私の単純な脳みそは、悩みを抱えるには向いていない。
シングルコアだから、目の前のことから一つ一つやっていくことしかできないのです。
仕事中は、ひとまず他のことはよそに置いておいて。
特にミスもなく、いつもどおり働いていたつもりだったんだけれども。
「サクラさん、何か悩み事でもあるんですか?」
休憩時間、それまで一緒に仕事をしていたハニーナちゃんに、鋭い指摘をもらってしまった。
ハニーナちゃん、おぬし、読心術でも会得しているのか……。
「え、そんなことないですよ?」
「そうですか? なら、いいんですけど……」
私が否定しても、ハニーナちゃんは納得していない様子だ。
そんなにわかりやすかったのかな、私。
ちゃんと切り替えていたつもりだったのに、うまくいっていなかったようです。
これは、話さないわけにはいかないみたいだね。
といっても、私も自分が何に悩んでいるのか、いまいちわかっていない状態だったりするんだよなぁ。
「ハニーナちゃんの家族は、都にいるんでしたっけ」
私の悩みと関係あるようなないような質問をしてみる。
エルミアさんはこの砦から近い町の出身。ハニーナちゃんは都生まれ都育ち。
そんなことを前に聞いたことがあった。
「ええ、そうですよ。父はこの砦にいますけど」
「家族と離れていて寂しくないですか?」
この砦と王都との距離は、近くない。
片道最低五日はかかるなんて、私の価値観で言えば、かなり遠い。何しろ元いた世界じゃ、地球の裏側に行くのだって五日も必要ないからね。
ハニーナちゃんは、私の一つ下。大切な人が遠い地にいるのって、不安じゃないのかな。
「たまに寂しくもなりますけど、仕事ですから。年に二回は会えますしね」
ハニーナちゃんは大人びた微笑みを浮かべてそう言った。
年に二回、か。それだけで足りるものなんだ。
私だったら、全然足りないって思っちゃいそうだ。
末っ子で、甘やかされて育ったから、我慢するのは得意じゃない。
会いたいものは会いたい。会えないのはつらい。
そんなわがままが、口をついて出てしまいそうになる。
「ハニーナちゃんは、どうして砦で仕事してるんですか?」
男の人が苦手なんだから、ぶっちゃけこの仕事は鬼門だろうに。
他にいくらでも、男の人とそれほど関わり合わないですむ仕事があったんじゃないかな。
たとえば、カフェのウェイトレスとか? うわぁ、似合いそう!
私の問いに、ハニーナちゃんは苦笑しながら、口を開く。
「父が、将来は軍人と結婚させたいらしくて、今のうちに男所帯に慣れておけと」
「軍人と結婚……」
「もちろん、絶対に、というわけではないんですよ。ちゃんとわたしの意志も聞いてくれますから」
「そ、そうですよね。よかった」
一瞬、嫌がるハニーナちゃんを強制的に結婚させるお父さまを想像しちゃいましたよ。
よかった、ハニーナちゃんの父親が暴君じゃなくて。
「わたしも、男の人への苦手意識をどうにかしたくて。だから父に従ってここで働くことにしたんです」
ふ~ん、そういう経緯があったのか。
苦手なものを苦手なままにしないで、どうにかしようって考えるハニーナちゃんは、偉いなぁ。
今のところ、その結果はあまり出ていないみたいだけど。
それでもたぶん、砦で働く前よりはマシになっているんだろうし。
いつか、結婚相手を尻にしけるくらいに成長したハニーナちゃんが見られるかもしれない。
「第一、わたしの意思が関係なかったら、とっくにマラカイルさんと結婚させられています」
「あ~……、たしかに」
急にきれいな眉をひそめたハニーナちゃんの発言に、私は苦笑いするしかない。
そうだよね、あの小隊長さんに狙われてるんだもんね、ハニーナちゃん。
軍人なら誰でもいいんだったら、願ってもない優良物件だよね。
「あの人の冗談にも困ったものです。父も、言葉には出しませんが、期待してしまっているみたいですし」
ふぅ、とハニーナちゃんはため息をつく。
そういう期待はあんまりうれしくないだろうなぁ。
でも、ハニーナちゃんの言いように、私は首をかしげた。
「冗談、なんでしょうか?」
「冗談以外に何があるんですか?」
ハニーナちゃんはきょとんとした顔をする。
他の可能性なんて、万に一つも存在していないとばかりに。
いけないよハニーナちゃん。その考え方は危険だ。
いろんな可能性を考えていたほうが、いざというとき対処のしようがあるというものです。
特に、小隊長さんみたいな食えない人を相手にしている場合はね。
「小隊長さんはいつも笑顔で、何考えてるかわかんないし、平気で嘘をつくような人だけど。自分の得にならないような嘘ってつかない気がするんですよね」
私も小隊長さんのことを理解できているとは言いがたいけど、彼がすごく頭がよくて、基本的に損得勘定で動く人なのはわかっているつもりだ。
必要だと思えば、どんなことでもやってのける。逆に、必要のないことはやろうとしない面倒くさがり。
ハニーナちゃんを口説いているのがただの冗談だとするなら、どうしてそんな嘘をつく必要があるのか、ということになる。
少なくとも私には、その理由は思いつかない。
ハニーナちゃんにも周りにもわかりやすく口説くのは、それだけ彼が本気だから、と考えたほうが自然なんじゃないだろうか。
「……わたしをからかうのがおもしろいから、とか」
「からかうだけなら、もう少し違うやり方がありますよね?」
それこそ、自分にはまったく火の粉がかからない方法が、いくらでも。
ただの冗談なら、小隊長さんはハニーナちゃんのことが好き、という噂を放置したりはしないはずだ。
ハニーナちゃんにとっては不本意なことに、小隊長さんに狙われていることで、ハニーナちゃんは他の男の人から守られている。
軍人さんっていうのはみんな体育会系なわけで、基本的に単純なんだと思う。
小隊長さんの獲物に手を出すなら、小隊長さんに勝たなきゃいけない。
争ってまで奪う気がないなら、興味本位で近づいたりしない。
私が隊長さんとの噂に守られているように、そうやってハニーナちゃんも守られている。
つまりは、小隊長さんにとってハニーナちゃんは、そこまでして守る必要がある存在だ、ということに他ならない。
と、私は推理しているわけなのですが。
「小隊長さんがハニーナちゃんの好みじゃないっていうならしょうがないですけど、頭っから冗談だと決めつけるのは、ちょっともったいないかもしれません」
もったいないし、危なっかしい。
そういうものだと思い込んだままでいると、不測の事態に対処できなくなってしまう。
私の意見に、ハニーナちゃんは難しそうな顔をする。
まったく理解できないわけではないようだった。
「ま、小隊長さんが疑われるのは自業自得ですけどね!」
微妙な空気を払拭するために、私はそう笑い飛ばした。
ハニーナちゃんも私の冗談に表情を和らげてくれた。
最初から、小隊長さんの味方をするつもりなんてないのですよ、私は。
むしろ、どちらかといえばハニーナちゃんの味方だよね。
だからこそ、小隊長さんは侮っちゃいけない人なんだってことをわかってほしかっただけだ。
「……なんだか、すみません。サクラさんの悩みを聞こうとしたのに、わたしの話になっちゃいましたね」
「むしろ私が積極的に話をずらしたので、気にすることないですよ」
申し訳なさそうに謝るハニーナちゃんに、私はカラリとした笑みを返す。
恋バナというものは世界が違っても中身はそう変わらないよね。とても楽しいものです!
今のが恋バナって言っていいような内容だったのかはわからないけど、そこは相手が相手だからあきらめるしかない。
あの人はいつも冗談ばかり言うから、本気なのかどうか信じられないの……と脳内変換してみると、一気に恋バナチックですよ!
「私の悩みは、悩みってほどのものでもないんです。というか、今考えたところでどうしようもないこと、みたいな」
ハニーナちゃんがあまり気にしすぎないように、詳細はぼかしつつ話してみた。
後見人のことも、隊長さんと遠距離恋愛になってしまうかもしれないことも、……いつも気づかないふりをしている悩みも。
どれも、今は答えなんて出しようのないものだ。
考えてもしょうがないことを考えるのは、はっきり言って時間の無駄。
そうわかっていても、考えちゃうものなんだけどね。
「解決できるといいですね」
「なんとかなると思いたいです」
ハニーナちゃんの言葉に、私はうなずく。
今は答えが出なくても、いつかは答えを出さなきゃいけなくなるときが来るんだろう。
ずっとこのままでいることはできない。状況は変化していく。……私の心だって。
答えを出す、その時。
私は、大切なものを間違わずに選び取れるんだろうか?