ハルウに魔力の扱い方を教わるようになって、三ヶ月が過ぎようとしていた。
その間にルミは一つ年を取り、十八歳になった。
ハルウが調べてくれたおかげで、ルミは自分の正確な誕生日を知ることができた。ルミは春生まれだったようだ。
魔界にも人界と変わらない暦がある。どうせなら本当の誕生日に年を取りたい。
その願いを受け、ルミの十八歳の誕生日は、ハルウのつがいであるミンメイの提案で、ハルウの城でささやかなパーティーが開かれた。
誕生日パーティーなら、施設でだって開いてもらっていた。月に一度、数人まとめてだったけれど。
生まれた日のわからないルミは、好きな月にしていいと言われてなんとなく八月を選んだ。唯一覚えていた名前からのイメージだろう。
自分で決めた誕生月に祝われて、うれしくなかったわけではないが、ずっと奇妙な感じがしていた。
その違和感が、本当の誕生日を知ることで払拭された。
魔界に来たことで、ルミはまた一つ自らのことを知り、喜びを得ることができたのだ。
そんなことがありながらも、変わらず日々は過ぎていく。
毎日の家事。だいたい週に一度の訓練。
アケヒへの恋心も、ふくらんでいくばかり。
あの夜の口づけの意味は、今もわかっていない。
どうせからかっただけなのだろうと、ルミは勝手に結論を出しているものの。
アケヒが意地悪なのはいつものことだ。
真面目に受け取るだけ、あとで泣きを見る。
期待してはいけない、と自分に言い聞かせることしか、ルミにはできなかった。
「訓練のほうはどうですか?」
今日はハルウに魔力の扱い方を習う日。
あまり根を詰めてもよくないといつものように休憩を取っていると、紅茶とお茶菓子を持ってきたミンメイが尋ねてきた。
魔力のない人間であるミンメイは、ルミの訓練に興味を抱いているようだ。
「まあまあ、かなぁ」
ルミは眉を八の字にさせ、あいまいな答えを口にした。
今はもう、魔力を感じることは当然のようにできる。目を閉じなくても、家事をしながらでも、自らの体内にある魔力の巡りを感じ取ることができる。
ずっと人間だと思い込んでいたルミにとってはそれだけでもすごいことなのだが、ハルウに言わせれば、やっと第一段階を突破したところ、なのだという。
魔力は感じ取るだけでは扱えない。
まずは力を練り上げ、それを思い描いたとおりに発現させるために制御する必要もある。
まだまだ先は長い。くじけたりはしないが、たまに途方に暮れたくなるときがある。
根気強く付き合ってくれるハルウには、足を向けて寝られないと思う。
「ルミはがんばっている。
三ヶ月前まで魔力の扱い方を知らなかったとは思えないほどに成長しているぞ」
「そう? 無駄になってなければいいんだけど」
成長というものは自身ではあまりよくわからないものなのかもしれない。
褒められるのは素直にうれしかったので、ルミは自然と笑顔になった。
「ルミだって体感しているはずだろう。
急に血が足りなくなることはなくなったはずだ」
「そうだね、だいたいわかるようになったよ。
血が必要になること自体減ってきてるし」
ハルウの言うとおり、彼に指導を受けるようになってから、アケヒの手をわずらわせる機会が急激に減った。
少し前まですぐに倒れたり気分を悪くしていたことが嘘のようだ。
今は、血が足りなくなってくれば、だいぶ余裕のあるうちに気づくことができる。
そもそも血の摂取量自体、前と比べると明らかに減っていた。
以前は月に何度も血をもらっていたというのに、今では一月に一度ほどで足りるようになった。
「それこそが成長の証だ。
本来吸血鬼という種族は、それほど頻繁に血を必要とはしない」
「ちゃんと成果が出ていて、よかったですね、ルミさん」
「うん、これからもがんばるよ」
ハルウに微笑みかけられ、ミンメイに朗らかな笑みを向けられ、ルミも笑みを返した。
成長に気づいて、褒めてくれるのがうれしい。一緒に喜んでくれることがうれしい。
心があたたかくなっていくのを感じる。
訓練は慣れないことばかりで大変だけれど、本気でがんばろうと思った。
和やかな空気のまま、簡易的なお茶会は続く。
ミンメイはお茶を入れるのも上手で、家で飲むのとは味が違うような気がした。
お茶菓子は、クッキーとマフィン。どちらもミンメイの手作りらしい。
クッキーはプレーンとココアの二種類で、マフィンはバナナマフィンだ。
バナナマフィンの優しい甘さに、思わず頬がゆるむ。
「それにしても、ミンメイさんってほんとに料理上手だよね。
このマフィンとか、ふわふわですごくおいしい」
ミンメイは童顔で愛らしく、ほんわかとした雰囲気をまとっていて、癒し系の素敵な女性だ。若々しくて、とても二十三歳には見えない。
清楚な性格。優しげな微笑み。柔らかい声音。穏やかな物腰。極めつけに家事全般が完璧とくれば、理想のお嫁さんとはこういう人のことを言うのだと思い知らされる。
ないものねだりかもしれないが、うらやましいと思ってしまうのは仕方のないことだ。
「そんな、まだまだですよ」
「ミンメイさんがまだまだなら、あたしはどれだけひどいのか……」
言いながら落ち込んできて、ルミはテーブルに突っ伏す。
アケヒはそれほど甘いものが好きではないので、ルミは基本的にお菓子を作らない。
自分が食べる分は、こうしてハルウの城でごちそうになるときと、外食のときと、アケヒがたまに買ってくるお土産だけで足りてしまうのだ。
作らなければ、当然お菓子作りの腕は上達しない。
正直、普通のクッキーすら作れるか怪しい。
「ルミさんの手料理もいつか食べてみたいです」
顔を上げると、ミンメイはにこにこと人畜無害な笑みを浮かべていた。
こちらまでつられて笑顔になってしまいそうだ。
ミンメイからマイナスイオンが出ているような気すらしてくる。
「いいけど、期待しないでよ。
ミンメイさんの足下にも及ばないんだから」
お菓子作りはまったく自信がないが、料理ならなんとかなるだろう。
持ち運びのできる料理もあるし、今度ルミの作った料理を持ってきて、夕食の一品を飾るのもいいかもしれない。
ハルウの城で出される料理はどれも一級品ばかりで、気後れするどころの話ではないけれど。
「そんなことありませんよ。
楽しみですよね、ハルウさま?」
「ん? あ、ああ、そうだな」
クッキーを食べていたハルウは、何か考え事でもしていたのか、明らかに生返事だった。
ルミだって別にそれくらいで気分を害したりはしない。
ただ、意地悪心が頭をもたげてくるだけだ。
「ハルウさんはミンメイさんの料理のほうが好きなんだそうですよー」
「ルミ!」
「ほんとのことでしょ?」
「そ、それは……」
ハルウは言葉を詰まらせた。
とっさの勢いですら否定しないのだから、図星も図星なのだろう。
我が意を得たり、とルミはニマニマと意地の悪い笑みをもらす。
人の恋路に首を突っ込むと馬に蹴られるとよく言うが、はたから見ている分にはこれほどおもしろいものもない。
特にハルウのような、少し頼りないところのある男性というのは、からかいがいがあるのだ。
「ハルウさまったら、ルミさんにまで言い負かされちゃうんですね」
くすくすとミンメイは楽しそうに笑みをこぼす。
ハルウはそれを責めるように、あるいは助けを求めるように、ミンメイに視線を投げかけた。
「笑わないでくれ。貴女のことなんだぞ」
「ふふっ、すみません、ハルウさまがかわいくて」
「かわいい、か……」
ハルウはそうつぶやいて、ため息をついた。
彼の心境が理解できてしまって、ルミはお節介を焼きたくなった。
ただ単に茶化したいだけかもしれないが。
「ミンメイさん、それは男の人には地雷かも」
「そうなんですか?」
ミンメイは不思議そうに首をかしげる。
なんでもできそうに見えるミンメイだけれど、男心には疎いらしい。
「普通は、あんまりうれしくないんじゃないかな。
男らしくない、ってことになっちゃうし」
「まあ、そんなつもりで言ったわけじゃないんですよ。
気になさらないでくださいね、ハルウさま」
「あ、ああ……」
目を丸くしながら弁解するミンメイに、ハルウは複雑そうな表情でうなずく。
たぶん、ハルウもミンメイに他意がないことはわかっていたのだろうけれど、こういうものは理屈ではない。
特に、ひょろりと背が高いために頼りなさげな印象を持つハルウには、『かわいい』はダメージが大きかったはずだ。
そうとは知らないミンメイは、ほんわりとした笑みを浮かべて言った。
「ハルウさまもお兄さんになったんですもんね。
これからもっと男らしくなられますよ」
「兄?」
今度はハルウが首をかしげる番だった。
ルミも意味がわからず、静かにミンメイの言葉を待つ。
「だって、ルミさんはご親戚なんでしょう?
妹のようなものなのでは?」
当然のように言われた言葉の衝撃に、ルミとハルウは沈黙してお互いの顔を見た。
ハルウから見てルミは従姉の子どもにあたるらしい。
親戚内で兄や姉などと呼ぶことも普通にあるようだから、ミンメイの発想はそうおかしなものではないんだろう。
考えもしなかったことだったから、驚いてしまったけれど。
「ハルウさんが、お兄ちゃんかぁ」
ハルウを見ながら、ぽつりとつぶやく。
案外、悪くないかもしれない。
若干情けない面もあるけれど、魔力のことでかなり世話になっているわけだし、真面目で優しく、できた兄だ。
家族のいなかったルミは、兄弟というものに強いあこがれを持っていた。
ただの親戚と言われるよりも、兄と言われたほうが、ずっと近くてうれしい。
「ルミが、妹……」
「あら、ハルウさま、お気に召したみたいですね?」
「い、いや、そういうわけでは……」
ミンメイの指摘に、ハルウはあわてて首を振るが、あまり説得力はなかった。
ハルウもルミと同じく家族を亡くしている。何か感じるものがあったのかもしれない。
「これからもよろしくね、お兄ちゃん」
わざと、ルミはにっこり笑顔でそう言ってみた。
ハルウはあきらめたような苦笑をこぼして、ああ、とうなずく。
魔界で得た血縁の絆が、より確かなものになりそうな予感がした。