31.淫魔にとっての《運命》

 アケヒと想いを通じ合わせて数日後、ルミとアケヒはハルウたちの元に挨拶に来ていた。
 ルミが寝込んだ際には二人にもだいぶ心配もかけてしまった。
 回復したという挨拶と、もう一つ。
 お互いのつがいになるという、報告に。

 つがいの契約というのは日を選ばないといけないらしい。大安吉日に結婚式を挙げるようなものだろう。
 魔界の気の流れだとかそういうものには、月の運行が関わってくる。
 通常、契約にふさわしいとされるのは、満月の日かそれに近しい日。
 契約を交わすのは次の満月の日に、と決まった。
 魔札という、儀式に使うものも申請しなければ手に入らないそうなので、どっちみちすぐに契約することはできないのだ。

 ハルウとミンメイは、ルミたちの報告に大いに喜んでくれた。
 もっとも、ハルウは若干複雑そうではあったけれど。
 娘を嫁にやる父親のような心境なのかもしれない。
 兄のようなものとはいえ、父子でもおかしくない年齢差なのだから、わからなくもない。
 両親のいない今、ハルウは一番近い血縁者だ。
 祝福してくれるのも、複雑な思いを抱いてくれるのも、ルミにとってはうれしいだけでしかなかった。



「ところでアケヒ。一つ、思い出したことがあるんだが」
「あ?」

 四人でミンメイの淹れたお茶を飲んでいたら、ハルウが唐突に話を変えた。
 アケヒは怪訝そうに眉をひそめる。
 思い出したこととはなんだろうか、とルミも耳をかたむける。

「ラン……ルミの母親がな、生前に言っていたことがある。
 娘に一目惚れをした淫魔がいたと」
「……ダンナ、ちょっと待った」

 思ってもみなかった話題にルミは目を丸くし、アケヒは即座に止めに入った。
 が、ハルウは口を閉ざすことなく続ける。
 赤々とした瞳が、強気にきらめく。

「なんでも、ルミがさらわれたときに淫魔の少年が助けてくれたそうなんだが。
 当時すでに彼女らの立場は危うかった。そのため二度と会わせることはできないが、かわいそうなことをしたと言っていた」

 そんなことがあったなんて、ルミは知らない。
 箱入りに育てられた記憶はあるから、微妙な立場ゆえに、他種族である淫魔と交流を持つことが不可能だったことは想像に難くないが。
 すべての記憶を思い出したはずなのに、ルミにはさらわれた記憶などなかった。
 覚えていないほど小さなころ、ということだろうか。

「年代も辻褄も合うはずだ。その淫魔とはお前のことだろう、アケヒ」

 ハルウの双眸がヒタリとアケヒを見据える。
 アケヒはその視線を受け取らず、すっと目をそらした。
 否定しないということは、ハルウの言うとおりなのだろうか。

「まあ、素敵なお話ですね」
「ルミが一歳のときの話だそうだがな」

 ハルウがつけ足すと、一歳……! とミンメイは驚きの声を上げる。
 追加された情報に、ルミの記憶に引っかかるものがあった。
 それは遠い昔の記憶ではなく、わりと最近の記憶。

「……一歳? そういえばアケヒ、あたしが一歳のときに一度だけ会ったことがあるって言ってたよね」

 あれはたしかハルウと初めて出会った日のことだ。
 以前会ったことがあったから、ルミがハルウの血縁だとすぐにわかったのだと言っていた。
 まだあの時から半年も経っていないのだから、記憶違いということはないだろう。

「確定だな」
「一歳のルミさんに、一目惚れなさったんですか?」
「魔界ではそうめずらしいことでもない。魂に年齢は関係ないからな」

 その感覚はわかるような気がする。
 きっとルミは、アケヒが一歳児だろうと、生まれたばかりの乳幼児だろうと、好きになっただろう。
 外見なんて関係ない。
 アケヒを形作るすべてが愛おしいのだ。
 そんなふうに、アケヒもルミに感じてくれたのだとしたら、うれしいのだけれど。

「だんまりか、アケヒ」

 ハルウは問いつめるように鋭い視線をアケヒに向ける。
 アケヒは先ほどから誰とも目を合わせず、一言も発さない。
 否定しない時点で、肯定しているようなものだというのはアケヒも理解しているだろう。
 何も言わなければ逃げられると思っているのか、単に認めるのが恥ずかしいのか。
 なんでもいいから反応を返してくれないだろうか、とルミは思った。

「これは俺の憶測でしかないが、ルミがアケヒの《運命》だったんじゃないのか?」
「《運命》って?」

 ドキッとする言葉に、ルミは聞き返す。
 ハルウの言う《運命》は、言葉どおりの意味とは違うような気がした。

「淫魔は生まれてしばらくの間は性別がない。
 幼少時に、一番最初に特別な想いを抱いた相手と逆の性別になるんだ。
 そのときの異性を、淫魔は《運命》と呼ぶ」

 ハルウが口にしたのは、ルミの知らない淫魔の習性だった。
 生まれたときに性別がない、ということは知っていたけれど、そんなふうに分化することまでは知らなかった。
 一番最初に特別な思いを抱いた相手。
 つまりそれは、初恋の相手ということではないだろうか。
 そして、もしアケヒの《運命》がルミなのだとしたら、それは――。

「あたしが、アケヒの初恋の相手ってこと?」

 声が、少し震えた。
 そうであったらどれだけいいだろうか。
 ルミの初恋は、アケヒだ。
 アケヒの他に、これほどまでに心を揺さぶられた人なんていなかった。
 年の差だとか経験の違いだとか、これまでずいぶんと思い知らされてきた。
 もし、ルミがアケヒの《運命》なのなら。
 十年以上も前から、想われていたのだとしたら。
 ルミの想いが、むくわれるような気がした。

「……初恋だとか、そんなきれいなもんじゃない。
 もっと即物的で、低俗なもんだよ」

 アケヒがようやく口を開いた。
 その声はとても低く不機嫌そうで。表情は苦々しいもので。
 けれど、よく見れば頬がかすかに赤く染まっていて。
 かわいい、とルミは思ってしまった。

「認めるんだな」
「ったく、もうちっとカッコつけさせてくれよな、ダンナ」

 アケヒはガシガシと頭を掻きながら、ため息をついた。
 みるからに不本意そうだ。
 言い逃れできない状況を作られて、仕方なく認めたのだろう。

「淫魔にとって、性別が決まるきっかけになったヤツってのは、その後一生つきまとってくる基準になるんだ」
「どういうこと?」
「オレにとっての異性、女ってのは、オマエが基準で……基本だってことだ」

 基準で、基本?
 いまいち意味が理解できず、ルミは首をかしげる。
 ルミのその様子を見て、アケヒはやれやれといった顔をしてもう一度ため息をついた。

「女が喜びそうな言葉で表すなら、理想の女ってこったな」

 言葉を変えた説明に、ルミは目をまたたかせる。
 理想の、女。
 さすがにそれはすぐに理解できた。

「あ、あたしが?」
「さっきからそう言ってんだろ」

 ぶすっとした声でアケヒは答える。
 肩肘をついて、明後日の方向に顔を向けたまま。
 もしかしたら、一生黙っていたかったことなのかもしれない。

「あたしが……理想の女……」

 思わず、声に出してつぶやく。
 じわりじわりと実感が胸に広がっていく。
 なんだか無性に泣いてしまいそうだ。

「ルミさんとアケヒさんが想い合うのは、運命だったんですね。
 ロマンチックですね」

 ミンメイは夢見る乙女のような純粋さでそう言い、ふふふっと笑みをこぼす。
 瞬間、ぶわっと熱が全身に広がった。
 運命……だなんて。
 たしかにルミにとって、アケヒは運命の相手だと思っていたけれど。
 アケヒにとっても、そうだったとは思わなくて。
 うれしくて、うれしすぎて、どうしていいかわからない。
 アケヒに目をやっても、彼はこちらを見ることなく。
 けれど隠すことのできない耳がやはり赤く染まっているから。
 間違いなく、二人が出会い、想い合うことは運命だったのだと。
 そう、信じることができた。


 アケヒに巡り会わせてくれた運命に、ルミは感謝した。



前話へ // 次話へ // 作品目次へ