18.誰にも言えない

 右の手のひらに出現させた炎を、一メートルほど離した左手へと投げる。
 左手で受け取った炎に、今度は右手をかざし、そのまま赤々と燃えるそれを左右に引き伸ばす。
 燃える縄を両手で持っているように見えなくもない。
 一度深呼吸をして息を整えてから、両手を振る。
 すると、炎はまるで最初から存在していなかったかのように、あっけなく掻き消えた。
 はぁ、とルミは大きく安堵の息を吐いた。

「だいぶ制御が上手になったな」

 パンパン、という拍手の音にルミは顔を上げる。
 指導役であるハルウが笑みを浮かべていた。

「そう、なのかな? 自分ではよくわからないんだけど」

 ハルウがお手本を見せてくれたときは簡単そうに思えたのに、自分で魔力をコントロールするのはとてつもなく神経を使う作業だった。
 いまだ、手のひらに収まるくらいの魔力しか、意のままに操ることはできない。
 一人前の吸血鬼への道のりは、まだまだ遠い。

「魔力を使えないのと使えるのとではまったく違う。
 こうして力を扱えるようになったのだから、あとはもう慣れの問題だ」

 ハルウはそう励ましの言葉をかけてくれた。
 その言葉をすべて鵜呑みにすることはできないが、少しだけ気は晴れてくる。
 基本的に単純なルミは、褒められればうれしいし、もっとがんばろうとも思う。
 褒めて伸ばすタイプのハルウは、ルミの先生役に向いているようだ。

「俺を十として、以前のルミを一としたなら、今は七の状態まで来ている」
「そう言われるとすごい気がしてくる」

 折り返し地点はすでに過ぎているらしい。
 それならあとひと月かふた月もすれば、十にたどり着くだろうか。

「出会ったころのルミは、不安定な魔力が体内からあふれ出ていた。己の力を制御できていないのだと、一目見てわかるほどに。
 アケヒが一人で出歩かせなかったのは、そのせいもあるだろう」

 ハルウの言葉に、この世界に来てすぐのころを思い出す。
 アケヒの言うことを聞かずに一人で外に出たルミは、人さらいにあいそうになった。
 あのときのルミには自分の身を守るすべなど何もなかった。
 それが一目でわかってしまうというのは、たしかに危なっかしい。

「普通、成体の吸血鬼に手を出そうとする魔族はいない。返り討ちにあうからな。
 けれどルミの場合はそうではなかった。
 ルミは子どもの吸血鬼と同じようなものだったんだ」

 子ども、か。
 ルミは自分の手に目を落とす。
 吸血鬼には成人という概念がない。
 己の身のうちの魔力を制御することができるようになれば、大人扱いになるそうだ。
 それならようやく制御ができるようになってきたところというルミは、まだ大人とは言いきれないのだろう。
 ……アケヒに相手にされないのも、当然かもしれない。

「少しはマシになったんならよかった。
 そろそろ記憶も戻せそう?」

 ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
 魔力の制御の仕方を習うのは、必要なことだからというのもあったけれど、記憶を元に戻すという目的があるからでもあった。
 魔界にいたころの記憶を思い出すことができれば、今よりももっと魔界になじむことができるような気がする。
 何よりも、今は亡き両親を思い出したいのだ。

「暗示を被せれば、封印は解けるとは思うが。
 ……まったく、思い出していないのか?」
「どういうこと?」

 訝しげに確認してくるハルウに、ルミは問い返した。
 記憶の封印は、ルミの魔力が安定し、自分で制御できるようになってから解いてもらうのだと思っていた。
 そうではなくて、自然と思い出していくものだったのだろうか。

「本来、同じ吸血鬼に暗示をかけるのは、高位の吸血鬼であっても難しいことだ。
 ルミの記憶を封じることができたのは、ルミがそのとき幼かったからだろう。
 力を扱えるようになれば、暗示は弱まるものと思っていたんだが……」

 困ったような顔をするハルウに、ルミも困ってしまう。
 吸血鬼にとっての常識を知らないルミには理解しにくいが、ハルウにとっては当然のことのようだ。

「なんにも思い出してないよ?」

 身に覚えのないルミは、そう答えるしかない。
 思い出していたなら、すでにハルウに報告している。
 両親の顔も、五歳までの自分も、何も思い出せてはいない。

「たとえば、夢に見たりだとか」
「夢……」

 ぱっと思い浮かんだのは、最近頻繁に見ている艶めかしい夢だった。

「身に覚えがあるのか?」
「や、全然違う夢だから! 関係ないから!」

 大きく両手を振って否定する。
 あれはルミの願望が見せた夢だ。過去の記憶のはずがない。
 今と同じルミと、今と同じアケヒが出てくるのだから。

「関係ないかどうかはわからないだろう。
 夢というものは基本、とりとめのないものだ。そこに過去の記憶の断片が混じっている可能性がある」
「ないないない! そういうんじゃないから!」
「何を根拠にそう強く否定するんだ」

 ハルウは納得がいかない様子だ。
 それはそうだろう。ルミだってこんな否定の仕方では余計に気にかかってしまうだけだとわかっている。
 けれど、他にどう否定しろというのだ。
 アケヒにキスされまくる夢を見ていると、正直に話せと?

「ほんと、勘弁して……」

 困りきったルミは、思わずそうつぶやきをこぼしてしまった。
 夢を思い出してしまい、赤くなっているだろう頬を隠すためにうつむいた。

「ルミ?」

 ハルウは不思議そうにルミの顔を覗き込んできた。
 城からほとんど出ず、交友関係が限られているせいか、ハルウは人の感情の機微に疎いところがあるように思える。
 もう少し、デリカシーというものを持ってほしいものなのだけれど。
 どうごまかせばいいのか、ルミは思考を巡らせる。

「アケヒが、出てくるだけなの。
 最近、毎日のように。
 あたし、本当にアケヒが好きすぎるみたいで、恥ずかしくて……」

 あいまいに言葉をにごしながら、どうにか説明することができた。
 アケヒへの想いを口にするのは恥ずかしいけれど、夢の内容を詳しく話すよりはまだマシだ。

「……アケヒが?」
「もう、夢の話はおしまい!」

 大きな声を出して、強引に話を終わりにさせた。

「いや、待て、ルミ。
 最近どんな夢を見ているんだ」
「内緒!!」
「だが……」
「ハルウさんしつこい!」

 ルミはピシャリとハルウの言葉を封じる。
 なぜかはわからないけれど、ハルウはルミの夢の内容が気になるらしい。
 過去の記憶とは関係ない夢なのだから、放っておいてくれればいいのに。
 どうせ夢は夢でしかない。
 夢の中でつけられたキスマークが、現実では残っていないように。
 ただの幻を、気にすることはないではないか。

 なおも詳しく聞こうとするハルウを無視して、ルミはきびすを返した。
 そろそろ夕食の準備が整っている時間のはずだ。
 扉の前まで来てから、まだその場から動こうとしないハルウを振り返る。

「もう今日の特訓は終わりでいいよね? 夕ご飯が待ってるよ」

 それだけ言って、ハルウを残してルミは部屋を出ていった。
 呼び止められたような気がしたけれど、気づかなかったふりをした。
 あれ以上、ルミに説明できることはない。
 問いつめられても、本当のことなんて話せるわけがない。


 夢の内容は、ハルウにもミンメイにも、もちろんアケヒにも、誰にも言えない。



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