05 デイジー・親子丼

 ナダ。それがこの島の名前。
 てっきり森の名前かと思ってたけど、違ったらしい。
 正確には、この島の固有名詞ってわけでもないんだとか。
 ナダっていうのは、『存在しないもの』という意味らしく、地図に載っていない島とか町とか、そういうものを引っくるめた名称。
 食べるものにも開拓する土地にも困らなそうなこの島が無人島なのは、ここが精霊によって隠された島だから。空に輝く白い紋様は、この島を守護する精霊の結界らしい。
 精霊と仲のいいケイトは特別にここで住むことを許された、唯一の例外だった。
 以前、私がこの島に入れる条件を満たしていないって言っていたのは、精霊に認められていないってことだったようだ。

 このナダの島は、ケイトを除き無人だけど、生物というくくりでいうならいくらでも存在していた。
 朝になると小鳥のさえずりが聞こえるし、庭では蝶が花とたわむれてる。畑にはちょっとご遠慮したい虫たちも。
 どこかから迷い込んできた小動物にエサをあげるのは、ケイトの密かな楽しみだそうだ。
 ここは常春の島らしいから、セミも蛙も鈴虫も鳴かないけど、人がいないなりにけっこう賑やかだ。
 とはいえ一番この小屋に近しい動物は、言わずもがな家畜たちだろう。

「おーアリス18世、大きな卵生んだなー。ベル16世はちょっと元気ない? あ、キャサリン29世あんまり遠く行っちゃダメだよ」

 ケイトが次々声をかけていくのは、鶏の3倍はある大きな白い鳥4羽と、しましま模様をした牛のような動物1頭。
 私がここで毎日卵料理を食べることができるのは、普通の卵3つ分くらいの大きな卵を産んでくれるアリスとベルのおかげだった。
 ケイトはいつも、取った卵をすぐに割って撹拌して、卵液の状態で状態固定して保存している。そのほうが一度で使う量を調節しやすいかららしい。卵黄と卵白に分けたものも別に取ってある。普通、卵は割っちゃうと日持ちしないのに、つくづく魔法って便利だ。
 そうやって毎日食べられるようにしてくれるのは、冗談抜きで卵は私の生命線だからありがたい。しかし無人島なのに快適すぎやしないだろうか。いいのかなこんなに恵まれてて。

「ずっと不思議だったんだけど、何その王様みたいな呼び方」

 いや、この場合みんな女性名だから女王様か? でもそもそもこの子たち本当にみんなメスなのか?
 しましまの牛もどきエリーゼを撫でながら、どうでもいいことを考える。

「動物の寿命ってやっぱり長くないからさ、いちいち名前考えるの面倒でこうなった」
「ふぅん」

 そういうものかぁ。
 記憶の限りでは動物を飼ったことはないから、よくわからないな。
 というかそれが本当ならもしやキャサリンは29羽目なの? どんだけ代替わりしてるの?
 たしかに、ケイトが何十年生きてても不思議じゃない、って思ってはいたけど。
 ……あんまり深くは考えないほうがよさそうだ。

「この子が一番美人さんだよね」

 私はしゃがみ込んで1羽の鳥と目を合わせる。
 おとなしいその子は、くりっとした瞳で私を映しながら、ゲッゲッと鳴き声を上げた。
 その頭には、綿あめみたいなトサカがついている。トサカって言っていいのかわからないけど。白くも赤くもなくて黄色からオレンジのグラデーションだけど。
 この子が一番トサカのグラデーションがきれいで、ボリュームも満点だった。

「デイジー32世?」
「うん、トサカがふわふわでかわいい」
「今日の晩ご飯だけどね」
「…………」

 私は言葉を失った。
 思わず隣に立つケイトを凝視すると、彼は困ったような笑みをこぼした。

「残念だけど、ペットではないから」

 それは、そうだ。
 家畜は家畜だ。愛玩用のペットとはわけが違う。人が生きるために、食べるために必要な生き物だ。
 私だってそれくらいわかってる。
 わかってる、つもりだった。

「残酷だ、って思った?」
「う〜〜〜〜」

 その問いは、ケイトらしくなくとてもいじわるな響きを持っていた。
 私は心の整理がつかずに、デイジーにぎゅっと抱きつく。
 彼女だか彼だかわからない、今晩のご飯になるらしいその鳥は、私の腕の中でバタバタと羽をはためかせる。
 驚かせてしまったようだ。嫌われてるわけじゃないと思いたい。
 デイジーの胸毛に顔をうずめながら、はぁぁ、と深いため息をひとつ。
 ケイトは悪くない。それは、わかってる。

「ちょっと、ちょっとだけね、思ったけど。でも生きてくためにはご飯食べなきゃだし、肉って大事なタンパク質だし。そもそも私は今までもいくらだって鳥も豚も牛も食べてきたわけで。デイジーだけをかわいそうって思うのは……ケイトをひどいって思うのは……違うってのは、うん。わかっては、わかってはいるんだよ〜〜」
「小花ちゃんは正直者だなぁ」
「現代社会に甘やかされて育っただけだよ……」

 肉はパックに入っている状態のものしか知らなかったし、魚だって干物や開き、頭が落とされた状態で売られていることが少なくなかった。
 鶏肉を見れば親子丼が食べたくなった。豚肉ならカツ丼、牛肉ならすき焼き。
 残酷だなんて思うことすらなかった。動物の命を食べるのは罪悪感がいらないほどに当たり前だった。

「やめとく? 親子丼にしようと思ってたんだけど」
「親子丼は食べたい……」
「さすがは食いしん坊小花」

 くすくすと笑われても否定はできない。
 さばかれる運命のデイジーを抱きしめながら、親子丼はおいしいよねぇなんて考えてるんだから、私のほうが残酷かもしれない。
 もやもやしながらもデイジーを開放すると、まったくもうと文句を言いたげにこっちを一瞥したあと、毛づくろいを始めた。

「ん〜……」

 考え込むように小さな声を上げたケイトは、どこからかナイフを取り出した。
 え、と固まる私の目の前で、それは迷いなくデイジーに向けられて。
 その場から離れることもできず、私はとっさに目をつぶる。
 でも、デイジーの断末魔の悲鳴はいつまでたっても聞こえなかった。
 うずくまっていた私の手が、誰かによって持ち上げられる。誰かってケイトしかいないんだけど。
 そして、ふわっと、私の手のひらをくすぐる何か。
 おそるおそる目を開けてみれば、黄色からオレンジのグラデーションが、手のひらに乗せられていた。

「はい」
「はい、って……?」

 たんぽぽの綿毛のように軽いそれを、握ったり開いたりして感触を確かめた。
 間違いなく、デイジーの頭についていたトサカだ。
 脇を見ればデイジーのトサカは不格好に刈り取られていて、だいぶ痛ましい状態になっていた。

「デイジー32世が生きてたって証。かわいそうって思うなら、せめて覚えててあげたら。私の血肉になってくれてありがとうって」

 ケイトのホットケーキ色の瞳が、ゆるやかに細められる。
 現実を否応なしに突きつけてきた当人のくせに、今度は私を甘やかす。
 今すぐ納得しなくていいんだって。残酷だと、かわいそうだと思っていてもいいんだって。
 ここでは元の世界と同じようにはいられないけど。
 小花ちゃんは小花ちゃんのままでいいんだよ、って言われているような気がした。

「あ、大丈夫。トサカじゃなくてただの毛だから、痛くなかったはずだよ」
「そういう問題でもないけど……」

 ふわふわ、もこもこ。
 色つきのわたあめみたいな、トサカ改めただの毛を、しばし眺める。
 デイジーが生きていた、証かぁ。

「……うん。ありがとう」

 たぶん歪んではいただろうけど、なんとか笑顔を作ることができた。
 ケイトは悪くない。ケイトは優しい。
 私がもっと深く傷つく前に、現実を見せてくれた。
 悪いのは、わかってるようでなんにもわかってなかった私のほう。
 ケイトに甘えられるだけ甘えながら、それを正しく認識していなかった私のほう。

 これは、現実なんだ。
 お肉はさばかないと食べられない。卵は10個パックで売ってない。
 現代日本人にはちょっとつらい環境でも、ずいぶんと恵まれている。ケイトがいなかったら、私は卵どころか食料を得るすべがないんだから。
 甘えた考えと複雑な気持ちを、卵で包んで、親子丼と一緒に咀嚼して、飲み込んでしまおうか。
 どうやってこの世界に来たのかわからない私は、どうやって帰るのかも、帰れるのかどうかもわからない。
 少なくとも、目の前にある現実くらいは、受け入れる努力をしていきたい。

 手の中の、ふわふわもこもこが、私を慰めてくれようとしているみたいだった。



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