12 地獄・カルボナーラ

 最近、なんか目が合わないなぁって思う。
 さりげなく目をそらされたり、こっちを向いていても視線がわずかに外されていたり。
 遠回しに、態度で示されているのかもしれない。
 私の気持ちを受け止める気はないんだって。想いを込めた視線を避けることで。
 最初っから、両思いになることなんて期待してたわけじゃないけど。
 さすがにこの地味な精神攻撃は、わりとダメージが大きかったりする。



 ……と、まあ、しおらしく恋の苦しみを味わっていられるうちは、まだよかった。
 現在私は、恋に一喜一憂してる暇もないような大問題に直面していた。

「け、けいと……」

 涙目でトイレから出てきた私に、昼ご飯の準備をしていたケイトは包丁を取り落として駆け寄ってきた。
 久々に目が合ったような気がするけど、そのことを喜べるような精神状況じゃなかった。

「小花ちゃん? どうしたの、そんな泣きそうな顔して」
「ど、どうしよ……わたし……」

 無意識にか支えるように手を伸ばしてきたケイトに、私はすがりつく。
 がっしりとした腕にしがみついて、初めて自分が震えていることに気づいた。
 心配そうな顔をしていたケイトが、ふ、と急に真顔になる。

「……怪我でもしてる? 匂いが……」
「生理になっちゃったああああ」

 みなまで言わせるものか、と先に白状した。
 匂いって何、匂いって! なんでそんなのわかっちゃうの!?
 好きな男の人に生理の血の匂いがバレるなんて、どんな羞恥プレイ!!?

「せいり……せいりってえっと……」

 ケイトはきょとんとした顔をしてから、数秒視線をさまよわせる。
 きょろきょろとせわしなく動く瞳は、人里で暮らしていたときの記憶でもさかのぼっているんだろうか。
 やがて、ハッとしたように私を見下ろし、それからまた勢いよく視線をそらし。
 ……なにやら挙動不審だ。

「え、あ、そ、そっか。そうだよね小花ちゃん女の子だった。そうだ、えーっと、うううーん……どうしようか……」

 女の子だった、ってオイコラ。貴様の中で私はまだ3歳児だったのか。
 どうしようって、私のほうがどうしようなんだけど。
 この世界での生理の対処法を私は知らない。生理用品だって持ってない。目の前の人に教えてもらうしかない。
 たとえそれが、異性であっても。たとえそれが、好きな人であっても。
 ……泣きたい。

「そうだな……とりあえず水分を吸収する布があればいい?」
「つ、つくるの?」
「魔法でどうにかするのが一番手っ取り早いし、快適だと思う」
「生理用品を好きな人に用意してもらう私の気持ちは!?」
「そんなこと知らないよ!」

 叫びに叫びが返ってきて、私は呆気にとられる。すぐに我に返ったケイトはバツの悪そうな顔になった。
 ケイトが声を張り上げたことなんて、今まで一度もなかった。
 めずらしいことにケイトも相当テンパってるらしい。

「と、とにかく、どんなものが必要か教えて。俺にはわからないから」
「う、うん……」

 双方ギクシャクしながらも、問題解決に向けて意見のすり合わせができるくらいには、落ち着きを取り戻すことができた。
 考えてみれば、長らく男のひとり暮らしだったこの家に、生理に必要なものが常備されてるわけもなく。この世界での一般的な対処法だってできるはずがなかった。
 おんぶに抱っこどころか、そろそろ重量挙げの域だけど、ケイトの魔法に頼るしか方法はない。
 どんなものを作ってもらえばいいのか、私はうんうんと唸りながら条件をつけていった。

 結局、大きな1枚の布を、魔法で特殊加工してもらった。
 水分と湿気を吸収分解して、清潔にたもつための魔法も付加。
 その布を好きなサイズに切って、パンツに貼りつけて使うことにした。ずれないように貼りつけるための加工も、当然ながらケイトの魔法で。
 ありがたいんだけど、私の細かい要望を全部叶えてくれたのはほんとありがたいんだけど。
 ……泣いてもいいかな。

「あうあうあう、もうお嫁に行けない……」

 お昼ご飯のカルボナーラを食べながら、私は泣き言をこぼす。
 一見ただの布とはいえ、好きな人お手製の生理用品だよ。
 ケイトがさわって、魔法を施した布を、私はちょうどいいサイズにチョキチョキして股に挟むんだよ。
 これから1週間毎日だよ。7日間だよ。まだ地獄は始まったばっかなんだよ。
 ……うん、泣いても許されると思う。

「俺だってできればこんな対応したくなかったよ……」

 はぁぁ、とケイトも深いため息を吐く。
 器用にフォークでくるくるパスタを巻く彼は、いつもと比べて覇気がない。
 そりゃあ、ケイトだって気まずいよね。
 どうとも思ってない相手とはいえ、女の子だってことすら忘れてたとはいえ、生理用品を作るなんて。
 なのに私ったら、自分のことばっかりで恥ずかしい。

「あの、ケイト」
「ん?」

 呼びかければ、当たり前のようにケイトは顔を上げる。
 ホットケーキ色の瞳が、しっかりと私を映している。
 たったそれだけのことで、じんわり胸があったかくなっていく。

「ごめんね。あと、ありがとう」

 素直に伝えると、ケイトはすぐに視線をカルボナーラに戻してしまった。
 ああ、やっぱりまたそらされた。
 さっきは不測の事態だったから、ケイトも動揺して忘れていただけだったんだろう。
 ここ最近の、目を合わせてくれないケイトに逆戻りだ。
 心臓は嫌な音を立てて、急速に冷えていく。

「別に、これくらいどうってことないよ。慣れないことだから焦っただけで」

 顔を上げないまま、ケイトは話す。
 いっそ頑ななほどに、カルボナーラに視線を固定して。

「申し訳なく思うなら、今はあんまり近づかないでくれるかな。血の匂いがするから」

 硬質な声。ぬくもりを感じない瞳。
 ケイトの心が見えない。ケイトの気持ちがわからない。
 でも、全身で私を拒絶していることだけは、伝わってくる。

「それは……さびしい……」

 そんなことを言ったところで、どうにかなることじゃないってわかっていても。
 ケイトの真似をして、カルボナーラをくるくる巻きながら、小さな声で不満をもらす。
 太めの麺に絡んだソースは濃厚で、卵の味もしっかりと出ている。プロの味って感じがする。
 おいしいのに、すごくおいしいのに、味わえない。

 私の心の中、複雑に絡む色濃い感情は、カルボナーラよりもどろりとしている。



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