12:テスト結果とご褒美と

 二年生、三百四十八人中、二十二位。
 好調な滑り出しと言ってもいいだろう。

「立花、すげー! おめでとう!」

 貼り出された順位表を見上げて、桜木ハルは大声を出す。
 まるで自分のことのようにはしゃいでいる。

「ありがとう」

 一応お礼は言っておく。
 正直、目立つからやめてほしい。
 私の上にはまだ二十一人いるわけだし、そこまで騒ぐほどのことじゃないだろう。なんとなく、順位表の前で騒いでいいのは上位十名くらいまでな気がする。
 あまりうるさくして、私よりも順位の低かった人たちに恨まれるのだって嫌だ。
 桜木ハルはもう少し人の目というものを気にしたほうがいい。

「以外とやりますのね」
「花園さんには敵わないけどね」

 褒めているのか貶しているのかわからない花園さんの言葉に、私は苦笑する。
 花園さんは八位。十位以内とか本当に完璧人間だなぁ。
 まあ、理事長の娘では悪い点数は取れないだろう。
 家庭教師とかついているんだろうし、お嬢さまは大変そうだ。

「でも、すごいよ! おれなんて真ん中より下だったのに」

 へへへ、と桜木ハルは頭に手をやりながら笑う。
 桜木ハル、君はもう少し勉強をがんばったほうがいいと思う。
 それは笑いながら言うようなことじゃない。

「そんなに褒められると照れるよ」

 とりあえず無難にそう返しておいた。
 人の目が気になって、うかつなことが言えないというのが大きい。
 目立ちたくないのですよ、お二人とも。
 二年生の集まる順位表の前で、イケメンとお嬢さまに囲まれて談笑なんて、どんな罰ゲームだ。
 二人のファンに、妄想癖で陰湿な奴がいないことを願う。


  * * * *


「テスト、がんばったな、立花」

 移動教室の途中、廊下でそう声をかけられた。
 立ち止まって振り向くと、そこにいたのは担任の椿邦雪。
 ……イベントか?
 真っ先にそれを疑った。
 そうだったとしても、振り返ってしまった以上無視はできない。
 というか先生を無視するなんて、品行方正な生徒を目指している私としては、許されないことだ。

「ありがとうございます」

 仕方がないので、追いついてきた先生にお礼を告げる。
 そういえば、と季人が言っていたことを思い出す。
 テストのあとに、ちょっとした会話イベントが挟まれるのだと。
 もしかしたらそれかもしれない。

「最初っからこれじゃ、他の生徒の立つ瀬がないな」
「でも、上位一割ですよ。十位以内に入ったわけでもないですし」
「この学校で上位一割に入るのがどんなに大変か、わかってないのか」

 まあ、そうだろうなぁ。
 校風が自由だから忘れそうになるけれど、一応は進学校なわけで。
 努力だけで取れる順位でもないだろう。
 私は子どものころから勉強は嫌いじゃなかったし、テスト勉強はそれなりに要領よくできているほうだ。
 一番大きいのは、テスト本番に強いことかもしれない。
 大丈夫、よく考えればわかる。
 そう、自分を信じることができる。
 そのおかげでど忘れしてしまうことはないし、ケアレスミスも少ない。

「謙遜くらいはさせてください。見るからに鼻にかけていると印象悪いでしょう」

 会話が聞こえる距離に人がいないことを確かめてから、私はそう言った。
 あくまで、褒められて照れているような表情のまま。
 ぷっ、と先生は噴き出した。

「お前、おもしろい奴だな〜」
「それはどうも」

 笑いを取れたようなら何よりだ。
 他の攻略対象と違い、椿邦雪は先生であるからして、あからさまに避けることはできない。
 なら、恋愛対象から外されることを願うしかない。
 先生だって、生徒と恋愛関係になるなんて危ない橋を渡るようなことはしたくないだろう。
 そもそも生徒を恋愛対象に見るような人だからこそ、攻略対象になっているわけだけど、都合の悪いことは忘れることにする。

「その分じゃ心配なさそうだな」
「心配なんてしていたんですか?」

 やわらかく微笑みながらの先生の言葉に、私は聞き返す。
 いったいなんの心配なんだか。
 ただの一生徒であるはずの私を特別に目にかけている、という意味なら、要注意だ。
 ここがゲームの世界で、私がプレイヤーキャラで、先生が攻略対象だったとしても、エコ贔屓はよろしくないだろう。

「そらぁ、するだろ。慣れない環境に神経すり減らす転校生なんていくらでもいるからな」

 なんだ、そういう意味か。
 知らないうちにこわばっていた肩から力が抜けた。
 考えてみれば、担任の先生が転入生を気にかけるのは普通のことだ。

「立花はメンタルが強いんだな。いいことだ」

 弱くはないつもりだけれど、強いかというと首をかしげざるをえない。
 私の場合は、引っ越し先が、数えられないくらいお世話になっている伯父さんの家だったからだろう。
 一人暮らしをして元の学校に通っていたら、きっと今よりは調子を崩していたはずだ。
 私を受け入れてくれた伯父さん夫婦には感謝してもしきれない。

「それって、遠回しに図太いって言ってます?」
「若い奴らは少し図太いくらいがちょうどいいさ」

 私が混ぜっ返すと、先生は口元だけ笑みの形に歪めた。
 その表情と言葉に、椿邦雪という男の深みを見た、ような気がする。
 別に深かろうが浅かろうが私には関係ないことだけれど。
 一見やる気がなさそうなこの先生が、生徒に慕われている理由は、なんとなくわかった。
 にじみ出る大人の魅力というものだろう。
 中には本気で好きになっちゃう女生徒もいるんだろうな。犯罪者にならないようがんばれ。

「これからもその調子でがんばれよ」

 ぽんぽん、と軽く頭を叩かれた。
 子どもに対するようなふるまいに、思わず眉をひそめる。
 いや、教師からしてみれば生徒なんて子どもなんだけど。わかっているんだけど。
 季人といい、母さんといい、先生といい。
 誰も彼もに子ども扱いをされれば、不機嫌にもなるというものだ。

「言われなくても」

 むっつりとした顔で、私はそう答えた。
 ニヤ、と先生の口元が笑みを刻む。
 私の機嫌が悪くなった理由すらも見透かされているようだ。
 ……まったく、腹が立つ。こんちくしょう。


  * * * *


 私が家に帰ってきたとき、季人もすでに帰ってきていた。
 季人の部屋に行ってテストの結果を告げると、季人はほんわりとした笑みを見せてくれた。

「おめでとう、咲姫」

 心からの言葉だと、その表情から、その声から伝わってくる。
 桜木ハルのおめでとうよりも、先生のがんばったなよりも、何倍もうれしい。
 自然と私も笑みを返していた。

「ありがとう。季人のおかげだよ」

 結局、季人にはたまにだけれどテスト勉強に付き合ってもらってしまった。
 頼りすぎないようにしようとか思っていたくせに、やっぱり季人に頼らずにはいられなかった。
 もちろん、なるべくは遠慮したよ? 専属だとかそんなことにはならなかったよ?
 それでもやっぱり、家庭教師をしているだけあって、季人の教え方はわかりやすかった。

「咲姫のがんばりがあったからだよ」
「それは否定しないけど」

 キパッと私は言う。
 もちろん、努力しましたとも。

「うん、それでこそ咲姫だ」

 季人はくすくすと笑みをこぼす。
 何かな。そりゃあ、自分の努力をなかったことになんてしませんよ。
 そんなのなんだかおかしいと思うしね。
 学校と違って、聞かれて困る人がいるわけでもなし、謙遜なんてするつもりはない。
 いきすぎた謙遜は卑屈っぽく聞こえるものだからね。

「はい、これ。テストがんばったご褒美」

 季人はそう言って、机の上に置いてあった本を私に差し出してきた。
 受け取ってから、その表紙に目を落とす。

「……って、これ!」

 私の好きな作家の、十年以上も前に出た、処女作だ。
 今は絶版になっていて、古本屋を回っても手に入らなかったもの。
 どうしてこれを、季人が持っていたんだろうか。

「咲姫、読みたがってたでしょ? 教授に話したら、持ってるから貸してあげるって言ってくれたんだ。あげられなくてごめんね」

 すまなそうに季人は言うが、私にとって重要なのは手元に置いておけるかどうかじゃなくて、読めるかどうか。
 それはたしかに自分のものになるのならとても素敵なことだけれど。
 読めないと思っていた本を、こうして手に取って読むことができるなんて。
 それだけで、無上の喜びだ。

「そんなの、謝るようなことじゃないよ。これ、もう絶版で手に入らないのに……」

 ここ二年ほどずっと探していたけれど、見つからなかった本だ。
 古いしそこまで有名な作家じゃないこともあり、電子書籍化もされていない。
 最近では半ばあきらめていた。読めるとは思っていなかった。
 本を持っている手が震えてきそうだ。

「読書家でディープな趣味の従妹ちゃんによろしく、だって」

 それは本を貸してくれた大学の教授の言葉だろう。
 どうやら茶目っ気のある教授らしい。
 たしかに今まで同じ趣味の同年代には会ったことがないけれど、有名な賞だって取っている作家だ。
 ディープと言うほどでもない、と思いたい。

「じゃあ季人、心優しいディープな趣味の教授によろしく」
「はいはい」

 にやりと笑いながら私が言えば、季人も苦笑しながら返事をする。
 何を張り合ってるんだか、とでも思っているんだろう。

「本当は、ケーキでも買おうかなって思ったんだけど。咲姫は本が一番うれしいだろうしね」

 そのとおり。さすが季人だ、よくわかっている。
 ケーキだって買ってきてもらえればそれなりにうれしかっただろうけれど、この本には到底敵わない。

「これ以上ないご褒美だよ、ありがとう!」

 本を抱きしめながら、私は満面の笑みを浮かべて感謝の気持ちを伝えた。
 ありがとうだけじゃ足りないのはわかっていたけれど、他にいい言葉も思いつかない。
 一位を取ったわけでもないのに、こんな豪華なご褒美をもらってもいいものなんだろうか。
 日頃から季人に甘やかされている私には、判断がつかない。

「喜んでもらえたなら、よかった」

 緑混じりの茶色の瞳が和む。
 優しいまなざしに、心があたたかくなる。
 季人はいつも、私のことを考えてくれている。
 私を喜ばせてくれるし、私を助けてくれる。
 まるではちみつ漬けにされているような気分だ。
 甘やかされて、甘やかされまくって、それが当たり前のようになってしまっていて。
 そのはちみつに中毒性がなければいいな、と願うばかりだ。


 ずっと、甘えたままでいることは、できないだろうから。



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