七月になった。期末テストまで、あと一週間足らず。
テスト週間中は季人の部屋での報告会をなくして、自室で勉強をしている。
とはいえ季人に勉強を教えてもらいに行ったり、季人がちょっとしたことで訪ねてきたりと、まったく行き来がないわけじゃない。
勉強ってものは、日々の積み重ねだ。テスト前の勉強は最終確認の意味合いが強い。
受験間近でもあるまいし、そこまでピリピリしたくはない。
勉強漬けというほどでもなく、雑談にだって付き合う。
麦茶を持って部屋にやってきた季人に、休憩時間にしようと思うくらいには。
「勉強は順調?」
ベッドに隣り合って座る季人が尋ねてくる。
ついさっきまで勉強していたのは英語だ。私が一番苦手な教科だと季人も知っているから、気になるのも自然なことかもしれない。
「まあまあかな。今のところつまずいてるとこはないよ」
「それならよかった。ちょっとでもわからないところがあったら遠慮なく聞いてね」
「わかってる。頼りにしてます」
私は苦笑しながらそう返した。
まったく、季人はいつもこうだ。
自分だってレポートやら卒論やら、何かと忙しいはずなのに、私のことばっかり。
こうしてさりげなく気遣われると、私もそれを当然のように受け取ってしまう。
この従兄は人を堕落させる天才なんじゃないかと思えてくる。
「それはそうと」
声の調子を変えて、季人はグラスをお盆に戻した。
ただ雑談をしに来ただけだと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
「話しておいたほうがよさそうな情報があってね」
その言葉に、私も気持ちを切り替える。
情報、と言われただけで、『恋花』についてのことだとわかる。
テスト勉強ほどではないけれど、大切なことだ。
真面目に聞く必要があるだろう。
「もしかしたら、萩満月に好きな人がいるかもしれない」
「へ?」
思いも寄らなかった情報の内容に、私は間抜けな声を出してしまう。
攻略対象の一人。一年一組で文芸部所属、図書委員の萩満月。
その彼に、好きな人?
「確証はないんだ。人違いかもしれないし」
季人も困惑しているのか、なんとも言えない表情をしている。
驚いているのは私だけじゃないようだ。
むしろ、ゲーム内容を知っている季人のほうが、私よりも複雑だろう。
「とりあえず、詳しく話して」
私がそう言うと、季人はうなずいてから説明しだした。
要約すると、こういうことだった。
季人と同じ学科の後輩に、花園学園の文芸部に所属していた人がいるんだとか。
その人は今の文芸部の部長と時々連絡を取っているそうだ。
で、現部長がこんなことを言っていたらしい。
『今年入部したおとなしい男子が、他の部員に片思いしている』、と。
「今年入部したおとなしい男子、か……。それだけだと萩満月かどうか、はっきりしないよね」
「うん、だからまだ可能性の段階。文芸部は女子のほうが多いから、それなりにしぼれるけど。読書が好きな男子はたいていおとなしいものだからね」
腕を組みながらの私の言葉に、季人も同意する。
ちなみに、今年文芸部に入部した男子は三人だそうだ。ちゃんとそこまで聞いておくあたり、抜け目ない。
つまりは、三分の一の確率で、片思い中の男子は萩満月、ということ。けっこう高い確率だ。
「文芸部、かぁ……」
私は吐息と共につぶやきをこぼす。
文芸部は倉橋さんが入部している部活だ。
誰かに片思いしているらしい男子とも、少なくとも顔見知りではあるだろう。
もし部活内で有名な話だったりしたら、片思いの相手が誰なのかも知っている可能性がある。
「倉橋さんから何か聞けたりしないかな?」
私の考えを読んだかのようなタイミングで、季人はそう言ってきた。
「萩満月のことを? いきなりそんなこと聞くの、怪しくない?」
一方的には知っているけれど、私と萩満月は知り合いではないわけで。
どうして赤の他人のはずの彼のことを聞くのかと、当然倉橋さんは不思議に思うはずだ。
私は不審者にはなりたくない。
せっかく友だちになれそうな子に、微妙な印象を持たれたくもない。
「個人のことじゃなくてさ。まずは文芸部自体のことを聞いて、そこからどんな部員がいるかとか、話を広げていくんだよ」
「……なるほど、それならいけるかも」
季人のアドバイスは的確だった。
さすが、情報通なだけはある。経験者は語る、だね。
そうやって今までに様々な情報を得てきたんだろうと思うと、感心するというか、若干怖いというか。
その情報はすべて私のためのものなのだから、ここはむしろ感謝すべきところなんだろうけれど。
まあ、まずは今回の情報が萩満月のものなのかどうか、確かめるのが先決だ。
* * * *
翌日、昼休みに一緒にお弁当を食べながら、早速倉橋さんに文芸部のことを聞いてみた。
「文芸部に興味あるの? 見学に来る?」
テストが終わってからになるけど、と話す倉橋さんに特に驚いた様子はない。
私が本好きなのをよく知っているからだろう。
前に一度誘われたこともあったから、今度こそ勧誘のチャンスとでも思ったのかもしれない。
「いや、それはいいや。私は家で一人で本を読むほうが好きだし。自分で話を書こうとは思わないし」
実際のところ、文芸部に惹かれるものはあったけれど、萩満月がいる時点で入部する気は完全に失せている。
そのことは倉橋さんに説明できないので、適当な理由をつけて断った。
一人で読むほうが好きなのは本当だが、本の好きな知り合いは欲しかったりもする。
ちなみに、季人は存在感が薄いので、家で一緒に本を読むことも多い。
「文芸部っていっても、ほとんど読書部みたいなものだけどね。話を書いてる人は半分くらいしかいないよ」
「話を書く人と書かない人って、溝があったりしないの?」
「う〜ん、本好きが集まってるから、たぶん大丈夫だよ。本の趣味とかも人それぞれだってみんな思ってるし。書くか書かないかだって、個人の自由だもん」
なるほど、文芸部としても読書部としても、うまいこといっているらしい。
文化部は運動部と比べれば上下関係も薄そうだし、倉橋さんの様子を見るかぎり、特に亀裂があったりはしないようだ。
倉橋さんは一年生のときから文芸部に入っているんだと聞いている。
文芸部に愛着があるのだと、語り口から伝わってきた。
「倉橋さんは話を書くの?」
純粋な興味を持って質問してみた。
半分くらい、の中に倉橋さんが入っているのかどうか。
倉橋さんは少女小説を好んで読んでいるから、自分でそういう話を書いていても不思議じゃない。
「……えへへ、実は書いてる。下手っぴなんだけどね」
「今度読んでみたいな」
「見せられるようなものが書けたらね」
恥じらいながら打ち明けてくれた倉橋さんは、とてもかわいらしかった。
いろんな本を読んでいる倉橋さんだから、それほど変なものは書かないだろうと思えた。
私は雑食だから趣味に合わないということもないだろう。
読ませてもらえる日が楽しみだ、と私は思った。