13.赤い夢が迫る

 一面が真っ赤に染まる。
 それを、おいしそうだとか、きれいだとか思うことはなかった。
 見た瞬間に思考は止まり、感情を忘れた。
 誰か、女性の悲鳴が聞こえる。
 続いて感じたのは、息苦しさとあたたかさ。
 強く、抱きしめられている。
 ルミだけは、失わせないとでも言うように。
 ルミの、盾になるように。

 慟哭のような、女性の声。
 赤が、まぶたに焼きついていて、消えない。



 ガバッとルミは身体を起こした。
 起きあがってから、自分が今いる場所を思い出した。
 ここは、魔界。アケヒの家。今は深夜。
 自分は今十七歳で、子どもではない。

「っ、……夢?」

 そうつぶやいて、深いため息を吐く。
 夢の内容はほとんど覚えていない。
 ただ、真っ赤な色だけが、鮮明に頭に残っていて。
 気持ち悪さに吐き気がする。

 寝汗がひどい。のどがカラカラに乾いていた。
 悪夢だったのだと、あまり覚えていなくてもわかる。
 そしてこの感覚は、実は初めてではなかった。
 ここ最近、同じように夜中に目が覚めることが増えていた。
 決まって、そのあとは目が冴えてしまって寝つけない。
 まったく寝れていないわけではないけれど、おかげで最近は寝不足気味だ。

「……なんなんだろう」

 自問したところで、答えは出ないとわかっている。
 夢は夢だ。気にするほどのことではないのかもしれない。
 けれど、こうも続くと気にするなというほうが無理な話で。
 フラッシュバックする赤色が、頭から離れなかった。


  * * * *


「元気ねぇな」

 朝食を終え、これからあと片づけをしようとしていたルミに、アケヒはそう声をかけてきた。
 ギクリ、と心臓が嫌な音を立てる。
 けれどルミは努めて、なんでもないふりをする。

「え? そんなことないよ」
「顔色悪いぞ」

 とぼけるルミに、アケヒは眉をひそめて、なおも追求してきた。
 目で見てわかるほどに、ルミは本調子ではないらしい。
 はっきりそう言われてしまえば、ごまかすことはできない。
 心配はかけたくないけれど、嘘をつきたいわけでもないのだから。

「……ちょっと、最近夢見が悪いだけ。気にしないで」

 ルミが笑ってみせると、アケヒの眉間のしわが深くなった。
 怒っているのではなく、心配してくれているのだろう。
 そんな表情も読めるくらいには、アケヒのことを見ていて、知っていた。

「平気なのか?」
「一時的なものだよ。大丈夫」

 アケヒの問いかけに、ルミはそう答える。
 確証なんてどこにもなかったけれど、ただの夢でアケヒをわずらわせたくもない。
 だいたい、夢の内容だってほとんど覚えていないのだ。
 自信がなくたって、大丈夫だとしか言いようがない。

「なあ、知ってるか。淫魔の魅了は睡眠欲にも効くんだぜ」
「へぇ、そうなんだ」

 それは初耳だ。ルミは素直に驚いた。
 淫魔の魅了が相手の本能に働きかけるものだとは聞いていたけれど、性欲にだけではなかったのか。
 子どもを寝かしつけるのが楽そうでいいな、と施設で苦労した記憶のあるルミは思った。

「試してみる価値はあると思うんだけどな」

 その言葉の意味は、すぐに理解することはできなかった。
 試してみるとは、何をだろう?
 ――魅了を?

「……あたしに?」

 思わず自分を指さして確認してしまった。

「他に誰がいんだよ」

 アケヒは口をへの字にさせる。
 機嫌を損ねてしまったようで、ルミはあわてる。

「だって、悪いよ。別に全然寝れないわけでもないし」

 日によるけれど、だいたい三時間から四時間くらいの睡眠時間は取れている。
 毎日必ず夢を見るというわけでもない。
 偶然、夢見の悪い日が続くことくらい、よくあることだ。
 そこまでするほどのことでもないだろう。

「寝不足なんだろ。そのうちぶっ倒れっぞ」
「大丈夫だもん」
「やせ我慢すんなよ。少しはオレを頼れ」

 アケヒの言葉に、ルミはぐっと言葉を詰まらせる。
 心配してもらえるのは、うれしい。
 けれど同時に、子どもに対するようなアケヒの言葉に、反感も覚える。
 嫌だとか、腹が立つというよりも、……歯がゆくて。
 ルミはそんなに危なっかしいのだろうか。
 子ども扱いなんて、してもらいたくはないのに。
 早く、アケヒに釣り合うような大人になりたいのに。

「少し、じゃないじゃない。アケヒに頼りっぱなしじゃない。これ以上はダメだよ」

 膝の上で拳を握りしめ、下を向いたまま、ルミは言った。
 超絶に具合の悪かったルミを、アケヒは強引にだけれど助けてくれた。
 住む場所も何もかも、アケヒが与えてくれた。
 アケヒがいなかったら、今ごろルミは死んでいたかもしれない。
 アケヒとのつながりで、同じ吸血鬼であり血縁でもあるハルウとも出会うことができた。
 どれほどアケヒに頼りきりなのか、数え上げたらきりがない。

「甘え下手なくせに何言ってんだか」

 アケヒのため息が聞こえた。
 呆れられただろうか。
 ルミは甘え下手なんかじゃない。
 もう充分、甘えてしまっているから、あとは自分でどうにかしなければと思うだけ。
 そう意地を張ってしまうところが、子どもっぽいのかもしれないが。

「あんまり優しくしないで」

 そろそろと顔を上げ、そう告げた。
 あんまり期待させないで、という含みがあることには、どうか気づかないでほしい。
 最初は、嫌な奴だと思っていた。
 けれど知れば知るほど、惹かれていった。
 めんどくせぇと言うわりに、面倒事の塊であるルミを投げ出そうとはしない。
 本当は人一倍優しくて、細やかな気配りのできるアケヒ。
 これ以上、彼の負担を増やしたくはない。

「別に、優しくなんてしてねぇよ」

 ぶっきらぼうにも聞こえる、アケヒの言葉。
 そこにある優しさを、今のルミは感じ取れるようになってしまっている。

「心配するくらいは、当然だろ。拾ったもんの面倒は最後まで見るもんだ」

 真剣なアイスブルーの瞳に、心臓がぎゅっとつかまれたかのように苦しくなる。
 アケヒにとっては当然のことでも、ルミはそうは思えない。
 どうしたって、期待してしまう。
 自分は、アケヒに大事にされているのではないかと。
 子ども扱い、なのだとわかっていても。
 ルミはアケヒを、保護者としては見れないから。

「……優しく、しないで」

 ルミはもう一度、小さくつぶやく。
 この人はそういうつもりではない、と、自身に言い聞かせるように。

 アケヒの優しさが、胸に痛かった。



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