異世界に来てから早1週間。今日はプリンをリクエストさせてもらった。
メニューにもよるけど卵料理は1日にひとつかふたつ。最初にケイトにそう言い渡された。
じゃないと、卵の消費に生産が間に合わないからだ。単純だけど切実な事情。家畜の産む卵は普通に暮らしてる分には全然足りる生産スピードだけど、好きなだけ食べられるほどではない。
一度に大量に摂取するのは身体にも悪いしね、と付け加えられれば、反論ができるはずもない。
だから、デザートに卵を使うときは、ご飯にはあんまり使えない。ご飯を取るかデザートを取るか、贅沢な悩みだ。
ここでずっと一人暮らししていたケイトからすれば、私は完全にお荷物で。想定外の飯食い虫で。養ってもらってるだけで万々歳なんだから、毎日卵が食べられるのはすごいことだ。こんなしあわせを甘受していていいんだろうか。
ここまで卵料理が好きだと、異世界トリップする前はどうやって過ごしてたのかが気になってくる。お母さん毎日大変だったんじゃないだろうか。顔も名前も覚えてないけど。
プリンは三時のおやつになった。
おいしい。至福の味がする。天上の神様のデザートだと言われたら納得してしまいそう。
匙を差し入れるとき、少し抵抗感があるかためのプリン。とろけるプリンも好きなんだけど、食感がしっかりしてるほうが、食べた! って感じがして私は好きだ。
舌の上に乗せると、卵の香りとミルクの香りが口の中に広がっていく。う〜ん、この一瞬がたまらない。
ホットケーキのときもオムライスのときも思ったけど、ケイトは素材の味を活かす天才なんじゃないだろうか。
家族のことも友だちのことも思い出せなくても、今までどんな卵料理を食べたことがあるかはだいたい覚えてる。こんなに私好みのプリンは、人生で一度か二度食べたことがあるくらいだ。
ひと口ひと口を大事に味わう私を、ケイトは穏やかに微笑みながら眺めていた。
最初はプリンに夢中で向けられてる視線にすら気づいていなかったけど。
あんまりにもその目が優しくて、口に入れていたプリンをよく味わうことなく飲み込んでしまった。
なんだか、まるで……。
「そういえば……すっかり忘れてたんだけど」
私が話し始めると、ん? とケイトは首を傾ける。
頬杖をつきながらこっちをうかがう様子は、まるでお母さんだ。やっぱり覚えてないけど。
「ケイト、私のこと襲ったりしないよね?」
「今さらだね……」
うん、1週間も一緒に暮らしてて、自分でもそう思う。
せっかく別に作ってもらったベッドだってすぐ隣に置いてあるし、セミダブルの部屋がツインになっただけで、2名1室なのは変わらない。
目覚ましもないから、あんまり朝に強くない私は毎日ケイトに起こされるまでぐっすり眠っている。
私がケイトに警戒心のけの字も持っていないことは、とっくに気づいているだろう。
なのに今さらこんなことを言い出したんだから、怪訝そうな顔をされてもしょうがない。
「ほら、一応男と女だし、男とふたりっきりになるときは警戒しなさいって誰だったかに言われたことあったような、なかったような」
誰だったかなぁ。本当に言われたことかどうかも定かじゃない。
もしそんな忠告をしてくれた人がいたとしたら、ひとつ屋根の下で暮らしてるなんて知ったらきっと烈火のごとく怒ることだろう。こわいこわい。
自分から話を振っておきながら、大して問題視してない私は、のんびりプリンをいただく。
気づけばもう残りが4分の1もないから、ちまりちまりと。
そんな私を見て、ケイトは苦笑いをひとつ。
「小花ちゃん、危なっかしいって言われない? お気楽とか、不用心とか」
「さあ、覚えてないなぁ」
「都合の悪いことばっか忘れてたりして」
「そんなことはアルマジロ……」
「適当なごまかし方だなぁ」
くすくす笑うケイトに、もごもごと行儀悪く匙を咥えながら反論を考えるけど、妙案は思い浮かばない。何しろ楽天的なトラだし。
現実逃避をするようにもうひと口プリンを頬張れば、天上の味。うん、ほろ苦カラメルが絶品です。
プリンに意識を飛ばす私の気を引くように、ツン、と鼻の先をつつかれる。
「一応じゃなくね、俺と小花ちゃんは男と女だから。そういう明け透けな言い方はよしたほうがいい。逆に刺激しちゃうかもしれないからね」
道理を知らない子どもを諭すような、あくまで穏やかなまなざしと忠告。
プリンの器を支えていた手を、包み込むように握られる。
ケイトの手はおっきい。私の手なんて片手で覆い隠せてしまうくらい。
それは男と女の違いのはずだ。
なのに。
大人と子どもの違いのように見えるのは、なぜか。
「刺激、されたの?」
「……ほーら、そういうのがだめなの」
私の手を握る手に、きゅっと力が込められる。
ケイトの言ってることは正しい。不用心かもしれないけど、何も知らないわけじゃない。
でも、と同時に思う。
……そんなこと言っときながら、刺激なんてほんの少しもされてないくせに。
「だってケイト、私のこと女として見てない」
きっぱりとした私の言葉に、ケイトはへぇ、と感心したような声を上げる。
それはどこかバカにしているようにも聞こえた。
「3歳児見てるみたいだよ、ケイトの私を見る目って」
図星だったのか、茶色の瞳がかすかに見開かれる。
気づかれてないとでも思ったのかな。それともケイトも無意識だったのかな。
私が卵料理を味わっているとき、私がお手伝いをがんばっているとき、向けられる視線はとてもあたたかくて、いっそ生ぬるくて。
見守るような、愛でるような、自我を持ち始めた子どもに向けるようなまなざし。
きっとケイトは私がどんなわがままを言っても、はいはいと流すことができる。私が泣いても怒っても、宥めることができる。
それは私をよくも悪くも庇護対象として見ているからだ。
私がいるだけで楽しいってことを小動物にたとえていたのは、むしろたとえ話でもなんでもなく、本気だったんじゃないかな。
「私、そんなに子どもかな? それともケイトは実はかなり年上なの?」
その問いに、ケイトはすぐにいつもの調子を取り戻してしまった。
「どっちもかなぁ」
「そっか」
「それだけ?」
くすっとケイトは笑う。余裕しゃくしゃくなのは、やっぱり子ども扱いされているからかな。
ケイトの笑顔はほっとするし好きだけど、同時にちょっと憎たらしくもある。
「記憶がほとんどないから、子どもっぽいのの比較対象がいないし。ファンタジーな世界で見た目と年齢が合わないのなんてお約束だし」
外見年齢以上の年かもしれないと匂わされても、そんなに驚きはなかった。
ケイトが何歳なのかは聞いてないからわからない。けど、もしかしたら無人島生活も長いのかもしれない。
手作りっぽいログハウス。不足しない食料。いくら最強とはいっても、数年でこんなに生活基盤を整えられるものだろうか。
もう10年以上ここで暮らしてます、と言われたほうが違和感がない。
ここが魔法の存在する異世界ってことを考えると、ケイトが30過ぎでも、50過ぎでも、そういうこともあるんだなぁって思うだけだ。
「ほんと、小花ちゃんは不用心だ。そんな小花ちゃんだから飽きないんだけどね」
「それほどでも〜」
「言っておくけど褒めてないからね」
くすくすと笑い続けるケイトに、これ以上は何も教えてくれないんだろうなぁ、と私は察する。
ケイトは秘密主義だ。赤の他人と言ってもいいような私に、べらべら個人情報を話さないのは正しいのかもしれないけど。
少し、寂しいな、と感じてしまうのは、今ここには私とケイト、ふたりっきりだから。
心を許してほしい。私がケイトを信頼しているのと、同じくらいに。
それがひとりよがりな考え方だってのも、自覚済み。
飽きたらどうするんだろう、って疑問は、なんとなく胸に秘めておいた。
プリンのように、あまいあまい笑顔の下には、ほろ苦い何かが隠されていたりするのかも、なんてね。