30.朝、夢の続き

 穏やかで、しあわせな夢を見た。
 母と父とルミと、アケヒ。
 四人で一つのテーブルを囲んで、お茶をして。
 ルミの作った、少し焦げたケーキをみんなで食べて。
 アケヒとのことを、母にからかわれたりして。
 少し不機嫌そうな父を、母と二人で笑って。
 アケヒはルミのことを、本当に愛おしそうな目で見ていて。

 たわいのない、けれど決して手に入らない、しあわせな夢だった。



 夢から覚めると、ルミの身体はあたたかなぬくもりに包まれていた。
 このぬくもりは知っている。
 ルミの大好きな人、アケヒのものだ。

「ふふっ……」

 笑みをこぼしながら、目の前の胸板に頬をすり寄せる。
 素肌が触れ合う感触は恥ずかしいけれど、とても心地いい。
 昨晩のことは夢ではなかったのだと、実感する。
 アケヒと一つになった瞬間を、鮮明に覚えている。
 熱くて熱くて、窒息しそうなほどに苦しくて。
 なのに胸中に広がるのは、言いようもない幸福感だけで。
 一晩で身体が丸ごと作り替えられたような気すらする。

 逃がさないとばかりにルミを抱きしめる腕。
 見上げれば、精悍な顔立ちが今は無防備な表情を見せている。
 まるで夢の続きのようだ。
 母も父も、もういないけれど。
 ルミのしあわせは、たしかにここにある。

「ん……」
「起きた?」

 むずがる子どものように眉根を寄せるアケヒに、ルミはそっと声をかける。
 そう時間を置くことなくまぶたが持ち上がり、氷色の瞳と出会った。
 冷たくも見えるその瞳が、ルミを映して和らいだ。
 ああ、好きだ。
 目を合わせただけで、強烈な思慕の念がわき上がってきた。
 頬だけでなく、全身が熱くなってくる。

「どうした?」

 アケヒは不思議そうな顔をして、ルミの頬を指の背でなでた。
 寝起きだからか、かすれた声。
 その色気に、まなざしに、くらくらする。

「なんか、照れくさい」

 ルミは正直に答えて、目をそらした。
 心臓に悪くて見ていられなかったのだ。
 何も身にまとわず同じベッドに寝ている状況に、遅まきながらドキドキしてくる。

「今さら何言ってんだか」
「今さらって何よ」

 呆れたようなため息をつくアケヒに、ルミはむっとして言い返す。
 アケヒは経験豊富かもしれないが、ルミは全部初めてだった。
 キスも、それ以上もすべて、アケヒが初めて。
 ……それはたしかに、夢では何度もいかがわしいことをしていたけれど。
 夢は夢。あれは数には入らないはずだ。

「夢ん中で何度も触れただろ。
 そりゃ、最後まではしなかったけどよ」
「……へ?」

 ルミの心の中を読んだかのようなことを言われ、思わず顔を上げる。
 夢の中で、触れた?
 なぜ、アケヒがそれを知っているのだろうか。

「夢ん中じゃ理性なんてほとんど働かねぇし、大変だったんだぜ」

 ニヤリ、とアケヒは口端を上げる。
 してやったり、という顔。
 ぼぼぼっ、と急激に顔に熱が昇っていく。
 今なら口から火が吹けそうだ。

「あ、あの夢、全部本当だったの!?」

 がばっと起き上がって、ルミは声を荒らげた。
 そうだ、たしかに淫魔は他人の夢に入ることができる。
 過去の記憶と共に思い出した魔族としての一般常識の中には、一種族である淫魔についての知識もあった。
 寝ている者に触れることで夢に干渉し、悪夢も淫夢も、好きな夢を見せることができる。
 記憶がなかったときは知らなかったし、記憶が戻ってからはあの淫夢のことを深く考えたりはしなかったから、今の今まで気がつかなかった。

「本当ではねぇよ。夢は夢だ」
「でも、あれはアケヒ本人だったんでしょ?」
「精神体だったけど、まあそうだな」

 いけしゃあしゃあとアケヒは認める。
 なら、あのいかがわしい夢は、すべてアケヒが見せていたものなのだ。
 夜、ルミの部屋へとこっそり入り、手でも握って夢に干渉したのだろう。
 道理で一時期、寝起きのいいアケヒが眠そうにしていたわけだ。
 あんな夢ばかり見る自分はどれだけいやらしいのかと、気にしていたというのに。
 全部、アケヒが原因だったなんて。

「あ、アケヒのエッチ! 変態!!」
「それこそ今さら。そんなの身をもって知ってんだろ」

 アケヒは艶めいた笑みを浮かべる。
 たしかに、そのとおりなのだけれど。
 その言葉に昨日の情事を思い起こさせられ、ルミは茹で上がる。
 完全におもしろがられているとわかっていても、照れずにはいられない。

「もう、やだ……アケヒのバカ……」

 恥ずかしすぎて、声に力がなくなっていく。
 赤くなっているだろう顔を両手で覆う。
 衝撃的すぎるカミングアウトに、どう反応すればいいのかわからない。
 永遠に知りたくなかったような、けれど知らないままでもいたくなかったような。
 とても複雑な気持ちが胸に渦巻いていた。

 なら、もしかして、今日の夢もアケヒが見せたんだろうか。
 ルミが心の底で望んでいたことを、せめて夢の中で叶えてくれようとしたんだろうか。
 聞いてもアケヒは答えてくれないような気がした。

「朝っぱらからそんな姿見せて、誘ってんのか?」

 言いながら、アケヒはするりとルミのわき腹をなぞった。
 朝から出すべきではないような声が出そうになって、ルミは口を引き結ぶ。
 勢いよく上体を起こしたために、陽の光の下に素肌をさらしてしまっていたことに、ようやく気づいた。
 あわてて掛け布団を引っ張り身体を隠す。

「ち、違う! もうムリ!」

 起き上がったときに気づいたけれど、どうやら全身筋肉痛になっているようだった。
 特に腰から太ももにかけて、ギシギシと痛む。
 今、昨日みたいなことをすれば、絶対に耐えられないほどの痛みにおそわれる。
 昨日あんなにしたというのに、アケヒはまだ足りないのだろうか。
 ……とそこまで考えて、自分の思考にさらに恥ずかしさがこみ上げてきた。

「へいへい。んじゃそろそろ起きますかね」

 アケヒはベッドから降り、床に落ちていた服を素早く着こむ。
 ついでとばかりにルミの下着や服も拾ってくれたので、顔をそちらに向けないようにしつつ受け取り、身に着けていく。
 お互い汗をかいているし、他にも差し障りがあるので、まずは風呂に入る必要があるだろう。
 朝ご飯を作るために、先に入らせてもらおうか、と起き上がろうとして……足に力が入らなかった。

「アケヒ、なんか身体が変なんだけど。立てないんだけど」

 訝しげにアケヒを見上げると、彼はからかうような、それでいて少しうれしそうにも見える笑みを見せた。

「へぇ、そんなに良かったか?」
「なっ何言ってんのよ!?」

 色めいた軽口に、とっさに枕を投げつけてしまった。
 アケヒはハハッと笑い声を上げ、危なげなくキャッチした枕をルミに手渡す。

「冗談はさておき。そりゃ初めてであんだけすりゃ、腰も抜けんだろ」
「うう〜、アケヒのバカ」
「まあ、あれだ。昨日はオレもあんま加減できなかったしな。朝食くらいは作ってやるよ」

 ぽんぽん、と頭の上に手のひらが降ってくる。
 アケヒに頭をなでられるのは、子ども扱いをされているようで、以前は少し複雑な思いを抱いていたのだけれど。
 想いが通じ合った今は、そうされるだけで胸があたたかな気持ちでいっぱいになる。
 こんなことくらいでごまかされないんだから、と思いつつも、ほだされそうになっている自分がいた。

「……もう昼食って時間なんだけど」
「気にすんな」

 ふてくされたような顔をして見上げれば、額にキスが落とされた。
 それだけでは足りない、と思ってしまうのは、昨日あれだけ愛された余韻がまだ身体に残っているからだろうか。
 思わず、アケヒのシャツをきゅっと握って、引き止めてしまう。
 アケヒはクッと小さく笑って、ゆっくりと顔を近づけてきた。
 甘い口づけは、ルミの心をしあわせで満たした。


 幸福な夢の続きは、きっと一生終わらない。



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