24.代わりはどこにもいない

 繰り返し繰り返し、しあわせな夢とつらく悲しい夢を見て。
 夢から覚めると、夢よりもしあわせな現実が待っていた。
 アケヒは今までが嘘のように優しくて、甘くて。
 ルミのことを、まるで恋人のように扱ってくれた。
 以前見た夢よりも甘いキスを、何度も何度も、数えきれないほど与えてくれた。
 痛みを和らげるためのキスだとしても、ルミはうれしかった。
 アケヒから触れてくれるのが、とてもうれしかった。



 その日、目を覚ましたルミの眼前に顔を出したのは、アケヒではなかった。
 薄ぼんやりした視界で、アケヒのものではない色を捉えた。

「あ、起きましたか?」

 一瞬警戒したルミにかけられたのは、のんびりとした女性の声。
 聞き覚えのあるそれに、ルミは目をぱちぱちとさせた。

「……あれ? ミンメイ……さん?」
「はい、ミンメイです」

 だんだんと見えるようになってきた目は、微笑む少女を映した。
 淡い栗色の髪に、深い緑の瞳。やわらかな表情。
 間違いなく、ハルウのつがいであるミンメイだった。

「どうして……?」

 ルミは寝起きのかすれた声で問いかける。
 ハルウの城にいるはずのミンメイが、なぜアケヒの家にいるのだろうか。
 まだ思考が回らない頭では、答えが見つからなかった。
 なんにせよ、客の前で寝たままはよくないと思い、上体を起こそうとするが身体に力が入らない。
 そんなルミをミンメイは押しとどめた。

「起き上がらなくてけっこうですよ。
 楽にしていてください」

 ぐっとルミの肩を押さえつける力は、思っていたよりも強かった。
 言われたとおり、起き上がることはあきらめた。
 目が覚めたばかりで身体は言うことを聞かないし、無理に起きては頭痛がひどくなるだけなので、正直助かった。

「わたしがここにいるのは、アケヒさんに頼まれたからです。
 仕事のほうで、どうしても外せない用事があるから、今日一日ルミさんについていてあげてほしいって」

 おとなしく横になったルミに、ミンメイは彼女がここにいるわけを説明してくれた。
 言われてみれば、家の中からアケヒの匂いがしない。
 今、アケヒは出かけているのだと、ここにはいないのだと、ようやく気づいた。

「……そういえば、仕事、休ませちゃってた……んだよね」

 ほとんど寝てばかりいたから、そこまで気が回らなかった。
 ずっとルミについていたということは、仕事に行く暇はなかったということだ。
 ルミのせいで、アケヒに仕事を休ませてしまった。
 負担になどなりたくはなかったのに、迷惑をかけている。
 沈んでいく気持ちをどうすることもできなかった。

「いつも真面目に仕事していた分、まとまった休みをもらえたそうですよ」
「……そっか」
「ルミさんが気にすることは何もありませんよ。
 今はよく寝て、元気になることだけを考えていればいいんです」

 ほわり、とミンメイは安心させるようにルミに笑いかける。
 見ていて心が和むような、そんな笑顔だ。
 少しだけ、気持ちが楽になった。

「……ありがとう」

 お礼と共に、ルミも精一杯の笑みを返した。
 外見はルミよりも年下に見えるミンメイだけれど、やはり中身はルミよりもお姉さんだ。
 傍にいるとなんだか無性に甘えたくなってしまう。
 もう十八になったのに、子どもみたいで恥ずかしくて、そんなことは言えないけれど。

「ご飯は食べられそうですか?」
「少し、なら」

 ルミが答えると、ミンメイはよかった、とまた笑った。
 ミンメイの手を借りて少し上体を起こし、背中にクッションを入れて寄りかかれるようにしてくれた。
 これなら普通に起き上がるよりもだいぶ身体が楽だ。
 自力では身体を支えられないほどに、今のルミは弱りきっていた。

「どうぞ、おかゆです」

 ごくごく普通の卵がゆは、ルミが量を食べられないことをわかっているからか、片手で持てるお椀サイズの皿に軽くよそってあった。
 何度か息を吹きかけてから口に運ぶと、ちょうどいいあたたかさだった。

「おいしい……」

 何か隠し味があるようにも思えないのに、おかゆはとてもおいしかった。
 味つけが優しくて、心がほっと休まる。
 そこにミンメイの気遣いが込められているからなのかもしれない。
 自分で作ってもこの味は出せないような気がした。

 黙々と食べながら、母は料理が苦手だったな、とふと思い出す。
 大切に大切に育てられたために、料理に限らず家事を自分でしたことがなかったのだ。
 父と結婚してからがんばって色々と覚えたそうだが、料理だけは駄目だった。
 使用人もなんだかんだで母を甘やかすものだから、一向に上達する気配がなかった。
 もちろん純血の吸血鬼として、料理をする必要などなかったのだけれど。
 母には母の、理想の母親像というものがあったらしい。
 どうしたら炭にならないのかしら、と悩んでいたことを覚えている。
 そんなことを考えていると、つぅ……と頬をつたうものがあった。

「ルミさん!? どうなさったんですか?」
「ご、ごめっ……」

 驚きを露わにするミンメイに、ルミは反射的に謝った。
 けれど言葉がつまって出てこない。
 ぽろぽろと次々にこぼれてくる涙が、発声の邪魔をする。
 きっと、母のことを思い出していたからだろう。
 懐かしくて、懐かしすぎて。愛おしい記憶に胸がいっぱいになって、あふれてきてしまったのだ。

「いいえ、わたしこそ、ごめんなさい。
 やっぱり、わたしではアケヒさんの代わりにはなれませんね」

 穏やかで、けれど少し寂しげな声音で、ミンメイは言った。
 ルミのものよりも華奢な手が、そっとルミの頭をなでる。
 優しい手つきに心は癒されていくのに、これじゃない、とも思ってしまう。
 ルミが求めている手は、もっと大きくて、もっと硬くて、でも誰のものよりも優しい。
 アケヒの手が、恋しかった。

「そんな、こと」

 ない、とは言えなかった。
 どうしたって、ルミにとってアケヒは特別で。誰かが代わりになるわけもなくて。
 ミンメイはルミを心配してくれていて、その気持ちはとてもうれしいけれど。
 今、アケヒの手を求めてしまっているように。
 他の誰かでは、アケヒ以外では、ルミの寂しさは埋めようがないのだ。
 そう、ルミは気づいてしまった。

「今はゆっくり休んでください。
 寝るまでずっと、こうしていますから」

 背中に挟んでいたクッションを取り、ミンメイはルミを横たえさせた。
 布団の上から、ぽんぽんと軽く腹のあたりで手を弾ませながら、優しい声をかけられる。
 ミンメイは本当に優しくて、いい人だ。
 そんな彼女を困らせるようなことしかできなくて、申し訳なくなる。
 気にしなくていい、とミンメイなら言うのだろうけれど。

 リズミカルな振動に、まぶたが自然と落ちていく。
 過去を思い出すことに頭を使っているせいか、寝ても寝ても寝足りるということはなかった。
 眠りの気配に、ルミは素直に身を任せる。


 次に目を覚ましたときは、そこにアケヒがいればいい、と思った。



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