繰り返し繰り返し、しあわせな夢とつらく悲しい夢を見て。
夢から覚めると、夢よりもしあわせな現実が待っていた。
アケヒは今までが嘘のように優しくて、甘くて。
ルミのことを、まるで恋人のように扱ってくれた。
以前見た夢よりも甘いキスを、何度も何度も、数えきれないほど与えてくれた。
痛みを和らげるためのキスだとしても、ルミはうれしかった。
アケヒから触れてくれるのが、とてもうれしかった。
その日、目を覚ましたルミの眼前に顔を出したのは、アケヒではなかった。
薄ぼんやりした視界で、アケヒのものではない色を捉えた。
「あ、起きましたか?」
一瞬警戒したルミにかけられたのは、のんびりとした女性の声。
聞き覚えのあるそれに、ルミは目をぱちぱちとさせた。
「……あれ? ミンメイ……さん?」
「はい、ミンメイです」
だんだんと見えるようになってきた目は、微笑む少女を映した。
淡い栗色の髪に、深い緑の瞳。やわらかな表情。
間違いなく、ハルウのつがいであるミンメイだった。
「どうして……?」
ルミは寝起きのかすれた声で問いかける。
ハルウの城にいるはずのミンメイが、なぜアケヒの家にいるのだろうか。
まだ思考が回らない頭では、答えが見つからなかった。
なんにせよ、客の前で寝たままはよくないと思い、上体を起こそうとするが身体に力が入らない。
そんなルミをミンメイは押しとどめた。
「起き上がらなくてけっこうですよ。
楽にしていてください」
ぐっとルミの肩を押さえつける力は、思っていたよりも強かった。
言われたとおり、起き上がることはあきらめた。
目が覚めたばかりで身体は言うことを聞かないし、無理に起きては頭痛がひどくなるだけなので、正直助かった。
「わたしがここにいるのは、アケヒさんに頼まれたからです。
仕事のほうで、どうしても外せない用事があるから、今日一日ルミさんについていてあげてほしいって」
おとなしく横になったルミに、ミンメイは彼女がここにいるわけを説明してくれた。
言われてみれば、家の中からアケヒの匂いがしない。
今、アケヒは出かけているのだと、ここにはいないのだと、ようやく気づいた。
「……そういえば、仕事、休ませちゃってた……んだよね」
ほとんど寝てばかりいたから、そこまで気が回らなかった。
ずっとルミについていたということは、仕事に行く暇はなかったということだ。
ルミのせいで、アケヒに仕事を休ませてしまった。
負担になどなりたくはなかったのに、迷惑をかけている。
沈んでいく気持ちをどうすることもできなかった。
「いつも真面目に仕事していた分、まとまった休みをもらえたそうですよ」
「……そっか」
「ルミさんが気にすることは何もありませんよ。
今はよく寝て、元気になることだけを考えていればいいんです」
ほわり、とミンメイは安心させるようにルミに笑いかける。
見ていて心が和むような、そんな笑顔だ。
少しだけ、気持ちが楽になった。
「……ありがとう」
お礼と共に、ルミも精一杯の笑みを返した。
外見はルミよりも年下に見えるミンメイだけれど、やはり中身はルミよりもお姉さんだ。
傍にいるとなんだか無性に甘えたくなってしまう。
もう十八になったのに、子どもみたいで恥ずかしくて、そんなことは言えないけれど。
「ご飯は食べられそうですか?」
「少し、なら」
ルミが答えると、ミンメイはよかった、とまた笑った。
ミンメイの手を借りて少し上体を起こし、背中にクッションを入れて寄りかかれるようにしてくれた。
これなら普通に起き上がるよりもだいぶ身体が楽だ。
自力では身体を支えられないほどに、今のルミは弱りきっていた。
「どうぞ、おかゆです」
ごくごく普通の卵がゆは、ルミが量を食べられないことをわかっているからか、片手で持てるお椀サイズの皿に軽くよそってあった。
何度か息を吹きかけてから口に運ぶと、ちょうどいいあたたかさだった。
「おいしい……」
何か隠し味があるようにも思えないのに、おかゆはとてもおいしかった。
味つけが優しくて、心がほっと休まる。
そこにミンメイの気遣いが込められているからなのかもしれない。
自分で作ってもこの味は出せないような気がした。
黙々と食べながら、母は料理が苦手だったな、とふと思い出す。
大切に大切に育てられたために、料理に限らず家事を自分でしたことがなかったのだ。
父と結婚してからがんばって色々と覚えたそうだが、料理だけは駄目だった。
使用人もなんだかんだで母を甘やかすものだから、一向に上達する気配がなかった。
もちろん純血の吸血鬼として、料理をする必要などなかったのだけれど。
母には母の、理想の母親像というものがあったらしい。
どうしたら炭にならないのかしら、と悩んでいたことを覚えている。
そんなことを考えていると、つぅ……と頬をつたうものがあった。
「ルミさん!? どうなさったんですか?」
「ご、ごめっ……」
驚きを露わにするミンメイに、ルミは反射的に謝った。
けれど言葉がつまって出てこない。
ぽろぽろと次々にこぼれてくる涙が、発声の邪魔をする。
きっと、母のことを思い出していたからだろう。
懐かしくて、懐かしすぎて。愛おしい記憶に胸がいっぱいになって、あふれてきてしまったのだ。
「いいえ、わたしこそ、ごめんなさい。
やっぱり、わたしではアケヒさんの代わりにはなれませんね」
穏やかで、けれど少し寂しげな声音で、ミンメイは言った。
ルミのものよりも華奢な手が、そっとルミの頭をなでる。
優しい手つきに心は癒されていくのに、これじゃない、とも思ってしまう。
ルミが求めている手は、もっと大きくて、もっと硬くて、でも誰のものよりも優しい。
アケヒの手が、恋しかった。
「そんな、こと」
ない、とは言えなかった。
どうしたって、ルミにとってアケヒは特別で。誰かが代わりになるわけもなくて。
ミンメイはルミを心配してくれていて、その気持ちはとてもうれしいけれど。
今、アケヒの手を求めてしまっているように。
他の誰かでは、アケヒ以外では、ルミの寂しさは埋めようがないのだ。
そう、ルミは気づいてしまった。
「今はゆっくり休んでください。
寝るまでずっと、こうしていますから」
背中に挟んでいたクッションを取り、ミンメイはルミを横たえさせた。
布団の上から、ぽんぽんと軽く腹のあたりで手を弾ませながら、優しい声をかけられる。
ミンメイは本当に優しくて、いい人だ。
そんな彼女を困らせるようなことしかできなくて、申し訳なくなる。
気にしなくていい、とミンメイなら言うのだろうけれど。
リズミカルな振動に、まぶたが自然と落ちていく。
過去を思い出すことに頭を使っているせいか、寝ても寝ても寝足りるということはなかった。
眠りの気配に、ルミは素直に身を任せる。
次に目を覚ましたときは、そこにアケヒがいればいい、と思った。