ルミの特訓が終わり、彼女を迎えに来たアケヒも交えて夕食を取り。
後片づけをするミンメイを手伝うためにルミが席を外し、ハルウとアケヒは二人きりになった。
他の使用人もちょうど近くにはいない。大きな声さえ出さなければ、誰にも聞かれることはないだろう。
話すなら今だ、とハルウは口を開いた。
「アケヒ。一つ、確認したいことがあるんだが」
「あ? なんだよ、ダンナ」
アケヒは不思議そうにこちらに視線を向ける。
ハルウが何を言おうとしているのか、まったく見当がつかないとばかりの様子だ。
自分の思い違いなのだろうか、とハルウは怯みそうになる。
けれど、アケヒは本心を隠すのが得意だとハルウは知っていた。
彼女のためにも、確かめてみる必要はあるはずだ。
「ルミの夢に入っていないか?」
ハルウの問いかけに、アケヒはかすかに眉をひそめた。
それは、言っていることの意味がわからない、というたぐいのものではなかった。
むしろ、図星を指されたがゆえの動揺を表しているように、ハルウには見えた。
「……アイツから、なんか聞いたのか」
冷たい氷の色の瞳が、スッと細められる。
見ようによっては威圧するような表情だが、種族的にも魔力的にも上位のハルウには通用しない。
視線をそらすことなく受け止め、ハルウは首を横に振る。
「お前の夢を見るということしか聞いていない。
だが、その時の様子が少しおかしかった」
顔を真っ赤にしたり、言葉をにごしたり、強引に話を切り上げたりと。
明らかに何か隠したいことがあったのだと見て取れた。
もし、アケヒがルミの夢に干渉しているとしたら。
アケヒは、淫魔だ。
ルミがあれほどまでに動揺するようなことを、夢の中で行っている可能性がある。
淫魔というものは、現実世界とは理の違う、もう一つの世界を支配している。
夢の中は、淫魔の世界。彼らが何にもとらわれず自由に過ごすことのできる世界。
夢の中で淫魔に敵う者などいない。彼らは自分の夢だけでなく、触れた相手の夢に入り込み、好きなように作り変えることもできる。
竜族や吸血鬼など、魔力の高い者は防衛本能に優れているため、無意識下の夢にも淫魔を寄せつけない。
けれど、ルミはまだ自分の魔力を完全には使いこなせていない。
淫魔の中でも力のあるアケヒなら、今の彼女の夢に入り込むことは不可能ではないだろう。
「ルミは俺が唯一、しがらみにとらわれることなく接することのできる血縁だ。
今や、俺にとって妹のような存在になっている。
もしお前が淫魔の能力を悪用しているのなら、俺はルミの兄として……お前の友人としても、止めなければならない」
低く静かな声で、獲物を追いつめる獣のような鋭い視線を向けながら言葉を紡ぐ。
ハルウはそれほど迫力のある顔立ちをしていないし、身体つきもほっそりとしていて中性的。アケヒと比べるまでもなく、男らしさに欠けるのは自分でもわかっていた。
それでも、力ではハルウのほうが数段上を行く。精神的に圧力をかけることはそう難しいことでもない。
もしアケヒが言い渋るようであれば、あまり使いたくない手段ではあるが、暗示をかけることで真実を聞き出すこともできる。
「悪用はしてない、と思う」
そのあいまいな言いように、ハルウはきつくアケヒを睨みつけた。
ごまかそうとしているなら容赦はしない、と言うように。
そんなハルウに、アケヒは苦笑してみせた。
自嘲的なものにも見える、弱々しい笑みだった。
「……オレもさ、あんまうまいやり方じゃねぇのは、わかってんだよな。
けど、できることがあるならしてやりたいって思っちまうんだよ」
彼らしくもない、情けなさすら感じる表情と声音。
嘘を言っているようには聞こえなかった。
「どういうことだ?」
「アイツ、記憶を取り戻しかけてんだよ。夢ん中で追体験してる」
思いも寄らない言葉に、ハルウは目を見開く。
たしかに、そろそろそうなってもおかしくはないということはわかっていた。
けれど、ルミの様子がいつもどおりだったために、もう少し先のことだろうと思い込んでいた。
まさか、すでに記憶の封印が解けかかっていたとは。
ハルウの想像以上に、ルミは成長していたらしい。
「ルミは思い出したがっている。なぜその邪魔をする?」
ハルウは訝しげに問いかける。
たった五年間でも、魔界にいたときのことを思い出したいと。特に、両親のことを思い出したいと、ルミは何度も言っていた。
ルミの望みは、アケヒも聞いているはずだ。
たとえその記憶がつらく苦しいものであったとしても、同時に大切なものでもあるだろう。
せっかく思い出そうとしているのに、それを妨害するなど理屈が通らない。
「ずっと封印されてた記憶を思い出すんだ。どうやったって負担かかるだろ。
なら、同じ思い出すんでも、少しでも先延ばしにしたほうが、吸血鬼の力が強まってる分マシなんじゃねぇかって」
朱金の髪を掻き回しながら、アケヒは言う。
その言葉で、アケヒの行動の理由がようやくわかった。
記憶を取り戻すとき、数日は苦しむことになろうだろうということは、事前にルミに伝えてあった。
何しろ、十年以上も忘れられていた、五年分の記憶だ。
それを一気に思い出して、身体に負担がかからないわけがない。
だんだんと吸血鬼の力の制御を覚え、吸血鬼らしい感覚や能力を取り戻してきているルミであっても、きっと寝込むことになる。
「それは、そうだろうが……今のままで行けば、いずれ夢に干渉することはできなくなるぞ」
「わかってる。魅了だって、前と比べるとかかりにくくなってるからな」
完全に魔力差依存の吸血鬼の暗示と違い、淫魔の使う魅了の能力は、相手との力関係が影響しにくい。
たとえ相手が最強と呼ばれる竜族であっても、完全に魅了が効かなくなるということはない。例外は魔王のみ。
それでも、魔力差があれば多少効きがかわってくるものらしい。
アケヒがそれを体感するほどに、ルミは吸血鬼としての力が増しているということだ。
ならば……。
「どちらにしろ、ルミにかけられている封印は近いうちに解けるだろう。
先延ばしにしたところで、負担はそれほど変わりはしない」
冷たくも聞こえるかもしれない事実を告げる。
アケヒの力で引き延ばせるのは、淫魔の能力が及ぶ範囲までだ。
ルミの力は未知数。ハルウほどではないにしろ、彼女も強大な魔力を秘めていることは、血筋からして間違いない。
淫魔の力程度で、純血者の血を引く吸血鬼を制することができるわけがない。
夢を操るアケヒを破り、ルミが記憶を取り戻すのは、もうまもなくのことだろう。
「……オレが、見たくないだけかもな。アイツが苦しむ姿を」
ぽつりと、アケヒは小さな声でつぶやきを落とす。
内に隠れた葛藤がにじみ出ているような、そんな力ない声音。
いつも自分のペースを崩さないアケヒらしくない様子に、ハルウは驚いた。
同情や義務感などではなく、アケヒはアケヒなりに、ルミのことを考えて行動しているようだ。
ハルウとの血のつながり以上に深い、二人の間にある絆を感じさせた。
記憶を取り戻す際の苦痛は、ルミも承知の上だ。
それがどんなものであれ、思い出せないよりはいいと彼女ははっきりと言いきった。微笑みすら浮かべながら。
だから、心配する気持ちはあれど、早く思い出せればいいとハルウは願っている。
けれどアケヒは、本人の希望であっても納得できないのだという。
ただの対症療法でしかないとわかっていても、夢を操作するほどに。
ルミの苦しむさまを見たくない、と。
それは……アケヒにそう思わせるものは、なんなのだろうか。
アケヒは口は悪いが情に厚い。ルミを助け、面倒を見ていることも、アケヒらしいと思っていた。
が、もしかしたら……自分は思い違いをしていたのかもしれない。
「アケヒは、ルミのことが好きなのか?」
「直球だなぁ、ダンナは」
ハルウが問いかけると、アケヒはククッと笑みをもらした。
笑うようなことは聞いていないだろうに。
ハルウは限られた者としか交流がなかったために、他人の感情を読み取ることが苦手だ。
以前ミンメイに指摘されて、初めて気づいたことだった。
気をつけようとすればするほど臆病になって、すれ違っていってしまう。
わからないことがあれば、知りたいことがあれば、一人で悩まずに聞いてください。と過去にミンメイは言った。
それからハルウは、どんなことでも勝手に決めつけてしまわずに、相手に気持ちを尋ねることにしている。
「今はまだ、保留ってことで」
アケヒはニヤリと口元に笑みを吐く。
彼が何を考えているのか、ハルウにはわからなかった。
元より、人を煙に巻くことが得意なアケヒだ。正直に答えてはもらえないだろうという気はしていた。
付き合いは長いが、アケヒのすべてを理解するのは無理なのではないかと思うことがある。
ルミがアケヒを好きだと知ったとき、いい趣味をしている、とハルウは言った。
それは今でも同じ気持ちだけれども。
相手は強敵だぞ、と妹のような少女に同情したくなった。