23:セックスレスを指摘しました

 夜、草木もそろそろおやすみなさーいとあくびをかみ殺す時間。
 現在私は、隊長さんを押し倒しています。

「……何をする」

 眉根を寄せ、眉間にしわを刻みながら、問いかけてくる隊長さん。
 いつもと違う見下ろす目線を、新鮮だなーって楽しむ余裕はこちとらありません。
 無理に私をどかさない様子から、おとなしく押し倒されてくれたんだってことがわかる。
 隊長さんだったら、どんなに私が素早く動いたって、逃げることはできただろう。
 逃げなかったのは、余裕があるから。
 私がこれから何をしたとしても、対処できる自信があるから。
 今はちょっとばかし、それに腹が立つ。

「隊長さん、もう私のことなんてどうでもいいんですか?」

 うなるように低い声で、私は尋ねる。
 そんな声を出したって、怖くもなんともないだろうけど。
 私の真剣さは伝わってくれるはずだ。

「……なぜそうなる」
「だって、セックスレスですよセックスレス! 離婚の原因にだってなるセックスレス!」

 最近、私が隊長の部屋にお泊まりに来ても、隊長さんは何もしないのだ。
 私から誘っても、のらりくらりとかわされてしまって。
 寝るぞ、って背中をぽんぽんされると、つい気持ちよくってそのまま寝ちゃってたけど。
 さすがにそれが続くと、おかしいぞって私も気づくわけです。

 私の鋭い指摘に、隊長さんは額に手を当てて深くため息をついた。
 なんですか、その反応は。
 間違ったことは何も言ってないと思うんですが。

「それほど間が空いている覚えはないが」
「今日で十日目です! 私は毎日だっていいのに!」
「よくはないだろう。身体に負担がかかる」
「そんなの気にするほどじゃないですよ。ちょっとくらいはしょうがないものだし」

 いつもは使わない筋肉を使うからか、多少の筋肉痛だとか、翌日まで残る違和感だとかはあったりする。
 でも、そんなのそういうことをするなら当たり前のことだ。
 私はそこまで運動不足なつもりはないし、負担だって軽いもんだ。
 隊長さんが気にするほどのものじゃない。
 それに、そんなの今さらなことじゃないか。

「次の日の仕事に響くだろう」
「次の日がお休みのときだって手を出してくれなかったくせに」

 ぶすったれた顔をしてぶつぶつ文句を言う。
 かわいくないってわかってるけど、しょうがない。
 だって、理由がわからないんだ。
 急にそういうことをしてくれなくなった理由。
 不安を不満に変えないと、やってられない。

「……サクラ」

 隊長さんは観念したように、私の名前を呼ぶ。
 大きな手が伸びてきて、私の頬を包み込む。
 押し倒しちゃったりしてるくせに、それだけのぬくもりに安心しちゃう自分がなんだか情けない。

「お前に手を出したくないわけではない。だが、それだけの関係にはなりたくない」
「それだけの関係になんて、なるわけないじゃないですか! 愛があっての行為なんですから」

 隊長さんの言葉に、私は即座に反論する。
 それだけの関係って何? 意味がないものだったとでも言いたいの?
 じわりじわりと心の中に不安が広がっていく。
 思わずすがるように隊長さんの寝衣を握り込んだ。

「……愛、ありますよね?」
「ないわけがないだろう」

 否定の言葉に、思ってた以上にほっとする自分がいる。
 ここ最近愛を確かめてなかったおかげで、だいぶ不安になっていたようだ。
 隊長さんが私のことを好きでいてくれているのは、わかっていたはずなのに。
 やっぱりそれは、接触不足のせいなんじゃないかな。

「あのですね、適度なスキンシップは必要だと思うんですよ。現にこうして、私が不安になっちゃったりしてますし」

 隊長さんの上にのしかかって、その胸に顔をうずめる。
 がっしりとした胸板、伝わってくるぬくもり、規則的な心音。
 こうしているだけでもすごく落ち着く。
 でも、私はこれだけじゃ足りない。
 もっともっと、求めたいし、求めてほしい。

「……お前は単にそういうことをしたいだけなのかと、俺も不安になっているんだがな」
「そりゃあしたいですよ、隊長さんとならいくらでも」

 ため息混じりの隊長さんの言葉に、私は迷うことなく肯定を返す。
 恋人とそういうことをすることに、何をためらう必要があるんだろう?

「好きな人に抱かれたいって、好きな人を肌で感じたいって、当然の欲求じゃないんですか?」
「それは、そうだが」

 ちょっとだけ顔を起こして見上げると、隊長さんはとても渋い顔をしていた。
 なんだろう。何が納得いかないんだろう。
 私と隊長さんの価値観は、たしかにずれているのかもしれない。
 それは住んでいた世界が違うせいもあるだろうし、私が少し変わっているからなのかもしれない。
 でも、それでも、私は私の考え方を変えられない。

「私は隊長さんの全部が欲しいです。心だけじゃ足りません。プラトニックラブとか私には向いてません」

 好きな人と、心だけじゃなく身体もつながりたい。
 ただそれだけのことだ。
 そんな私の主張は、何かおかしいんだろうか。

「俺は、お前の心が何よりも欲しい」

 何を今さらなことを言っているんだろう。
 隊長さんが私を好きでいてくれるように、私だって隊長さんが好きだ。
 好きじゃなかったら恋人になんてならないし、抱かれたいなんて思わない。
 毎日のように好きって言ってるのに、伝わっていないはずはないよね?

「そんなの、もうとっくに隊長さんのものです」
「……ああ、わかっている」
「わかってるなら、なんでそんな顔するんですか」

 そんな、悲しそうな、切なそうな。
 いくら手を伸ばしても届かない星に焦がれるような。
 見ていて私のほうまで悲しくなってくるような、不安になってくるような、そんな顔を。

「“一番”は、“唯一”にはなれないんだろうなと、そう思ってな」

 それは、静かな声で。
 隊長さんの瞳には、優しさすらにじんでいて。
 決して、私を追いつめるような、そんなものではなかったはずなのに。
 ギクリと、心臓が大きく嫌な音を立てた。

 隊長さんは私の一番だ。
 一番、好き。一番、大切。私にとって一番、傍にいたい人。
 でも、隊長さんは、私にとっての唯一ではない。
 私には、隊長さん以外に大切なものがたくさんあって。
 それは……その中には……。

 ここじゃない、元の世界、が入ってる。

 考えるよりも先に、私は隊長さんの上からガバッと身を起こす。
 そのまま、持ってきたものなんて全部置いたまま、隊長さんの部屋から飛び出した。
 理由なんてわからない。ただ、今隊長さんの前にいたらダメだと思ったから。
 でも、ただ単に逃げ出したかっただけかもしれない。
 隊長さんのダークブルーの瞳は、少しも私を責めていたりはしなかったけれど。
 罪悪感から、私は逃げたかった。

 どうして? 気づかれてた?
 いつ? どこから? どこまで?
 答えの出ない疑問符ばかりが頭の中で飛び跳ねる。
 はっきり言われたわけじゃない。
 それでも、わかってしまった。
 隊長さんが、知ってしまっていることを。
 私の、元の世界への、未練を。


 そうだよ、私は……。

――元の世界に、かえりたい。



前話へ // 次話へ // 作品目次へ