17.夢の中の自分と現実の自分

 白に淡い色の混じった、狭いのか広いのかもわからない空間。
 響くのは二人分の呼吸音だけ。
 これはルミの夢だ。
 あれから何度も、ルミは同じ夢を見ていた。
 いや、厳密には同じ夢ではない。
 夢はどんどんヒートアップしていっているから。

 夢の中で、ルミは数え切れないほどアケヒとキスをした。
 アケヒのキスは優しくて、けれど激しい。
 息が苦しくなっても逃がしてもらえず、奥で縮こまらせていた舌はすぐに絡め取られてしまう。
 唇を甘噛みされたり、歯列をなぞられたり、舌を吸われたり、唾液を飲み込ませられたり。
 軽いキスから深いキスまで、まるでルミに一からやり方を教え込むように、アケヒはキスを繰り返した。
 アケヒしか知らないルミは、彼の口づけが普通なのかどうかも判断できなかった。

「……ん、アケヒ……っ」

 口づけの合間に、名前を呼ぶ。
 そうすると、アケヒの水色の瞳に灯る熱が増すから。
 恥ずかしさは、夢の中だからなのかほとんど感じない。
 ないわけではないけれど、それよりも、もっとと求める気持ちのほうが強い。
 どうせ夢なら、もっとアケヒと触れ合いたい。もっとアケヒを感じたい。
 そんな、貪欲な女の本性が顔を出す。

 口づけを交わしながら、アケヒはルミの肩をつかんで後ろに倒す。
 床に背中を押しつけられても、夢だからか硬いのかどうかもよくわからない。痛くないことはありがたい。
 仰向けになったルミの上にアケヒは覆い被さってくる。
 真上から降ってくる唇に、吐息も何もかも奪われた。
 口と口が離れたら死んでしまうとばかりに、呼吸以外はずっとキスを交わしているような気がする。
 アケヒはキスが好きなんだろうか。
 いや、これはルミの夢だ。
 つまりは、自覚がないだけで、キスが好きなのはルミのほうなのだろう。

 口から離れたアケヒの唇が、ルミの頬に落とされる。
 ついで、鼻先、額、耳へと軽く触れ、耳たぶを舐められた。
 この間に息を整えてしまおうと思うのに、止まらないいたずらによりそれも難しい。
 夢の中でアケヒから与えられるキスは、唇に限らなかった。

「やっ……」

 首筋を唇でなぞられ、思わず声がもれる。
 ぞわりとたしかな快感が背を走って、身体が震えてしまう。
 ちゅ、ちゅ、と音を立てながら、アケヒの唇は少しずつ下へと下っていく。
 鎖骨までたどり着いたところで、強く吸いつかれた。

「っ、んん……っ!」

 痛いような、気持ちいいような、その刺激に声が我慢できなかった。
 自分のものではないような高い声に、戸惑いを覚えながらもどうしようもできない。
 だって、心はアケヒを欲してしまっている。
 もっともっと触れてほしいと、願ってしまう。
 たとえ夢の中だけだったとしても、これがただの虚構なのだとしても。
 こうしてアケヒに求められることが、うれしいと思ってしまう。

 涙を我慢するルミを追いつめるように、アケヒはそこかしこに痕をつけていく。
 首筋から肩、胸の上のほうにまで。
 夢の中ではたしかに赤く主張しているそれらは、目が覚めれば消えてしまうのが寂しい。
 結局はただの夢でしかないのだと、ルミに知らしめているようだ。

「アケヒ、好き……」
「ああ、知ってる」

 口からこぼれた告白に、返ってきたのはつれない言葉。
 ルミが何度好きと告げても、夢の中のアケヒはいつもそればかりだ。
 どうせ夢なのだから、「オレも」くらい言ってくれてもいいのに。
 それでも、アケヒは? とは怖くて聞けない。
 夢から覚めてしまいそうで。
 現実を突きつけられてしまいそうで。
 少しの間だけでもいいから、夢でもいいから、アケヒの熱を感じていたいルミは口をつぐんだ。


  * * * *


 朝食を食べているとき、ふわぁ、と大きなあくびが聞こえた。
 顔を上げると、向かいに座っているアケヒが大口を開けていた。
 よっぽど眠いのか、目の端に涙までためている。

「アケヒ、寝不足?」

 ルミが問いかけると、アケヒは目をこすりながらこちらを向いた。
 その顔からしてすでに眠そうだ。

「いや……まあ、そんなもん」
「どっちよ」
「どうでもいいだろ」

 そう言って、また一つあくびをする。
 朝食を食べる速度も、いつもよりも心持ち遅い気がする。
 ここ数日、アケヒの様子が少しおかしいとは思っていたけれど、今日は特に顕著だ。
 なんというか、普段と比べると動作がのろのろとしている。
 身体に異常が出るほどに、眠気がたまっているように見えた。

「最近、ちゃんと眠れてないの?
 調子悪いなら無理しないほうがいいんじゃない?」

 心配になって、ルミは朝食を食べる手を止めて追求する。
 意外と真面目なアケヒは、今日も仕事に行くのだろう。眠い目をこすりながら。
 ルミが代わりに行くことができたなら、アケヒを休ませてあげられたのに。
 こうして気を揉むだけで、何もできない自分が歯がゆい。

「無理なんてしてねぇよ。別に調子も悪くない」
「なら、いいんだけど」

 アケヒがそう言うのなら、これ以上ルミは何も言えない。
 朝食を再開しながらも、ちらちらとアケヒの様子を確認してしまう。
 アケヒは眠れていないことまでは否定しなかった。
 ということはやっぱり、寝不足なのはたしかなようだ。
 寝ないでパソコンや他の機器類でもいじっているのだろうか。
 一つのことに熱中すると食事を忘れるアケヒならありえることだ。

「オマエはよく眠れてるみたいだな」

 アケヒの言葉に、ルミはむせそうになってしまった。
 以前、夢見が悪いと言ったことを覚えてくれていたらしい。
 心配してくれるのはうれしいけれど、今はあまり触れてほしくない話題だ。

「う、うん……」

 ……おかしな夢は見るけれど。
 とまでは言うことができなかった。
 何しろ、おかしな夢の登場人物は他でもないアケヒなのだから。
 不思議なことに、悪夢を見ていたときは起きるとほとんど何も覚えていなかったのに、最近よく見るおかしな夢は、鮮明に記憶に残っている。
 恥ずかしいから、いっそのことすべて忘れてしまえればいいのに。
 夢の中でのアケヒのぬくもりを思い出して、勝手に頬が熱くなっていく。

 目が覚めたとき、ルミは恥ずかしいと共に情けなくなる。
 普段は隠している自分の欲求に気づかされて。
 あんなふうにアケヒに求めてほしい、とルミはたしかに思ってしまっているのだ。
 ただの夢だとわかっていながら、キスにおぼれてしまいそうになる自分がとてつもなく嫌だ。
 現実での理性は、どうやら夢の中までは持っていけないらしい。

 あんな夢を見るのは、アケヒへの想いをくすぶらせているせいなのだろう。
 告白することもせずに、いつかこっちを見てと願うだけ。
 そんな、ルミの行き場のない想いが、あの淫らな夢を見せているのだ。
 そうわかっていても、ルミはまだアケヒに告白しようとは思えない。
 アケヒに寄りかかってばかりの自分では、アケヒに釣り合わない。
 もう少し、自分で自分のことができるようになってから。
 せめて、吸血鬼としての力を扱えるようになってからでないと。
 ハルウに太鼓判を押してもらえたら、その時は。


 その時は……ルミはこの想いを告げることができるのだろうか。



前話へ // 次話へ // 作品目次へ