22:正式に雇用契約を結びました

 運命の夕方が来て、私は使用人のみなさんに引き合わされた。
 とはいっても全員と顔を合わせたわけじゃない。みんな二週間も砦を離れていたから、やることがいっぱいあるらしい。
 挨拶したのは使用人をまとめているお頭さんとその他数人。使用人頭さんは、オールバックの髪と眼鏡が仕事のできる人っていうイメージだ。
 隊長さんは仕事で忙しいからって、小隊長さんが私のことを紹介してくれた。
 小隊長さんが使用人頭さんに手渡したのは、雇用契約を記した書類。
 いつもなら使用人頭さんが隊長さんに提出をしてサインをもらうらしいんだけど、今回はすでに隊長さんのサインが入っていて、あとは使用人頭さんのOKをもらうだけ。
 使用人頭さんはその書類を読んだあと、私をちらりと見た。
 その感情の見えない視線に負けないよう、私は勢いよく頭を下げた。

「仕事内容は聞いてますが、最初から全部完璧にはできないと思います。でも、できるようになるまでがんばります!」

 よし、かまないで言いきった!
 内心でガッツポーズをしていると、くすり、という笑い声。
 顔を上げると、使用人頭さんは柔和な笑みを見せていた。

「完璧に、だなんて求めていませんよ。やる気があるならいいでしょう」

 そう言って使用人頭さんは書類にサインをくれた。
 精霊の客人だから、という理由もあったんだと思う。
 それでも、少しは認めてもらえたような気がして、うれしかった。

「サクラはこれからエルミアとハニーナと同じ部屋で暮らしてもらいます。大まかな仕事は教えますが、わからないことがあれば彼女たちに聞いてください」

 エルミアさんと、ハニーナさん。よし覚えた。
 そんなこんなでお二人と面通しをすることになって、私は一気に知り合いが増えた。

「よろしく、サクラ!」
「あの……よろしくお願いします」

 エルミアさんは赤いウェーブ髪に黄緑の瞳。勝気で頼りになりそうな女性。
 ハニーナさん改めハニーナちゃんは淡い金髪に藍色の瞳の内気な子。私より一つ下だった。
 二人と簡単に自己紹介をしあって、うさぎのムーさんバスタオルと小隊長さんに用意してもらった服を相部屋に運んで、早速仕事のことを教えてもらう。
 たくさんある部屋や廊下を掃除したり、隊員さんの洗濯物をあずかったり。
 それだけで残りの時間はすぐに過ぎていった。

 慣れない仕事にくたくたになって、これから暮らすことになる三人部屋に戻ってくる。
 このまま寝ちゃいたいところだけど、まだ夕ご飯を食べていない。
 使用人の食事は、病気など理由があるとき以外は食堂で取るものだと隊長さんから聞いていた。
 隊長さんが部屋に仕事を持って帰ってきていたように、夕食後も仕事だという使用人は少なくない。
 ここでの勤務時間はシフト制ではなくて、一人一人、何時から何時までと決まっているのだとか。
 私はというと、使用人頭さんと相談して、エルミアさんやハニーナちゃんと同じ、朝早くから夕食前までと決まった。

 人がいっぱいいる中で食べるご飯は、学校を思い出してなんだか懐かしかった。
 違うのはそこにいる人たちの年齢が高いこと。
 中にはハニーナちゃんみたいに学生でもおかしくない子もいるけどね。
 食べながら、ここ一週間の、隊長さんとの静かな夕食タイムとは全然違うな、とぼんやり思う。
 隊長さんは基本、私から話を振らないとしゃべってくれなかった。
 快活なエルミアさんは話し上手で、一緒にいて楽しい。
 ハニーナちゃんは逆に聞き上手。のほほんとした空気が和む。
 楽しいご飯タイムを過ごしながらも、ほんの少しだけ、隊長さんがここにいたらな、と考えてしまった。
 たぶん隊長さんは、私たちの話を聞いてるだけで疲れちゃいそうだけどね。

「隊長とどんな関係?」

 そう、エルミアさんがド直球に聞いてきたのは、食事を終えて部屋に戻ってからのことだった。

「どんなって?」

 何が言いたいのかだいたいわかっていながらも、私はとぼけた。
 だって、どんなもこんなも、答えようがないから。
 まさか誤解があってぺろりといただかれちゃいましたなんて、隊長さんの評判を傷つけるようなことは言えない。

「隊長に保護されたんでしょ? 一緒の部屋で過ごしてて、何もなかったの?」

 私がこの世界に来てからの経緯は、ほとんどそのまま使用人頭さんに伝えてあった。
 だから、エルミアさんも私が隊長さんの部屋に一週間もお邪魔になっていたことを知っている。
 小隊長さんなんかは、今日の朝にでも来たことにすればいいって言っていたんだけどね。
 私も隊長さんも、そんな器用な嘘がつけるか怪しかったから。
 どこかでボロを出しちゃうよりは、ってことで本当のことを話したというわけだ。
 当然ながら、最初の夜のことははぶきましたとも。

「ちょっと、エルミア……」
「何よ、ハニーナは気にならないっての?」
「そ、それは……」

 反応を見るに、ハニーナちゃんも実のところ興味津々らしい。
 まあそうだよね。女の子は好きだよね、こういう話。

「どんな、と聞かれると……こんな?」

 少し悩んで、私は適当にごまかすことにした。

「や、こんなってどんなよ」
「名状しがたい感じ、ということで」

 案の定エルミアにつっこまれ、私はそう答える。
 実際、説明はできそうにない。
 言えないことがあるってだけじゃなくて、全部話したとしても関係性ははっきりしないから。
 私たちは、もちろん恋人同士なんて甘い関係じゃない。だからといって友だちでもない。
 隊長さんが私の恩人、もしくは保護者、というのが一番近いのかもしれない。
 でもそれだって、近いというだけでやっぱり違うと思う。

「恋人ではないの?」

 え、なんですかその質問。

「もしかしてエルミアさん……」

 わずかな期待を持ってエルミアさんに視線を向けた。
 思わずわくわくしちゃうあたり、私も二人のことをとやかく言えないね。
 すぐに自分の質問の微妙さに気づいたらしく、エルミアさんは顔をしかめる。

「あ、言っておくけど違うからね。隊長のことは立派な人だとは思うけど、恋の相手にはできないわ」
「そうなんですか? どうして?」

 残念。色恋じゃないのか。
 隊長さんイケメンだし、恋の相手にはいいと思うんだけどな。
 好みじゃない、っていうならまあ、わかるけど。

「だって、怖いしきっびしーもの。オフもあんな調子でやられたら、窮屈でしょ」

 ね、とエルミアさんはハニーナちゃんにも同意を得ようとする。
 ハニーナちゃんはひかえめにだけど、小さくうなずく。
 そっか、二人には隊長さんのことがそう見えるのか。

「隊長さん、優しいのになぁ」

 もったいないなぁ、と思って私はそう言った。
 隊長さんは優しい。すっごく優しい。
 そのことを私は一週間とちょっとでこれでもかってくらい知った。
 勘違いしたことを土下座して謝ってくれて。何かと私のことを気遣ってくれて。守るって言ってくれて。
 この世界で一人ぼっちの私を心配してくれる、優しい隊長さん。
 それを知らないなんて、もったいない。

「……ラブなの?」
「ラブでもいいかもしれない、とは思ったり」

 くり返しになるけど、隊長さんは恋の相手にピッタリな人だと思ってる。
 ちょうどいい対象だよね、手が届かなそうで。
 恋の相手に、というより、片思いの相手に、かな。

「はっきりしないのね」
「こういうのは熟成させてこそ、ですよ」
「そうかしらねぇ」

 エルミアさんは釈然としないものがあるようで、不服そうな顔をしていた。
 ハニーナちゃんはフォローしなきゃとばかりに口を開くけど、言葉が出てこないのか結局黙り込む。
 私に恋話を振ってもそんなおもしろい話は出てこないよ。
 そういうのはもっとかわいい女の子に似合うものなんだから。

 だけど、もし。
 もしも今、私の心に何かしらの芽があったとして。
 それが育って、花を咲かせて、実をつけることはあるんだろうか。


 そんな、意味もないようなことを、私はぼんやりと考えた。



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