕を巻きつけたまま、私は地上を見下ろす。
 あんなに広かった花畑が、上から見たらちんまりとしていて。ほとんどが木々で覆われた島の向こうには、青々とした海が見渡せる。

「……でも、たしかに見晴らしはすごい」

 ぽつり、とそうつぶやけば、ケイトは我が意を得たりと笑みを深める。

「でしょ?」
「こわいけど! こわいけど!!」
「はいはい」
「絶対落とさないでよ!!」
「落とさないよ。というかもうそろそろ降りようと思ってたんだけど」

 え、もう?
 たぶん、ちょっともったいないなっていう気持ちがそのまま顔に出ていたんだろう。

「はいはい」

 私が何を言うよりも先に、ケイトはくすくすと笑って私の頭を撫でる。
 いつもの、大人の余裕。なんだかすごく悔しい。
 でも、どうせだから甘えてしまえ。

 それからしばらく、私はケイトにしがみつきながら、眼下に広がる島を隅々まで眺め尽くした。
 飛び抜けて高い大木や、崖、滝なんかも見えて、何度もケイトに質問した。
 行ってみたい? って簡単に聞くケイトは、きっとそこまでひとっ飛びで行けちゃうんだろう。
 正直、行ってみたくないわけがないけど、こうして浮かんでるだけでも怖いのに、ビョーンと速度を出されたら……気絶するかもしれない。
 丁重にお断りすると、ケイトは少し残念そうな顔をした。
 その表情はなにゆえ? おすすめスポットを見せられないから? まさか、もっと怖がる私を見たいから、とかじゃあないよね……?

 特急ケイト号に乗っての冒険なら楽しそうだけど、ケイトジェット機はノーセンキュー。
 いくら細かいことは気にしない楽天的なトラでも、生身での上空飛行は本能的に怖い。紐なしバンジーみたいなものだ。
 小花ちゃんは怖いものなしかと思った、ってケイトに笑われたけど、そんなことはないのです。
 こわいものなんていくらでもあるよ。両手で数えられないくらい。
 たとえば、この世界でケイトに手を離されること、とか。


  * * * *


「お詫びってわけじゃないけど、はい、卵サンド」
「いただきまーす!!」

 そうしてまた花畑に下りて、お弁当タイム。
 花を潰すのは忍びなかったけど、他に場所もないしってことで、花畑のどまん中に布を敷いて。
 今日のお昼はケイトの言ったとおり、卵サンド。
 でもこれ、種類がありまして。
 ひとつはおなじみ、ゆで卵をつぶして挟んだ卵サンド。もうひとつは甘い味つけの卵焼きを挟んだもの。それからあとひとつ、卵入りのポテトサラダのサンドイッチ。
 ポテトサラダサンドには葉野菜も挟んであるし、保温できる容器に野菜のポタージュも入れてきたから、一応他の栄養も取れてる、はず。
 短時間でこんなに色々作れるケイトは本当にすごいなぁ。

「は〜……しあわせ……」
「小花ちゃんはほんとにおいしそうに食べるよね」
「おいしいからね!!」

 ベーシックな卵サンドの約束されたおいしさも、甘くてふわふわな卵焼きの贅沢な味わいも、ポテトサラダのちょうどいい塩気もたまらない。
 おいしいものを食べてるときに、無表情でなんていられるわけがない。
 気づけばゆるんでる頬は、しあわせの証だ。

「どうしてそんなに卵が好きなの?」

 でも、その問いには、すぐには答えられなかった。
 理由なんて、考えたこともない。
 好きなものは好き。それだけのこと。
 もやもやとした霞の向こうにある記憶は、私にその答えを教えてはくれない。

「どうして……なんだろうねぇ」
「覚えてないか」

 ケイトも別にそこまで答えを期待していたわけではなかったんだろう。微笑みで軽く流される。
 ぱくり、と卵サンドを頬張る。
 うん、おいしい。すごくおいしい。やっぱり卵が大好き。
 それは嘘じゃない。それだけは真実だ。

「私さ、帰れるのかな」

 脇に咲いてた水色の小さな花を眺めながら、つぶやく。
 小花。私とおんなじ。
 名前は、自分の名前だけは覚えてた。他の誰の名前も思い出せないのに。
 家族、友だち、大切な人の顔もわからない。積み重ねてきたはずの思い出は虫食いだらけ。
 17年間、過ごしてきたはずの世界が、途方もなく遠い。

「うーん、どうだろうね。帰りたい?」

 ケイトの声は軽かった。深刻さのかけらもなかった。
 それはわざとだったかもしれない。暗い空気にしないために。
 だから私は、本音をこぼすことができた。

「よく、わからないんだよねぇ」

 異世界に来て、ファンタジーを体感できるという高揚感でサンドしていた、私の心。
 ぐちゃぐちゃにしたゆで卵みたいな、心の中身が。
 ぽろり、とこぼれ落ちていくのを感じた。



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