咲姫はどうせわかってない、と。
様子のおかしい季人にそう言われてから、早数日が過ぎていた。
あのあと、私が我に返るよりも先に、季人は自分の部屋に戻ってしまって。
次に顔を合わせたときにはもうすっかりいつもどおりの季人で、まるであれが夢だったかのよう。
私だけが気持ちを切り替えられずに、なんとなくギクシャクしてしまっていた。
「仲直り、しよう」
そんな中での、季人からの提案。
あれ、そもそもケンカしてたっけ?
なんて思いつつも、ここ数日の微妙な緊張感をどうにかしたかった私には、渡りに船ではあった。
なんだけども……。
「……で、なんで仲直りするために縁日なの」
現在、季人と私は二人で近所のお祭りにやってきている。
花園神社、というそのまますぎる名称の神社は、実はけっこう歴史が古く、この縁日も私が生まれるずっと前から、毎年七月の終わりに行われていた。
昔はそこまでわいわいしなかったらしいけど、神社の近辺と境内の一部に出店が立ち並ぶ様子を見るかぎり、今では一般的な夏祭りと変わらない。
出店以外にも神輿があったり有志の踊りがあったり、朝から始まる縁日は夕暮れ時になってもまだ人でにぎわっていた。
「夏にこっちに来たときは毎年来てるでしょ。今さらじゃない?」
「でも、今年はさぁ……」
ここまで来てしまったものの、気の進まない顔で文句を垂れる。
みなまで言わなくとも、季人は十二分にわかっていることだろう。私がどんな懸念を持っているかなんて。
何しろ季人は、私《ヒロイン》の《サポート役》なんだから。
「夏休み中、縁日と花火大会があるけど、両方とも攻略対象と一緒にデートに行かないかぎりイベントは起きないよ。一人とか、友だちと行ってばったり会う、なんてイベントはない」
私を安心させるためか、季人は『恋花』内のイベント内容について話してくれる。
ありがたいけど、今までゲームどおりに進んだことのほうが少なかったじゃないか。
百合川陽良との出会いだって、いざこざだって。
結局、ゲームとはまったく関係ない展開を見せて、ゲームとは全然違う収束に至った。
「イベントがなくても、会わないとは限らないじゃん」
ギロリ、と軽く睨んでみると、季人は苦笑した。
苦笑……というよりも、それはどこか寂しげな微笑だった。
「咲姫は、来たくなかった?」
「……そんなことは、ないけど」
返答に困って、思わずそう答えてしまった。
絶対来るもんか、って思っていたら、私は仲直りのためだろうがなんだろうが断っていた。でも私は、迷いながらも自分の足でここにやってきている。
本当は、来たかった。
人混みは得意じゃないけど、お祭りとかそういうのは、私だって人並みにわくわくする。
今年はやめておいたほうがいいと思っていたから、こうして季人が半ば強引に連れ出してくれなかったら、来なかっただろう。
ああもう、結局季人は私に甘い。
あんなに怒っていたのに。あんなに震えていたのに。
仲直りとかなんとか言っておいて、ただ臆病な私をお祭りに連れ出してくれただけじゃないか。
「でも、服まで指定したのはなんで?」
素直に認めるのも癪だったので、話題を変えてみる。
現在、私が着ているのは、ゴールデンウィークに季人に買ってもらった生成のワンピースだった。
なんだかんだで、今の今まで一度も袖を通したことのなかったワンピースは、あつらえたように私にピッタリだ。買うときに試着したからわかっていたけれど。
夏とはいえ夜は肌寒くなるからと、誕生日に伯父伯母からもらったカーディガンを羽織って、下半身は七分丈のレギンス。おしゃれなサンダルやパンプスなんて持っていないから、足下が飾り気のないカジュアルシューズなのはちぐはぐかもしれないけど、総合的なバランスはそこまで悪くはないと思う。
今日は、上から下まで季人のコーディネートだ。これ着て、と渡されたものをそのまま着た。誕生日に季人にもらったペンダントもつけている。
そりゃあ、浴衣とかを指定されるよりは楽だし、この服を着たくなかったわけでもないけど。
今まで一緒に出かけるときに、こうやって着る服を決められたことなんてなかったから、なんだか違和感を覚えてしまった。
「特に理由はないけど、タンスの肥やしにするために買ったわけじゃないからね」
「……だって、普段着にはもったいないデザインなんだもん」
「いつ着てもいいと思うんだけどなぁ、似合ってるし」
夕日に照らされた季人の瞳が、やわらかく細められる。
嘘とか、お世辞とか、じゃないんだろうなぁ。
本気で言っているんだろう、季人は。
「……シスコンめ」
赤くなってしまっているだろう頬は、夕日のおかげでごまかせているはずだ。
季人が私に対して甘々なのはいつものことなのに、なんだろう、なぜか、軽く流せない。
「咲姫、手貸して」
「へ?」
「人が多いからね。はぐれないように」
そう言うが早いか、季人は私の手を取って、しっかりと握り込んでしまった。
あれ? と思う。去年だって私は夏に伯父の家に遊びに来て、この祭りにも来た。でも手はつながなかった。
私があんまり外でそういう触れ合いを好まないと、季人は知っているはず。別に振り払うほどではないけど。
こうして手をつなぐのなんて何年ぶりだろう。たぶん、小学生のとき以来だ。
季人の手は思っていたよりもごつごつしている。……まるで、大人の男の人の手のように。
咲姫はどうせ、わかってない、と。
彼らしくなく弱々しい声が、また脳内で再生される。
あのとき肩をつかんだ手は震えていた。何かに怯えているみたいに。
今はもう、その手は震えていない。
なのに。
ドキドキ、ドキドキ、と。
同じように胸が音を立てているのは、なんでなんだろう。
あのときは、混乱していたから、だと思っていたんだけれど。
「何食べたい? 大判焼き? ベビーカステラ? 好きなもの買ってあげる」
神社の方向に向かいながら、季人は機嫌がよさそうに聞いてきた。
相変わらず季人は貢ぎ癖を持っているらしい。そして相変わらず季人は私の好みを知り尽くしている。
特にベビーカステラは大きい袋で買って、半分くらい持って帰って食べるくらいに好きだ。
「……大判焼きと、ベビーカステラとかき氷は絶対食べる。あと、リンゴ飴のパイナップルのやつを買って帰りたい」
「甘くないものはいらないの?」
「広島風お好み焼き、食べたいかも。普段食べるものじゃないし」
「じゃあ、半分こしようか」
私の手を引きながら、季人は心底楽しそうに笑っている。
数日前、身体を震わせながら私をなじった季人はどこにもいない。
でもあれは夢じゃない。季人は私よりも年上だから。大人だから……何もなかったふりもできる、というだけで。
きっと、まだあのときの季人は、季人の中のどこかに、ひそんでいる。
立ち並ぶ出店と人混みを横目に見ながら、だんだんと神社に近づいていく。だんだんと空は薄暗くなっていく。
二人で手をつなぎながら、祭りを見て回るなんて本当に久しぶり。
子どもじゃないのに、そんな簡単にはぐれたりしないのに、離して、とは言えなかった。
季人の私の手を握る力は、少し痛いくらいの強さで。
それが、季人の弱さを示しているように、私には思えたから。
……ああ、もう。
心臓の音が、うるさい。