23:お仕事を始めて数日が経ちました

 砦で使用人として働き出して、数日が経った。
 仕事は完璧……とまではいかずに小さな失敗もあったけど、まあまあ順調って言ってもいいんじゃないかな。
 実家でも自分の部屋のお片づけは自分でしていたし、両親が共働きだったから家事のお手伝いはけっこうしていたし。
 料理人の数が少し足りないみたいで、昨日は厨房にお手伝いに駆り出されたんだけど、手際がいいって褒められちゃったもんね。
 今日も午前中にたくさんの部屋をお掃除して、少し遅い時間にお昼ご飯を食べた。
 ここ数日、お昼休みは砦内を散策して、建物内を覚えることにしている。
 ということであてもなく、でも頭を動かしながら砦内を歩いていると、前方によく知っている後ろ姿を見かけた。

「あ、隊長さん!」

 声をかけると、男の人は振り向いた。
 短い茶金の髪に灰色の瞳の大柄な男性。やっぱり隊長さんだった!
 うれしくなって私は隊長さんに駆け寄った。

「こんにちは、隊長さん!」
「休憩中か?」
「はい! 隊長さんもですか?」
「ああ」

 そういえばいつもだいたいこのくらいの時間に部屋に戻ってきてたっけ。
 ということはちょうど部屋に戻って休むところだったんだよね。
 邪魔しちゃったかな?

「仕事のほうはどうだ、慣れたか?」

 どうやら隊長さんはすぐには部屋に戻らずに、話に付き合ってくれるつもりらしい。
 人付き合いがいいというか、面倒見がいいというか。
 一度拾った捨て猫は最後までちゃんと面倒見るタイプだよね、隊長さんって。

「なんとかなってるって感じです。家で家事を手伝っててよかったです」
「そうか」

 隊長さんの灰色の瞳が優しく和む。
 なんだろう、子どもの成長を見守っているような、そんな生あたたかいまなざし。
 十も離れていたら子どもみたいなものなのかな。

「心配してくれたんですね。ありがとうございます!」
「心配くらいはする」

 笑顔でお礼を言うと、隊長さんから優しいお言葉を頂戴しました。
 心配、かぁ。
 それだけ私が頼りなく見えるってことだから、喜んじゃいけないのかもしれないけど。
 心配してもらえるのってなんだかうれしいものだね。

「大丈夫ですよ。たしかにここは私にとって異世界だけど、住んでる人たちはみんな同じ人間なんだし。知り合いのいない職場に来たと思えば!」

 そうそう、何も怖がることなんてない。
 全然知らない世界に来ちゃって、そこで仕事にありつけただけでも私は恵まれている。
 あっちの世界でも、友だちにはいなかったけど、高卒で就職した人はいたし。
 これも社会勉強ってことで。
 働きながらこの世界のことを知っていくのは、大切なことだよね。

「お前は前向きだな」

 それは感心しているというより、どこか呆れているような言い方だった。

「後ろ向いてるよりは前向いてるほうがいいですよ」
「それは言えている」

 私の言葉に、くっ、と隊長さんは笑みをもらした。
 わぁ、レアな表情だ。ごちそうさまです。

「使用人の人たちに隊長さんの話も色々聞いたりしましたよ。慕われてるんですね」

 食堂でご飯を食べているときだとか、厨房では手を動かしながら話していたりした。
 私は話し出すと手が疎かになるからって、もっぱら聞き専だったけど。
 隊長さんはやっぱりここでのトップだからか、一番有名で話にもよく出てきた。
 怖い顔をしていたとか、訓練で隊員をしごいていただとか、そういうエピソードばかりだったけど。
 みんな、隊長さんのことを好意的に見ているのは、聞いていてよくわかった。
 怖い怖いって言いながら、顔は笑っているんだもん。

「そんなことはない。むしろ恐れられている」
「隊長さんが知らないだけですよ。みんな隊長さんのことが大好きです」
「……そうだといいな」
「そうなんですってば!」

 くそう、信じてないな隊長さん。
 みんなの片思いなんだね。悲しいね。
 でもいつか隊長さんにその思いが届く日が来るよ!
 隊長さんの話をしていた人たちを思い浮かべながら、心のうちで励ましの言葉をかけた。

 隊長さんは、なんだかんだで人気者なんだよね。
 二十センチ以上は上にある凛々しい顔を見上げながら、私はぼんやりとそう思う。
 人気者の隊長さんと、私は一週間も同じ部屋で過ごしていたんだ。
 すごく優しいのに、そんなことはないとか言っちゃう隊長さん。
 自分がどれだけ人に慕われているか、知らない隊長さん。
 私はこの人に助けられて、今はこうして仕事ももらえちゃって。
 それでもまだ、隊長さんは私を気にかけてくれている。

「えへへ、なんだかうれしいです」
「何がだ?」

 思わずこぼれた本音に、隊長さんは不思議そうな顔をする。

「数日前までは隊長さんとたくさんお話できてたのに、ここ数日はちらっと見かけるくらいだったから。隊長さんに忘れられちゃったかなって思ってました」

 何度か見かけた隊長さんは、いつも忙しそうに早歩きで移動していた。
 普段は空気を読まない私が声をかけることをためらうくらい、忙しそうに見えた。
 小隊長さんも言ってたもんね、隊長さんは忙しいって。
 だから、忙しすぎて私のことも忘れちゃったんじゃないかって。
 「できうるかぎり目をかける」っていうのは、ただの社交辞令だったんじゃないかって。
 寂しいけどそれもしょうがないのかなって、そう思っていた。

 誠実な隊長さんが、嘘をつくわけないのにね。
 隊長さんの“できうるかぎり”っていうのは、言葉どおりだ。
 自分にできる範囲で、最大限に。
 ちゃんと、私のことを考えてくれていた。

「お前のことを忘れられる奴はいない」
「どういう意味ですか、それ」
「そのままの意味だ」

 よくわかりません隊長さん。
 一度寝た女は忘れない、とか?
 いやいやまさか、堅物な隊長さんがそんなキザなセリフをさらっと言えるわけがないよね。
 単純に、インパクトが強い、ってことなのかな。
 私としては、平々凡々な一般市民のつもりなんだけども。

「……休憩時間は、いつも自室にいる。暇なら来てもかまわない」

 小さく一つため息をついてから、隊長さんはそう告げた。
 何かもあきらめたような、そんな雰囲気。
 でも、嫌々、というふうには聞こえなかった。

「そんなこと言っちゃうと、入り浸っちゃいますよ」

 今のははっきりとした約束ではなかったけど、いつでも隊長さんの部屋に行ってもいいっていうお許しだ。
 何月何日に、という約束なんかよりも、よっぽど効力が強い。
 なんの効力かって、私を喜ばせる効力ですよ、もちろん。
 いいのかな、隊長さんに甘えても。
 やむをえなかった一週間が終わって、隊長さんの部屋から立ち退いて。
 それでもまた、あの部屋に行ってもいいのかな。

「今さらだろう」
「……たしかに」

 何しろ隊長さんの自室に一週間ちょっと入り浸っていたわけですし。
 今さらといえば、今さらだ。

「茶くらいは出す」

 それは本当に誘っているのかという仏頂面で、隊長さんは言う。
 でもそんなのもう慣れっこだったし、私はただ、隊長さんの部屋に行ってもいいってことだけを受け取った。
 じわじわと喜びが胸中に広がっていく。

「じゃあ、いつでも遊びに行かせてもらいます!」

 我慢しきれなくて、私はゆるみきった顔でそう宣言した。
 今さら、取り消しなんて利きませんよ。
 来てもいいって言ったのは隊長さんなんだから、自分の言葉の責任は取らなきゃね。

 にこにこ、私は隊長さんに笑顔を向ける。
 隊長さんも少しだけ表情がやわらかい。
 使用人さんたちが帰ってきてから、私があの部屋を出て行ってからも。
 隊長さんとの関係は、切れないみたいです。
 よかった。うれしいとかよりも、ほっとしてしまった。


 これも隊長さんの“できうるかぎり”のおかげだね!



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