夜、草木もそろそろおやすみなさーいとあくびをかみ殺す時間。
現在私は、隊長さんを押し倒しています。
「……何をする」
眉根を寄せ、眉間にしわを刻みながら、問いかけてくる隊長さん。
いつもと違う見下ろす目線を、新鮮だなーって楽しむ余裕はこちとらありません。
無理に私をどかさない様子から、おとなしく押し倒されてくれたんだってことがわかる。
隊長さんだったら、どんなに私が素早く動いたって、逃げることはできただろう。
逃げなかったのは、余裕があるから。
私がこれから何をしたとしても、対処できる自信があるから。
今はちょっとばかし、それに腹が立つ。
「隊長さん、もう私のことなんてどうでもいいんですか?」
うなるように低い声で、私は尋ねる。
そんな声を出したって、怖くもなんともないだろうけど。
私の真剣さは伝わってくれるはずだ。
「……なぜそうなる」
「だって、セックスレスですよセックスレス! 離婚の原因にだってなるセックスレス!」
最近、私が隊長の部屋にお泊まりに来ても、隊長さんは何もしないのだ。
私から誘っても、のらりくらりとかわされてしまって。
寝るぞ、って背中をぽんぽんされると、つい気持ちよくってそのまま寝ちゃってたけど。
さすがにそれが続くと、おかしいぞって私も気づくわけです。
私の鋭い指摘に、隊長さんは額に手を当てて深くため息をついた。
なんですか、その反応は。
間違ったことは何も言ってないと思うんですが。
「それほど間が空いている覚えはないが」
「今日で十日目です! 私は毎日だっていいのに!」
「よくはないだろう。身体に負担がかかる」
「そんなの気にするほどじゃないですよ。ちょっとくらいはしょうがないものだし」
いつもは使わない筋肉を使うからか、多少の筋肉痛だとか、翌日まで残る違和感だとかはあったりする。
でも、そんなのそういうことをするなら当たり前のことだ。
私はそこまで運動不足なつもりはないし、負担だって軽いもんだ。
隊長さんが気にするほどのものじゃない。
それに、そんなの今さらなことじゃないか。
「次の日の仕事に響くだろう」
「次の日がお休みのときだって手を出してくれなかったくせに」
ぶすったれた顔をしてぶつぶつ文句を言う。
かわいくないってわかってるけど、しょうがない。
だって、理由がわからないんだ。
急にそういうことをしてくれなくなった理由。
不安を不満に変えないと、やってられない。
「……サクラ」
隊長さんは観念したように、私の名前を呼ぶ。
大きな手が伸びてきて、私の頬を包み込む。
押し倒しちゃったりしてるくせに、それだけのぬくもりに安心しちゃう自分がなんだか情けない。
「お前に手を出したくないわけではない。だが、それだけの関係にはなりたくない」
「それだけの関係になんて、なるわけないじゃないですか! 愛があっての行為なんですから」
隊長さんの言葉に、私は即座に反論する。
それだけの関係って何? 意味がないものだったとでも言いたいの?
じわりじわりと心の中に不安が広がっていく。
思わずすがるように隊長さんの寝衣を握り込んだ。
「……愛、ありますよね?」
「ないわけがないだろう」
否定の言葉に、思ってた以上にほっとする自分がいる。
ここ最近愛を確かめてなかったおかげで、だいぶ不安になっていたようだ。
隊長さんが私のことを好きでいてくれているのは、わかっていたはずなのに。
やっぱりそれは、接触不足のせいなんじゃないかな。
「あのですね、適度なスキンシップは必要だと思うんですよ。現にこうして、私が不安になっちゃったりしてますし」
隊長さんの上にのしかかって、その胸に顔をうずめる。
がっしりとした胸板、伝わってくるぬくもり、規則的な心音。
こうしているだけでもすごく落ち着く。
でも、私はこれだけじゃ足りない。
もっともっと、求めたいし、求めてほしい。
「……お前は単にそういうことをしたいだけなのかと、俺も不安になっているんだがな」
「そりゃあしたいですよ、隊長さんとならいくらでも」
ため息混じりの隊長さんの言葉に、私は迷うことなく肯定を返す。
恋人とそういうことをすることに、何をためらう必要があるんだろう?
「好きな人に抱かれたいって、好きな人を肌で感じたいって、当然の欲求じゃないんですか?」
「それは、そうだが」
ちょっとだけ顔を起こして見上げると、隊長さんはとても渋い顔をしていた。
なんだろう。何が納得いかないんだろう。
私と隊長さんの価値観は、たしかにずれているのかもしれない。
それは住んでいた世界が違うせいもあるだろうし、私が少し変わっているからなのかもしれない。
でも、それでも、私は私の考え方を変えられない。
「私は隊長さんの全部が欲しいです。心だけじゃ足りません。プラトニックラブとか私には向いてません」
好きな人と、心だけじゃなく身体もつながりたい。
ただそれだけのことだ。
そんな私の主張は、何かおかしいんだろうか。
「俺は、お前の心が何よりも欲しい」
何を今さらなことを言っているんだろう。
隊長さんが私を好きでいてくれるように、私だって隊長さんが好きだ。
好きじゃなかったら恋人になんてならないし、抱かれたいなんて思わない。
毎日のように好きって言ってるのに、伝わっていないはずはないよね?
「そんなの、もうとっくに隊長さんのものです」
「……ああ、わかっている」
「わかってるなら、なんでそんな顔するんですか」
そんな、悲しそうな、切なそうな。
いくら手を伸ばしても届かない星に焦がれるような。
見ていて私のほうまで悲しくなってくるような、不安になってくるような、そんな顔を。
「“一番”は、“唯一”にはなれないんだろうなと、そう思ってな」
それは、静かな声で。
隊長さんの瞳には、優しさすらにじんでいて。
決して、私を追いつめるような、そんなものではなかったはずなのに。
ギクリと、心臓が大きく嫌な音を立てた。
隊長さんは私の一番だ。
一番、好き。一番、大切。私にとって一番、傍にいたい人。
でも、隊長さんは、私にとっての唯一ではない。
私には、隊長さん以外に大切なものがたくさんあって。
それは……その中には……。
ここじゃない、元の世界、が入ってる。
考えるよりも先に、私は隊長さんの上からガバッと身を起こす。
そのまま、持ってきたものなんて全部置いたまま、隊長さんの部屋から飛び出した。
理由なんてわからない。ただ、今隊長さんの前にいたらダメだと思ったから。
でも、ただ単に逃げ出したかっただけかもしれない。
隊長さんのダークブルーの瞳は、少しも私を責めていたりはしなかったけれど。
罪悪感から、私は逃げたかった。
どうして? 気づかれてた?
いつ? どこから? どこまで?
答えの出ない疑問符ばかりが頭の中で飛び跳ねる。
はっきり言われたわけじゃない。
それでも、わかってしまった。
隊長さんが、知ってしまっていることを。
私の、元の世界への、未練を。
そうだよ、私は……。
――元の世界に、かえりたい。