ゴールデンウィークが終わるとすぐにテスト週間に入る。
今年度初めてのテスト。私にとっては、この学校での初めてのテスト。
俄然、テスト勉強にも力が入るってもんだ。
「季人、今日から一週間は報告会しないから」
テスト一週間前に、私は宣言した。
イベントを回避することも大事だけど、テストでいい点を取ることはもっと大事。
今のところは桜木ハルに懐かれていること以外、特に報告事項もないわけだし。
報告会のついでに、ついだらだらと時間を過ごしてしまうので、無駄だと気づいたのだ。
それもこれも、季人の部屋が居心地がいいのがいけない。下手すると自分の部屋よりもくつろげる。
何事も走り出しが肝心。あとで後悔しないためにも、私はテスト勉強に励まないといけない。
私の言葉に、季人は微笑む。
まるで私がそう言い出すことをわかっていたかのようだ。
……いや、きっとわかっていたんだろう。
季人は私のことならなんでも知っているのだから。
「テスト勉強?」
「うん。最初が肝心だと思うんだよね。しかも聞いた話によると、花園学園って全順位貼り出されるんでしょ? 絶対、微妙な点数は取れない」
そう、恐ろしいことに、花園学園は順位が同学年に知れ渡ってしまうシステムだ。
つまり、もし私が悪い点数でも取ったものなら。
『あの転校生、転入試験通ったわりに大したことないんだね』
なんて言われてしまうわけだ。恐ろしや恐ろしや。
前の学校よりも少しだけレベルが高いということもあって、気は抜けないのだ。
「そのへんは、ゲームシステムの弊害かもね」
苦笑する季人に、私は眉をひそめる。
何やら悪い予感がする。
「もしかして、ゲームでそうだったから、ってこと?」
『恋花』にもテストがあったことは聞いている。
テストのあとにちょっとした会話イベントが発生するのだとか。
それ以外にも、一部の攻略対象は、テストの結果によってイベントが起こるらしい。
たとえば、成績優秀だと声をかけてくる生徒会長。たとえば、赤点を取ると補習してくれる先生。
考えてみれば、補習はまだしも、成績優秀だということを生徒会長に知られなければイベントは起きない。
つまり……ゲームでの花園学園も、順位が貼り出される、ということだったのではないだろうか。
「うん。今時めずらしいし、たぶんだけどね」
「……本気で恨むよ、その乙女ゲーム」
私は思わずうなり声を上げた。
元よりテストで手を抜こうという気はなかったけれど、結果が周りにも知られるのと知られないのとでは全然違う。
今年度たった一人の転校生で、何もしなくても好奇の視線を向けられる。
私は基本、格好つけたがりだ。注目されている現在、それが「なんだ、そんなもんか」という落胆の視線に変わるのは許せない。
「気が引きしまると思えば、いい緊張感を保てるんじゃないかな」
「過度の緊張もよろしくないでしょ」
「咲姫なら大丈夫だよ」
季人はほんわりと笑いかけてくる。
その笑顔につられて表情をゆるめそうになって、すんでのところで我慢し、私はため息をついた。
「地味にプレッシャーをかけてくるし。くっそー」
そんなことを言われては、絶対に低い点数は取れない。
プレッシャーにつぶされるほど、私は繊細にできていないと思っている。
こと、勉強に関しては特に。
まして季人の言葉は、私を無条件に信頼しているもの。
意地でもいい成績を出してやろうじゃないか、という気になった。
「でも、気をつけてね。生徒会長」
季人は急に話を変えた。
その発言が何を指しているのか、私はすぐに理解した。
テスト結果によって発生する、イベントだ。
「テストの点数がいいと、生徒会に入らないかって誘われるんだっけ? だからって、そのイベントを起こさないために悪い点数を取ることだけは、できないよ」
それは、最初から決めていたことだ。
学生の本分は学業。
恋だなんだ、乙女ゲームだとかなんだとか、そんな理由で勉強をおろそかにする気はなかった。
「わかってるよ。咲姫は真面目だもんね」
「真面目というか……テストに全力出さないとか、テストの意味がないし。内申にも響くし。私、大学行きたいから」
学費の心配があったときでも、奨学金をもらってでも行こうと思っていた。
その心配をする必要がなくなった今、ためらうことは何もなかった。
私は勉強が嫌いじゃない。好きかと言われると、素直に好きとも答えられないけれど。
興味のあることを学ぶのは楽しいと思うし、何よりも、やりたいことがある。
「将来の夢、変わってないの?」
そう問いかけてくる季人は、まるで幼児を見守る保育士のような目をしていた。けれど不思議と不快ではない。
小学生のときからずっと抱いていた夢を、私は脳裏に描いた。
しんと静まりかえった館内。古い紙の香り。ページをめくる音。勉強をする学生。静謐な図書館。
そこできっちりと仕事をこなしていく、自分。
そんな未来が現実となったら、とても素敵だ。
「うん。本に囲まれた職場とかしあわせだと思うんだ」
「咲姫らしいね」
「乙女ゲームのヒロインらしくはないけどね」
笑顔で夢を肯定してくれる季人に、照れくさくなってきて私は茶化した。
ヒロインというものは、もっと華やかな職場が似合うだろう。
あるいは、夢は好きな人のお嫁さん、とか。
いまだに私がプレイヤーキャラだということに疑問を覚えてしまう。
そんなガラではないだろうに、と。
「それでいいんだよ。咲姫は咲姫なんだから」
「そうだね、私らしく夢に向けて努力するとするよ」
そのために、まずは、中間テストをやっつけなければならない。
テストの点数はそのまま内申に響くのだから。
「テスト勉強、がんばって」
季人の激励の言葉に、
「がんばりますとも」
もちろん私は、そう力強く返事をした。
期待されるのは、悪い気はしない。
信頼されているなら、応えなければと思う。
努力次第でなんとかなることなんだから、やるしかない。
「わからないとこがあったら、気軽に聞いてくれていいからね。一応、高校生レベルの問題なら教えられると思うから」
「……ちなみに授業料はいかほどで」
「取るわけないでしょ」
呆れたような顔をして、季人は答える。
それでいいんだろうか、と私は首をかしげた。
「先生してるのに、無料で教えていいの?」
季人は家庭教師のアルバイトをしている。
相手は高校生じゃなくて中学生だけれど、先生は先生だ。
たとえるなら、美容師が無料で友人の髪を切るようなものだろうか。
「咲姫は特別。なんなら専属でもいいよ」
「……贅沢だね」
私ははぁとわざとらしくため息を吐いた。
なんだ特別って。なんだ専属って。
本当に季人は私に優しい。というか、甘い。
そんなふうに何かにつけて甘やかすから、私がつけあがってわがままに育ってしまったんじゃないか。
まったく、季人はわかっていない。
自分の影響力というものを。
まあ、私がわがままに育ったのは、元からそういう素養があったからってだけで、季人ばかりのせいにもできないんだけども。
「ほんとに、なんでも聞いてね。咲姫に頼ってもらえるとうれしいんだ」
日だまりのようなあたたかな笑顔で、ふかふかの毛布のようなやわらかな声で。
季人はそう言った。
その緑混じりの茶の瞳が、優しい光を宿している。
私のためにできることがあるのがうれしい、とでも言うように。
……本当に、季人は私に甘い。
とはいえ、それに甘んじている私に言えたことじゃないのは、わかっていた。
「ありがと、何かあったら遠慮なく聞くよ」
私もにっこりと笑顔を返した。
勉強を教えてもらえるのは、たしかに助かるしうれしい。
それでも、頼るのは最低限にしよう、と言葉とは裏腹に私は考えた。
季人にも季人の勉強があって、季人の時間がある。
私のために、季人の自由な時間が減るのは心苦しい。
お人好しな季人は、私のためならとそんなことは気にしないのかもしれないけれど。
季人は底なしに優しいから。
寄りかかりすぎていては、いつか一緒に倒れてしまう。
だから、あんまり頼りすぎないようにしないと、と私は心に決めた。